ひたすら日本応援歌

安倍総理・安倍内閣応援のブログでしたが、諸般の事情により、今後は、菅義偉内閣を応援します ガースー (^^)/

青山繁晴「日本には資源がある!自前資源で強い日本に!」世耕大臣と議論!最新の面白い国会中継

2019-03-20 21:08:12 | 日記
青山繁晴「日本には資源がある!自前資源で強い日本に!」世耕大臣と議論!最新の面白い国会中継

https://youtu.be/pAUTOpzXuzQ




【海外の反応】衝撃!イランから大歓迎された海上自衛隊ペルシャ湾の掃海部隊に外国人感動!海上自衛隊の知られざる世界的な大活躍!日本人には知らされない自衛隊いい話

2019-03-20 19:27:14 | 日記
【海外の反応】衝撃!イランから大歓迎された海上自衛隊ペルシャ湾の掃海部隊に外国人感動!海上自衛隊の知られざる世界的な大活躍!日本人には知らされない自衛隊いい話

https://youtu.be/RjmzUPLnjeQ

今朝の虎ノ門ニュースの中で、安倍総理の防衛大学での訓示がとても良かったとの井上和彦さんのお話があり、早速、拝聴しました。その中でペルシャ湾での機雷掃海への言及がありました。





その関連で、この動画を発見しましたので、さっそくシェアしたいと思いました。



指揮官だった落合元海将補(当時、一等海佐)は、こう語っている。



当時、日本の一部のマスコミは、自衛隊の海外派遣は「アジア各国の不安や対日警戒」を引き起こす、という理由で反対していたのだから、こうした不都合な真実」をありのままに報道する訳にはいかなかったのだろう。
しかし、初の海外派遣に、511名の隊員の士気はすこぶる高かったという。

落合元海将補は、こう振り返っている。



娘の結婚式を欠席して、この派遣部隊に加わった年配の隊員は、結婚式が始まる時間に、掃海艇の後部甲板に立って、祖国の方角に一礼していたという。

掃海部隊はMDA-7と呼ばれる海域で掃海を行ったが、ヨーロッパ勢は平成3年7月終り頃に引き揚げてしまった。日本はアメリカと共同で、引き続き過酷な環境下でMDA-10と呼ばれる海域を掃海する事になる。

この海域にはイランの海域が含まれており、外交上難しいものがあった。イランとアメリカは国交が正常化されていない。

又、この海域にはイタリア製の沈底式感応機雷「マンタ」があり、これがやっかいだった。

日本は外交努力をして、イランと交渉し、連絡士官として掃海母艦「はやせ」に乗せる事で同意を取り付けることに成功した。

「はやせ」には、アメリカの連絡士官が乗っており、「はやせ」上にアメリカとイランという敵国同士の軍人が顔をあわせる事になった。

これは随分と懸念されたが、アメリカの連絡士官ストーフ大尉が、あっけらかんとした態度で積極的にイラン士官と軟らかく会話したお陰で、何事もなく無事に事が進んだ。

そしてイランは日本掃海部隊をバンダル・アッバーズ港へ寄港要請してくれた。
「イラン国民とイラン海軍は、日本海軍掃海部隊のイラン訪問を国を挙げて歓迎する」
ホルムズ海峡ではイラン海軍がエスコートの艦を派遣し、港に近付くともう1隻が加わるという厚遇ぶりであった。

8月22日には大勢のイラン海軍関係者、イラン日本大使館公使、在留日本人代表、駐在武官、バーレーンの防衛庁部員に迎えられた。

イランでは海軍の核施設見学や交歓会が行われ、古都シラーズの史跡観光が実施された。シラーズで飛行機から降りた掃海隊員は、赤い絨毯が敷かれ州知事が出迎えるという国賓並の待遇であった。

イラン人は日本人にかなり好意を持っていた。日本で昭和58年(1983年)に「おしん」というテレビドラマがヒットしたが、これがイランで大人気となり、上陸した隊員たちが街を歩いていると「おしん」「おしん」と指差すほど。

又、イラン・イラク戦争の時、イランはペルシャ湾を航行する外国船舶に攻撃を仕掛けたが、日本の船には攻撃しなかったという。


イランの教科書に日本について次のように書かれているそうだ。



これって韓国の ↓ この記事とは大違い









掃海部隊は、ペルシャ湾の難所と言われる海域で、酷暑の中、34個の機雷を処分して、各国のタンカーが安全に通行できるようにした。

1人の死傷者も出さずに、これだけの成果を上げた事は、各国海軍を驚かせた。
海上自衛隊の掃海能力は世界一と言われている。

大東亜戦争末期に米軍が日本周辺に撒いた機雷を今日迄に約7千個も除去してきた。殉職者も79名に上る。世界でこれ程の機雷除去の経験と技術を持つ部隊は日本の海上自衛隊をおいてない。だからこそ、国際社会からペルシャ湾への掃海部隊派遣を求められたのである。

日本は湾岸戦争で130億ドルもの拠出をしたが、金だけ出して、血も汗も流さない姿勢は、国際社会で冷ややかに見られていた。現地の在留邦人も肩身の狭い思いをしていた。

ところが、日の丸を掲げた掃海部隊がやってくるや、アラブ諸国は歓呼して迎え、在留邦人の子供達も他国の子どもから虐められる事がなくなったという。

掃海部隊が呉市の基地に帰還した際には、クウェートのアルシャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。

「機雷掃海の任務を終え、帰国された事に感謝します。初めて日本が海外に自衛隊を送った事の意味は、湾岸各国だけでなく、全世界が高く評価すると思います。」
ペルシャ湾掃海部隊の成功から、自衛隊のPKO(国際平和維持活動)派遣への道が開かれた。


翌平成4年(1992年)8月に「国際協力(PKO)法」が成立し、その翌月には陸上自衛隊の施設大隊が、戦乱から立ち直って民主選挙を控えたカンボジアへ派遣された。

この様に、世界から高い評価を受けている掃海部隊であるが、日本国内ではどれ程も評価されていないと元タンカー乗りの片寄洋一さんは憤る。

『100%の掃海を目指し、海上自衛隊掃海部隊の実力を発揮し、完全に100%の掃海を成し遂げました。世界の国々、特にタンカー乗りは『Japan Navy(正式にはJapan Maritime Self-Defense Force)』を大絶賛しております。」

「確かに我が海上自衛隊が持つ掃海能力は、ずば抜けて世界一と賞賛されるモノです。ですからホルムズ海峡の掃海は海上自衛隊掃海部隊に任せるのが当然との考えです。

これこそが国際貢献であり、しかも最大の利益を得るのは我が国の輸送路確保です。シーレーン防衛の最大の功績です」

「ところが我が国ではシーレーン防衛の重要性を理解出来ずに自衛隊掃海部隊の活躍を全く無視するか憲法を踏みにじるとんでもない違法行為の様な受け取られ方で、誠に義憤を感じています。」

「日本は海に囲まれた国ですが、江戸時代の鎖国令を引きずったままの感覚で、海運に関する知識も感心も低く、国民生活の必需品がどのようにして輸送されているのか関心がありません。

これは国民の全体の発想、価値観で、(シーレーンの重要性を理解していなかった)戦前の軍部の発想そのものです」

「石油がどの様にして、我が国に運ばれているのか、或いは、他の輸出入の実態をどう理解しているのか、誠に無責任な国民性なのでしょうか。

最近ではシーレーン防衛の論議もなくなり、平和を満喫できるのは憲法9条があるからであって、遥か遠く、ホルムズ海峡での掃海などとんでもない」

「その様な事は外国海軍に任せておけば良い、何もしない事が平和に繋がるのだという身勝手な論考が行われており、シーレーンの重要さなど露ほども考えておりませんし、理解もしておりません。現場で散々苦労してきた身としては、口惜しい限りです。

日本国民に警鐘を鳴らさなければならないと思います。」