1964年の東海道新幹線開業当時、まだ三島駅はなかった。正確に言うと、予定地はあってそこにホームと乗り換え通路を作り、線路を敷設するだけで駅ができるようになっていた。
ここにメスを入れたのが会計検査院。「無駄です」、と。
その5年後の1969年、ようやく新幹線にホームが出来、こだま号が止まるようになったのだ。
ちょうど40年後の現在、三島駅は中伊豆観光客や朝夕の長距離通勤客でにぎわっている。ここを始終着とする列車も数多い。朝のこだま号はどの列車も満員御礼。見事なものである。
いかに先を見通すことができるか。それは本当に優秀な人しかできないのかもしれない。
バカな農道空港、船の来ない港湾にゴーサインを出した人と、そうでない人の違いはとてつもなく大きい。
ここにメスを入れたのが会計検査院。「無駄です」、と。
その5年後の1969年、ようやく新幹線にホームが出来、こだま号が止まるようになったのだ。
ちょうど40年後の現在、三島駅は中伊豆観光客や朝夕の長距離通勤客でにぎわっている。ここを始終着とする列車も数多い。朝のこだま号はどの列車も満員御礼。見事なものである。
いかに先を見通すことができるか。それは本当に優秀な人しかできないのかもしれない。
バカな農道空港、船の来ない港湾にゴーサインを出した人と、そうでない人の違いはとてつもなく大きい。