それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「ドット絵に粗さに見いだす“暖かさ”」なのだ。

2021-09-03 18:20:56 | Weblog
 テレビゲームのグラフィックの話で「(ポリゴン絵より)ドット絵の方が好き」という声を、よく聞く。まあ、そこは個人の好みなんで「へーそう」程度の興味なし感想しか浮かびません。で、その好きな理由はというとほぼ二つしかなく、それは「(ポリゴン絵よりドット絵の方が)暖かみを感じる」と「(ポリゴン絵よりドット絵の方が)粗さに想像の余地があって良い」だ。「暖かみを感じる」ってのは個人の感性なんで、これも特に感想はありません。でも「粗さに想像の余地があって良い」ってのには、いささか口を挟みたくなるのだ。
 「粗さに想像の余地があって良い」って、どういうこと?何を想像しているの?その想像って、当然ゲームしながらだよね?え?ゲームしながらドット絵に何を思い浮かべているの?筆者はそんな経験は一度もないから、まったくわけがわからないんだけど、無い知識を振り絞って考えつくのは、ドット絵の解像度が上がった絵?筆者の場合、ゲームしている時は、状況の理解やキャラのコントロールに集中しているので、想像する余地はありません。ま、ドット絵にしろポリゴン絵にしろ「キャラや背景の絵(表現)がチープだなぁ」って思うことは多々ありますが。
 ってか、ドット絵の解像度を最高まで引き上げた正解って、パッケージや説明書、攻略本等に描かれている、公式のイラストレーター達が描いた普通の絵だよ?それすら一枚も示されていなければ、粗いドット絵そのものが正解で、それなら自分勝手に好きに想像すれば良いだろうけど、まずそんな事ないし。大体、当時のメーカーだって、わざわざ好き好んでドット絵を使っていたわけじゃないし。その証拠は、パッケージ等には普通の絵が描かれていたことからも容易に推測できる。
 とは言え、「粗さに想像の余地があって良い」って個人の感想を否定するわけじゃありません。個人の勝手だし。でも、それで相手を説き伏せるのはなかなか難があるように思えてしまうのは、やっぱり筆者にその考え方が全くないからなのかもしれない。ただ思うのは、その想像力、補完力、擁護力をポリゴン絵にも活かしてあげたら?ってことだ。あと、グラフィックだけじゃなく、サウンドやシナリオや会社の姿勢についても同様だ。
 例えば、ファイナルファンタジー15のプロジェクトが全く完遂できなかった件についてとか、PlayStation 5の決定ボタンが欧米準拠の「×」に変更された件についてとか、任天堂等大手メーカー達はYouTubeの動画へのコメントを日本語サイトでは禁止にしている件についてとかとか、それらに想像力、補完力、擁護力を活かしてたなら、もっと違う現在が確実に来ていたことだろう。これらが悲劇だと思えるなら、今後拡大しないためにも、想像力、補完力、擁護力が重要なことは賛同してもらえるはずだ。
 とまあそんなわけで、今年以降、日本のテレビゲーム業界に昔のような活気が出るように想像力、補完力、擁護力を働かせようと思うので、今日は寝てなんかいられないのだ。
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