=①=からの続き
平和な縄文人の生活が西から侵され始め、関東から東北北海道に暮らしていた縄文人が何とかして平和な日本を取り戻したいと一大事業に取り掛かりました。それが古事記や日本書記に語られている神武東征(東遷)なのです。もう少し詳しく説明します。
どうして平和な縄文時代が1万年以上も続いたのか、それは多くの霊能者によって統治されていたからです。
霊能者と聞くと現代人はオカルトや新興宗教をイメージし、だまし込んで洗脳して身ぐるみはがすみたいなよからぬ輩を想像しますが、本当の霊能者は人の幸せのために霊能力を生かすために存在しています。科学が未発達の時代に、いつ種をまくのか、いつ刈り入れをするのか、どこにすむのか、いつ家を建てるのかなど生活のすべてを霊能力に頼っていました。またその霊能力者を中心に一つにまとまり、地域地域にも霊能力者がその地域をまとめていました。そのおかげで縄文時代の人々は争うことなく1万年以上も平和に暮らしていたのです。
そこに西から真逆の人々が侵入してきました。(弥生時代の始まり)その場合、東から西に押し返すのが普通の考え方ですがたぶん霊能力で九州から東に向かい統一することで、結果的に日本全土を統一国家にしようということになりました。そして現在の茨城県鹿島神宮のある鹿島から数百人の人たちが有能な霊能力者を戴いて、九州南端の鹿児島に上陸しました。鹿島の子供なので鹿児島です。そして現在の宮崎神宮のある地域に上陸しました。そこでは地元の人たちに霊能力で種の蒔き方収穫の仕方、病気の直し方など存分に霊能力を発揮して人々を感服させました。その期間は数年に及び場所によっては8年もかかり人々を感服させました。その恩義を忘れない人々がのちに高千穂神宮や宮崎神宮を作りました。そして北上し大分県の宇佐神宮のある地域に入り同じように地域の人々に恩恵を与え筑紫地方から瀬戸内海に入り安芸地方、吉備、難波江、熊野と進み諸説ありますが約15年かけて奈良県橿原に初代天皇神武天皇が日本統治を完成させました。日本国の始まりは高天原といわれていますがこれは古代の関東東北地方の地名である日高見国(ひだかみこく)の別称と考えられます。このあたりの歴史的検証は田中英道氏の学説をお聞きください。
日月神示に示されているミロクの世とはほかでもない物質文明はそのままで精神文明が縄文時代に戻るということなのです。 完