それにしても眠れないのだ

日々の眠れない出来事を虚実織り交ぜて

それにしても「スポーツとストレスの向き合い方」なのだ。

2021-08-13 18:18:10 | Weblog
 オリンピックを観てて、ちょいちょい見かけたのが“判定への不服”っぷりだ。当事者である選手やそのチームスタッフ、またその選手を応援する人達は、自分の側が不利な判定を受けた時にやいのやいの言いがちだけど、時には有利な判定を受けた側を応援している人達からも「あの判定ぶりはヤバイ」と批判しているのを何度も見かけた。
 今回のオリンピックで、あちこちの競技にビデオ判定があることを知った。ビデオ判定は、一瞬の出来事で人間の目には判断が難しい場面を、いくつかの方向から撮影した映像をスロー再生することで、“誤審”を防ぐため、選手や観ている人に納得感を得させるための道具なんだけど、それを持ってしても難しいケースがあり、当然疑惑の声が収まらないことが何度も見受けられた。
 で、まぁそんなのを幾つも見て思ったことは、疑惑が入り込みづらい「一番ストレスフリーな競技は何だろうか?」ってことだ。ここで考える疑惑は、審判の怪しさが一番だけど、大会組織からの圧力や会場の細工なんかも考慮したい。あ、あと試合中に観客やカメラマンとかからの妨害があるので、そこは全て無観客でノーマスコミとする。あと、筆者はスポーツにそんなに明るくないんで・・・と、予防線を張っておく。
 そんな中で筆者が思いついた一番ストレスフリーな競技は、「やり投げ」だ。投げる時は枠外に出たらすぐわかるし、やりが刺さるので測定も操作しづらい。もしかしたら円盤投げやハンマー投げ、砲丸投げとかも変わんないかもしれないけど、素人目にはやり投げが一番わかりやすいかなと。
 球技系は全体的にどれもこれもダメなんだけど、一番マシなのは「卓球」かな。まず、対戦相手との接触が無いのが良い。あと、他の球技はコート際のボール着地点がラインの外か内か、ビデオ判定を使っても怪しいけど、卓球の場合は台が浮いているのでそこは一目瞭然だ。入っていればボールの軌道が変わり、入ってなければボールの軌道は変わらない。大体、卓球の審判は得点カウントの読み上げ程度にしか存在感を感じない。っていうか、審判がいなくても構わないのでは?・・・って見受けられる。そんな卓球だけど、以前どこかの大きな大会で「一方が有利になる変な風がちょいちょ吹く」って声が、選手達から聞かれたっけ。
 スポーツ選手に一番に求められるのはフェアプレー精神だけど、残念ながらそこに信頼は全く置けない。“敵”に勝つために、選手やチームは悪意を練る。それに、試合関係者、マスコミ、観客だって、敵に悪意をぶつけるのを何度も見た。ま、戦いだからね。記録には勝敗しか残らないしね。ただ、記憶にはアンフェアさは残っていくけどね。審判は、基本的にそれらとは違う次元にいるけど、いったい何精神で勤めているのだろう?スポーツのストレスについてはついつい色んな事を考えてしまうし、自分の頭の中だけで考えていても全然答えが出ないので、そのストレスで今日は眠れないかもしれない。
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