長生きの秘訣

現在の趣味は「人生を全うすること」です。長生きすると人生の色いろな疑問が解けてきます。

縄文時代(ミロクの世)=②=

2021年04月11日 | 日記

=①=からの続き

平和な縄文人の生活が西から侵され始め、関東から東北北海道に暮らしていた縄文人が何とかして平和な日本を取り戻したいと一大事業に取り掛かりました。それが古事記や日本書記に語られている神武東征(東遷)なのです。もう少し詳しく説明します。

どうして平和な縄文時代が1万年以上も続いたのか、それは多くの霊能者によって統治されていたからです。

霊能者と聞くと現代人はオカルトや新興宗教をイメージし、だまし込んで洗脳して身ぐるみはがすみたいなよからぬ輩を想像しますが、本当の霊能者は人の幸せのために霊能力を生かすために存在しています。科学が未発達の時代に、いつ種をまくのか、いつ刈り入れをするのか、どこにすむのか、いつ家を建てるのかなど生活のすべてを霊能力に頼っていました。またその霊能力者を中心に一つにまとまり、地域地域にも霊能力者がその地域をまとめていました。そのおかげで縄文時代の人々は争うことなく1万年以上も平和に暮らしていたのです。

そこに西から真逆の人々が侵入してきました。(弥生時代の始まり)その場合、東から西に押し返すのが普通の考え方ですがたぶん霊能力で九州から東に向かい統一することで、結果的に日本全土を統一国家にしようということになりました。そして現在の茨城県鹿島神宮のある鹿島から数百人の人たちが有能な霊能力者を戴いて、九州南端の鹿児島に上陸しました。鹿島の子供なので鹿児島です。そして現在の宮崎神宮のある地域に上陸しました。そこでは地元の人たちに霊能力で種の蒔き方収穫の仕方、病気の直し方など存分に霊能力を発揮して人々を感服させました。その期間は数年に及び場所によっては8年もかかり人々を感服させました。その恩義を忘れない人々がのちに高千穂神宮や宮崎神宮を作りました。そして北上し大分県の宇佐神宮のある地域に入り同じように地域の人々に恩恵を与え筑紫地方から瀬戸内海に入り安芸地方、吉備、難波江、熊野と進み諸説ありますが約15年かけて奈良県橿原に初代天皇神武天皇が日本統治を完成させました。日本国の始まりは高天原といわれていますがこれは古代の関東東北地方の地名である日高見国(ひだかみこく)の別称と考えられます。このあたりの歴史的検証は田中英道氏の学説をお聞きください。

日月神示に示されているミロクの世とはほかでもない物質文明はそのままで精神文明が縄文時代に戻るということなのです。 完

 

 


縄文時代(ミロクの世)=①=

2021年04月11日 | 日記

皆さんは縄文時代と聞いてどのようなイメージを持たれますか。

諸説ありますがおざっぱに言って今から1万5000年前から始まった縄文時代はなぜ1万2000年も続いたのでしょうか。縄文時代は世界でも類を見ない長期にわたり争いや戦争のない安定した時代でした。世界中でそのような民族や国家は今まで存在していません、いま世界中の学者が必死に研究しています。島国であったからとか、人口が少なかったからとか、気候が安定していたからとかいろいろな説があります。しかしどれも正解ではありません。なぜならそんな地域や場所はこの地球上にたくさんあります。答えは最後まで読んでいただくとわかります。

そんな長期にわたる安定した縄文人社会に紀元前400年ごろからツングースによって西から侵略されます。これが弥生時代の始まりです。ツングースは現在の北朝鮮、満州あたりの民族でのちの女真族や金氏などの先祖です。またツングースは人をだます達人といわれ同族民族個人だけでなく国家間でも詐欺行為が生活習慣でした。また人の不幸を喜ぶ、勝ためには手段を選ばない、拷問、強姦、誘拐、窃盗、脅迫、拉致など縄文人にはない生活習慣でした。したがって弥生時代になり稲作が始まったことや鉄製の武器が作られて争いが起こり部族間闘争が激しくなったと言われていますがそんなことはありません。大陸や半島からの渡来人によって争いが持ち込まれたのです。

                          ②に続く