「立て替え」はできなくなっているにも拘わらず、こういったちょくちょく地震に最初、違和感を持ちましたが、こういった時には何かを隠蔽しようとしている。
臣民無くなるぞ。
残る臣民 三分難しいぞ。
三分と思えども、二分であるぞ。松の巻第2帖
「汝、臣民・・・」です。
下級国民という奴ですね。
天皇を中心とした上級国民を「日本」と言い、これを守る、あるいは日本を取り戻すというのは、何も日本人のことを指しているわけではない。
美しい勘違いです。
「日本」と「日本人」は、この国では逆であり、異なります。
下級国民(日本人)を何人殺しても、上級国民(日本)を取り戻すという意味です。
今、福島でやっています。
日本を滅ぼすというのは、何も日本人を滅ぼすと言う意味ではなく、この上級国民、換言すれば「日本」が滅びるということです。
霊天上界では既にこの世で言えば、国際指名手配のように指定されています。
だから日本は今回の異常犯罪で今後も衰退せざるを得ず、そう言わざるを得ない。
そう動いているのですね。
この上級国民である「日本」が滅びるということです。
2分というのは20%と捉えれば「2500万人」ほどであり、1億人淘汰宣言です。
ところが阿蘇カルデラのような「破局噴火」の予言もありますので、神戸大学の巽教授のシミュレーションが事実ならば、総人口1億2600万人中、「1億2000万人」が生活不能者となり、死亡する。
差し引き、単純計算でも「600万人」しか生き残れない。
ならばこの2分というのは、20%ではなく、2%の可能性が高くなる。
昔から破局噴火を予言しているのですね。
「人、集める必要ない」と言っているのも、その集めた人がみんな死んでしまうから意味がないためです。
「借銭ある魂は、日本のお土、踏めんように規則定まりたるのであるから・・・」と言っているのも同様であり、借銭ある魂を集める必要もないと言っているわけです。
借銭ある魂は、お土踏めなくなる、つまり国土からいなくなるということですね。
土が踏めないと言っているわけですからね。
お土を踏んでいるということは、そこに生きているということです。
お土、踏めなくなるとは、字句通りですね。
いなくなるから踏めなくなるということです。
「神の帳面に誤りなし」
「・・どうだか・・・」
「神々さま、今回は悪は影も残さんぞ。」も同じです。
しかして2分を2%と捉えますと、もう無茶苦茶ですわ。
ここに100人いれば、2人しか残れない。
だから残らない98人を集める必要がない。
総人口が「250万人」の計算になります。
寛容を考慮に入れても4、500万人でしょうか。
恐らく2分というのは20%だと思っていますが、破局噴火が予言されているために20%も、確かに厳しいかもしれません。
臣民の方は大変ですね。
臣民とは民主主義における主権在民という国民主権の国民のことではありません。
逆です。
臣民とは、君主に支配せられるべき被支配者という意味ですから当然、主権者は国民ではなく、君主です。
日月神示には、至るところにこの「臣民」という表現があります。
神道は国民を主権者などとは思っていないということです。
だから国民が主権者というのが、そもそもおかしいというのです。
神理的には、何の神理も悟っていない君主が主権者のわけもなく、さりとて確かに国民が主権者のわけもありません。
どちらも間違いです。
主権者とは、この大宇宙には一つしか存在しておりません。
永遠に、そして唯一である人類共通の人生の意義であり、完全な善であり、歴史の究極目的である大宇宙にして人間生命の本質である「神の存在」しかありません。
これが永遠の主権者です。
民主主義と共産主義共に「主権者」がおりません。
今の世界は、親のいない巨大な孤児院のようです。
「神約民主論」では、この大宇宙の存在、すなわち神の存在を中核に置いている。
これが全世界を救う唯一の政治体制です。
気に入らなければ、これ以上の体制を自分が悟ればいいのです。
ありません。
これが崩壊後に全世界を救うのです。
民主主義は、方便の善です。
神を信じて生命が悟りによって進化・向上すれば、これを原因(神の心)として結果(神の体・物質)現象化してくるものが大衆のためという結果であり、御利益です。
民衆のためというのは、結果(神の体・物質)であり、神の体を意味しています。
物質の属性は利益をも象徴しておりますので、この結果を目的化した民主主義は、「利益に基づいた国家契約」がその本質となるのです。
結果に比喩した善、物質に比喩した善、利益に比喩した善、すなわち民主主義は方便の善です。
物質に比喩した善ですから、無限化すれば物質を無限化することと変わりませんので、この体制下では、必ず悪が無限化していき、無限化した悪は、結局は大衆にいくのです。
これが人類の半分以上もの人たちが地獄に堕ちている原因です。
人類各人の悟りも向上もないのに大衆のためになる世界などあらわれるわけはないということです。
霊的に未熟な状態に置いておいて、利益だけを得ようとするのは虫のいい話です。
物質宇宙は神の表現体であり、神の体です。
神の心が「天」であり、神の体は「地」で、永遠に「天地一体」に貫かれている。
神の心の「天」と人間という「地」が切られている民主主義が、神の御心に叶っているわけはありません。
天地分離の体制であり、神の心という「天」と人類自身が分かれているわけですから、半分以上もの人類が地獄界に堕ちてしまうのは、ある意味理法に叶っているとも言えます。
自分たちで選択しているからです。
君主が主権者のわけもなく、国民が主権者のわけもない。
主権者は永遠にこの大宇宙では、神様に決まっている。
何の悟りも持っていない君主でもなければ、何の悟りも持っていない国民が主権者のわけはありません。
悟りがあっても主権者ではありません。
神以外主権者はおりません。
主権者がわからなくなっている点に人類の不幸があるということですね。
みなさま神さまを拝みましょう。
はい、今日もひとつおりこうさんになりました。