国内では無差別殺人や、国際的にはISのようなテロ集団が社会を不安にしています。
これらを思考し実行ししている人たちは野蛮な無能の人たちでしょうか。決してそうではないはずです。
ではなぜそのような反社会的行動や思想に走ってしまうのでしょか。
フランス革命で人権宣言で発せられた「すべての人間の自由と平等、国民主権、言論の自由、財産権」がヨーロッパで民衆に受け入れられ、マルクスの共産党宣言につながり、社会主義革命がおこります。
この唯物論に基づく自由と平等、国民主権、言論の自由、財産権が現在の国際的標準思想です。そうでない北朝鮮などの国々は国際的に批判を浴びています。
ゆえに、世界中のほとんどの人々は程度の差はあるにしろ子供のころから人はみな平等であり、自由であることを学びます。しかしいざ社会に出るとまた国際社会ではあまりにも不平等がはびこり、貧富の格差が広がっていることにびっくりします。
もし自分が中産階級以上であれば安堵しますが、底辺に近いと知った時はとりあえずは努力はしますが、どうにもならなと知った時、反体制活動や過激な集団に足を踏み入れることになるのは自然の流れです。積極的に生きようとする人ほど過激になるでしょう。
無差別殺人やテロ集団はそれら自由と平等思想の行き過ぎの犠牲者とみることが出来ます。
人間は自由に生まれることも、ましてやその境遇も自由には選べません。能力も人それぞれです。そんな人間が集団で社会生活を送るにはどうすればいいかを、多くの犠牲と時間をかけて模索してきました。
そろそろ人類が天皇制を中心とする日本人が何千年かけて培ってきた社会システムを世界が認める日も近いのではないかと思います。世界の日本化です。