港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『4月21日』

2019-04-20 14:11:07 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マルセル・カミュ Marcel Camus (1912.4.21~1982.1.13)



デッサンと彫刻の教師から映画界入り、エキゾチシズムへの憧れを野生的に描写したフランスの映画監督です。
フランスのアルダンヌに生まれ、1938年頃からパリでデッサンと彫刻の教師を務め、第二次大戦後も暫くの間は画家・彫刻家
として生計を立てていましたが、1945年に映画界に入り、アンリ・ドコワン監督の『弾痕』などの助監督を歴任しました。
1956年に紛争の火種が消えぬフランス領インドシナを舞台にしてフランス青年とベトナム娘の恋を描いた『濁流』を初監督、
以降、エキゾチシズムに対して強い憧れを持った作品を撮り続けることになります。
1959年にはギリシャ神話のオルフェとユーリディスの死を超えた愛の物語『黒いオルフェ』をヌーヴェルヴァーグ的手法を
用いながらリオのカーニヴァルを背景に強烈な郷土色と現地音楽を融合させた異色作に仕上げて絶賛を浴び、1960年には
建設中の新首都ブラジリアを舞台にした愛憎ドラマ『熱風』を発表しています。
1961年にはカンボジアを舞台に詩で結ばれる若い二人の愛を描いた『遥かなる慕情』(L'Oiseau de paradis)を発表しましたが
残念ながら日本での公開はありませんでした。
生涯の作品数は僅かでしたが、舞台を東南アジアや南米に求めての強いエキゾチシズムと野性的に生きる人々の詩的な描写は
比類のない映像作家としてその存在価値を大いに示しました。

【主要監督作品】
1956年『濁流』 Mort en fraude

1959年『黒いオルフェ』 Orfeu Negro 

1960年『熱風』 Os Bandeirantes

1968年『ふたりだけの夜明け』  Vivre la nuit


☆ネロ・リージ Nelo Risi (1920.4.21~2015.9.17)



夫婦で書いた脚本『悲しみは星影と共に』で一躍脚光を浴びたイタリアの映画監督です。
歌劇場スカラ座専属医師の父親のもとミラノに生まれました。医師を志して大学の医学部を卒業しましたが、兄のディーノ
(後のディーノ・リージ監督)の影響もあり映画製作に興味を覚えて映画界入りしました。当初はヨリス・イヴェンス監督の
記録映画のカメラマンのジョン・フェルノのもとで修業を積み、短編の教育映画の制作などに携わりました。1950年には
ギリシャで短編を作った後にイタリアに帰って1956年に短篇ドキュメンタリー映画『マッテオッティ暗殺』を監督し、
1961年にオムニバス作品『豊かなる成熟』の一編を監督して劇映画監督の仲間入りを果たしました。
1966年には妻エディス・ブリュックの自伝小説をもとに夫婦で脚本を練った『悲しみは星影と共に』を監督、人種偏見と
迫害に対する怒りを淡々と語りながらナチによるユダヤ迫害の非道を訴えました。
その後、1968年に『ふれあい』を監督したとのことですが残念ながら日本で見ることはできませんでした。
兄のディーノ・リージ監督は商業映画専門だったので、弟のネロに将来を嘱望してみたのですがその後の活躍を聞くことは
ありませんでした。

【主要監督作品】
1961年『豊かなる成熟』Le italiane e l'amore
1966年『悲しみは星影と共に』Andremo in città



☆アンソニー・クイン Anthony Quinn (1915.4.21~2001.6.03)



強い個性の国際俳優として圧倒的な存在感を見せつけたハリウッド俳優です。
メキシコ・チワワに生まれ、少年時代にロサンゼルスに移住後に父が交通事故で亡くなり、俳優を目指すと同時に演劇学校の
管理人をしながら高校を卒業しました。素人劇団の舞台に立っていたときにジョン・バリモアと出会い、彼の勧めで1936年に
ユニヴァーサル映画の『殺人都市』の端役にありついて映画界入り、これが契機となってセシル・B・デミルの目にとまり、
『平原児』のインデアン役などデミル作品に強い個性の悪役として登場するようになりました。
しかし、こういった悪役ばかりの待遇に満足できなくて再び舞台に戻り、ブロ―ドウェイの『欲望という名の電車』に出演
していた時、エリア・カザンから声が掛かり、『革命児サパタ』の準主役として起用され演技派俳優として認められるように
なり、やがては主役を喰うバイプレイヤーとして名声を高めました。
また、1954年『道』のザンパーノ役や1956年『ノートルダムのせむし男』のカジモド役などで国際俳優としての道も切り開き、
1964年の『その男ゾルバ』では楽天的で豪放磊落な主人公を演じて圧巻の存在感を見せつけました。

【主要出演作品】
1936年『ロイドの牛乳屋』The Milky Way
1936年『平原児』The Plainsman
1937年『ワイキキの結婚』Waikiki Wedding
1939年『大平原』Union Pacific
1941年『血と砂』Blood and Sand
1942年『モロッコへの道』Road to Morocco
1952年『革命児サパタ』Viva Zapata!
1954年『ユリシーズ』Ulisse
1954年『道』La Strada

1956年『炎の人ゴッホ』Lust for Life

1956年『ノートルダムのせむし男』Notre-Dame de Paris

1961年『ナバロンの要塞』The Guns of Navarone
1962年『バラバ』Barabbas

1962年『アラビアのロレンス』Lawrence of Arabia
1964年『訪れ』The Visit
1964年『その男ゾルバ』Zorba the Greek

1964年『日曜日には鼠を殺せ』Behold a Pale Horse
1966年『名誉と栄光のためでなく』Lost Command
1966年『サン・セバスチャンの攻防』La Bataille de San Sebastian


☆シルヴァーナ・マンガーノ Silvana Mangano (1930.4.21~1989.12.16)



見事なプロポーションでイタリア映画界のグラマー第一号となった女優です。
ローマに生まれ、芸能界入りを願う両親に育てられ7歳から13歳までジア・ルースカヤ舞踏研究所でバレエを習いました。
1946年にミス・ローマに選ばれ、映画『愛の妙薬』の端役で映画デビューを果たし、その後ファッション・モデルを
しながら国立映画実験センターに入学して、本格的に演技を学びました。
1948年にジュゼッペ・デ・サンティス監督に発見され『にがい米』の主演の座につき、強烈なセックス・アピールで一躍
スターとなりました。翌年にはこの映画プロデューサーであったディノ・デ・ラウレンティスと結婚し、夫の制作する
多くの作品に出演、プロデューサーと女優の結婚の典型的な先駆となり大女優への道を歩むことになりました。
『アンナ』や『マンボ』では、持ち前の彼女のダンス・シーンを見せ場とし、『五人の札つき娘』では、坊主頭にするなど、
セクシー女優からの脱皮を図り、パゾリーニ作品では演技派女優への転身に成功しています。

【主要出演作品】
1948年『にがい米』Riso amaro

1949年『シーラ山の狼』Il lupo della Sila
1951年『アンナ』 Anna

1954年『マンボ』Mambo
1954年『ユリシーズ』Ulisse
1957年『人間と狼』Uomini e lupi
1958年『テンペスト』Tempest
1958年『海の壁』The Sea Wall
1960年『五人の札つき娘』5 Branded Women

1962年『バラバ』Barabbas
1967年『華やかな魔女たち』Le Streghe
1967年『アポロンの地獄』Edipo re
1968年『テオレマ』 Teorema
1971年『ベニスに死す』Morte a Venezia


『4月20日』

2019-04-19 20:31:03 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ハロルド・ロイド Harold Lloyd (1893..4.20~1971.3.08)



チャップリン、キートンと共にスラップスティック全盛期に三大喜劇王と呼ばれたアメリカの喜劇俳優です。
ネブラスカ州の田舎町バーチャードに生まれ、貧しい少年時代の中で巡業劇団に身を置いて芝居を続けて腕を磨きました。
やがて1913年にハリウッドでエキストラの仕事を始め、1916年には自ら主演した短編の『ロイドの野球狂』を制作し、
カンカン帽にセルロイドの丸ぶち眼鏡(通称ロイド眼鏡)という独特のスタイルで登場して注目を集めました。
その後も、まじめで正義感が強いごくありふれた気弱な楽天的小市民がとんでもない冒険に巻き込まれるというパターンで
人気を集め、興行的にはチャップリンと肩を並べる存在になりました。
サイレント時代に目まぐるしいスラップスティック劇で全盛期を誇っていましたが、トーキー時代に入ると時代のニーズに
乗り切れず、徐々に人気も下落しいつしか忘れ去られる存在になってしまいました。

【主要出演作品】
1922年『豪勇ロイド』 Grandma’s Boy

1923年『ロイドの要心無用』Safety Last

1923年『ロイドの巨人征服』 Why Worry?
1924年『猛進ロイド』Girl Shy
"1925年『ロイドの人気者』 Harold Lloyd's The funny Side of Life"
1932年『ロイドの活動狂』 Movie Crazy
1936年『ロイドの牛乳屋』The Milky Way

1938年『ロイドのエジプト博士』 Professor Beware
1962年『ロイドの喜劇の世界』Harold Lloyd's World of Comedy

↓はロイドの傑作シーン集【YOUTUBEより】



☆ジョニー・テイロットソン Johnny Tillotson (1938.4.20~ )



『ポエトリー・イン・モーション』がゴールド・ディスクとなって人気を集めたアメリカのポップシンガーです。
フロリダに生まれ、幼少の頃から音楽活動を始めて地元のテレビ・ラジオ番組にレギュラー出演していたそうです。
1957年にケイデンス・レコードと契約し、1958年に自作の『Dreamy Eyes』でデビュー、1960年の『ポエトリー』が
全米2位を記録してアメリカで一気にブレイクしました。
また、1960年の『プリンセス・プリンセス』や1961年の『キューティ・パイ』などもヒットしていたようですが、
これらの曲は日本では1~2年遅れでヒットしています。
1965年には日本の歌謡ポップス『涙くんさよなら』のカヴァーが大ヒット、これに便乗して日活で同名の映画が撮られ
ジョニー・テイロットソンも本人役で出演するために来日しています。

↓はジョニー・テイロットソンの『ポエトリー・イン・モーション』【YOUTUBEより】


↓はジョニー・テイロットソンの『キューティ・パイ』【YOUTUBEより】


↓はジョニー・テイロットソンの『涙くんさよなら』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★カンテンフラス Cantinflas (1911.8.12~1993.4.20)



メキシコ出身で南米スペイン語圏で活躍した多芸多才の職人俳優。
主な出演作品として『八十日間世界一周』『ボクは二枚目』『ぺぺ』などがある。


『4月19日』

2019-04-18 16:11:04 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フランソワズ・ロゼー Françoise Rosay (1891.4.19~1974.3.28)



ジャック・フェデー監督の夫人で、芸達者で堂々たる風格のフランスの演技派国際女優です。
伯爵の父と俳優の母の間にパリで生まれました。コンセルヴァトワールの演劇科と音楽科に学び、オデオン座やオペラ座に
籍を置いて『ファウスト』などに出演、歌と演技が高く評価され、1913年の『ファルスタッフ』で、映画へのデビューを
果たしました。1917年に映画監督のジャック・フェデーと結婚したことで本格的に映画女優としての道を歩み始め初期の
フェデー作品に出演していましたが、ジャック・フェデーが1934年の『外人部隊』『ミモザ館』翌年の『女だけの都』の
三部作で至酵のリアリズムと人間性の観照的写実でフェデー芸術を完成させたことにより、これらの作品に主演した
ロゼーも同時に絶賛され、堂々たる風格の演技派女優として高く評価されました。
第二次大戦中は一時的に一家でスイスに避難しましたが、1947年の『宝石館』の撮影終了後にフェデーと死別、それ以後は
持ち前の語学力を活かしてアメリカ、イギリス、西ドイツなどで国際女優として活動を続け、年輪を重ねるごとに風格を
増す大女優として映画界に君臨しました。

【主要出演作品】
1925年『噫無情』Les miserables
1934年『外人部隊』Le grand jeu

1934年『ミモザ館』Pension Mimosas

1935年『女だけの都』La Kermesse héroïque

1935年『ある映画監督の一生』Le marchand d'amour
1936年『ジェニイの家』Jenny
1937年『舞踏会の手帖』Un carnet de bal
1937年『旅する人々』Fahrendes Volk
1947年『宝石館』Macadam

1949年『四重奏』Quartet
1950年『旅愁』September Affair
1952年『七つの大罪』Les sept peches capitaux
1958年『勝負師』Le joueur
1960年『恋人たちの森』Le bois des amants
1962年『史上最大の作戦』The longest Day
1967年『25時』The 25th Hours


☆ジェーン・マンスフィールド Jayne Mansfield (1933.4.19~1967.6.29)



ブロンドの悩殺的美女として何かと話題に事欠かなかったアメリカの女優です。
ペンシルベニア州に生まれ、テキサス大学と南メソジスト大学を卒業、雑誌モデルを経てTVやブロードウェイの舞台に
出演していた時にワーナーにスカウトされ映画『フィメール・ジャングル』の端役でデビューを果たし、舞台と映画の
掛け持ちをするようになりました。やがて1956年の『女はそれを我慢できない』に主演、ブロンドの悩殺的美女として
話題を集め、以後はマリリン・モンローに対抗するセックスシンボルとしての路線で活動するものの、作品には恵まれず
1967年に交通事故でこの世を去っています。

【主要出演作品】
1955年『皆殺しのトランペット』 Pete Kelly's Blues
1956年『女はそれを我慢できない』 The Girl Can't Help It

1957年『気まぐれバス』The Wayward Bus

1957年『よろめき休暇』Kiss Them for Me
1957年『けだもの街』 The Challenge
1960年『地獄の罠』 Too Hot to Handle
1961年『ギャング紳士録』The George Raft Story


『4月18日』

2019-04-17 21:42:54 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ミクロス・ローザ Miklós Rózsa (1907..4.18~1995.7.27)



『ベン・ハー』などのスペクタクル史劇で重厚なスコアを書いたハンガリー出身の映画音楽家です。
工員の父とステージ・ピアノ伴奏者の母との間にハンガリーのブダペストに生まれました。
1925年にライプチヒ音楽院に入り、卒業後はパリに出て純音楽の作曲家としてバレエ音楽などを作曲していましたが
1936年に同郷のアレキサンダー・コルダに勧められてロンドン・フィルムの音楽監督となりイギリスで映画音楽家
としてスタートを切りました。
1941年にコルダがハリウッドに渡ったのに同行してアメリカで映画音楽を担当するようになりました。
当初は主にスリラーやサスペンスなどでしたが、1959年『ベン・ハー』の重厚なスコアで脚光を浴びて、その後も
『キング・オブ・キングス』や『エル・シド』などのスペクタクル史劇の領域で腕を振るいました。

【主要映画音楽作品】
1937年『鎧なき騎士』 Knight Without Armour
1940年『美女ありき』Lady Hamilton
1945年『白い恐怖』Spellbound
1950年『アスファルト・ジャングル』While the City Sleeps
1953年『ジュリアス・シーザー』Julius Caesar
1958年『愛する時と死する時』A Time to Love and A Time to Die
1959年『ベン・ハー』Ben-Hur【YOUTUBEより】

1961年『キング・オブ・キングス』King of Kings
1961年『エル・シド』El Cid【YOUTUBEより】

1962年『ソドムとゴモラ』Sodom and Gomorah
1963年『予期せぬ出来事』The V.I.P.s


☆ヘイリー・ミルズ Hayley Mills (1946.4.18~ )



ディズニー・プロの子役スターとして人気者になったイギリス出身の女優です。
イギリスの俳優ジョン・ミルズと作家のメアリー・ヘイリー・ベルの次女としてロンドンに生まれました。
幼いころからバレエと音楽を学び12歳の時に映画『追いつめられて…』の子役でデビューして一躍注目を集めると、
翌年ディズニー・プロと5年契約を結び渡米、映画『ポリアンナ』で天才子役と評されてドル箱スターになりました。
1961年の『罠にかかったパパとママ』で唄った主題歌の『レッツ・ゲッツ・トゥゲザー』が全米8位のヒットとなり、
翌年の『ジョニー・ジンゴ』もヒットするなどでポップシンガーの仲間入りをも果たしています。
1966年には『ふたりだけの窓』で子役から娘役に転身、これが縁で32歳年上のロイ・ボールティング監督と結婚して
話題となりました。(1977年に離婚)

【主要出演作品】
1959年『追いつめられて…』Tiger Bay
1960年『ポリアンナ』Pollyanna

1961年『罠にかかったパパとママ』The Parent Trap【YOUTUBEより】

1961年『汚れなき瞳』Whistle Down the Wind
1962年『難破船』In Search of the Castaways
1964年『クレタの風車』The Moon-Spinners
1966年『ふたりだけの窓』The Family Way


↓はヘイリー・ミルズの『ジョニー・ジンゴ』【YOUTUBEより】



『4月17日』

2019-04-16 17:30:01 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆リンゼイ・アンダーソン Lindsay Anderson (1923.4.17~1994.8.30)



イギリスのニュー・シネマの旗手となって怒れる若者たちを描いた映画監督です。
陸軍に所属していた父親の駐屯先のインド・バンガロールで生まれました。母国に帰った後オクスフォード大学を卒業し、
映画雑誌『シークェンス』を創刊して編集に携わるなど映画批評家として腕をふるう一方、映画製作にも取り掛かり、
1954年に短編映画『木曜日の子供たち』、1957年のドキュメンタリー映画『ロンドンの夜明け前』によって頭角を現わし
ました。
この頃、イギリスで古い英国社会に対する反抗する怒れる若者たちをテーマにした文学がブームとなり、これに誘発された
映画人がフリー・シネマ運動を起こしました。トニー・リチャードソンやカレル・ライスと共にリンゼイ・アンダーソンも
その旗頭となってイギリス映画の革命に参加、1963年には初の長編劇映画『孤独の報酬』でやり場がなく苛立つイギリスの
青年像を描いて存在感を示しました。1968年の『If もしも....』で中高等学校を舞台に現実と幻想を巧みに織り交ぜて生徒
たちの革命意識を激しく爆発させました。
作品の数は極めて少ないながらも映画界に鋭い爪痕を残した映画作家の一人でした。

【主要監督作品】
1954年『木曜日の子供たち』 Thursday's Children
1957年『ロンドンの夜明け前』Every Day Except Christmas
1963年『孤独の報酬』This Sporting Life 

1968年『If もしも....』 If... 



☆ジョージ・シートン George Seaton (1911.4.17~1979.7.28)



脚本家出身で、幅広いジャンルの作品を撮ったハリウッドの映画監督です。
インディアナ州サウスベンド出身で、マウント・セント・ヴィンセント大学を卒業後に演劇界に入り、俳優-脚本-製作者を
つとめました。1933年にMGMの脚本部に入社し『聖処女』など数本の脚本を書いたのちに20世紀フォックス社に移って
1947年『三十四丁目の奇蹟』で初監督となっています。
その後もハート・ウォーミングな作品をはじめロマンチック・コメディからサスベンスなど幅広いジャンルで作品を撮り
続けましたが、残念ながらB級の域を出ることはありませんでした。

【主要監督作品】
1947年『三十四丁目の奇蹟』 Miracle on 34th Street 

1954年『喝采』 The Country Girl

1958年『先生のお気に入り』 Teacher's Pet
1961年『結婚泥棒』 The Pleasure of His Company 
1962年『偽の売国奴』The Counterfeit Traitor
1962年『零下の敵』 The Hook


☆ウィリアム・ホールデン William Holden (1918.4.17~1981.11.12)



アイドル青春スターから作品に恵まれて大スターへと昇り詰めたハリウッド俳優です。
父は化学者、母は教師という家庭にイリノイ州で生まれ、ジュニア・カレッジ在学中にパサディナ・プレイハウスに
所属して『キュリー夫人』の端役で舞台に立っていたところをスカウトされました。1939年に『ゴールデン・ボーイ』
で映画デビューし、持ち前のアイドル系ルックスで青春スターとして活動を続けました。
転機となったのは1950年の『サンセット大通り』で大人の性格俳優となり、1953年の『第十七捕虜収容所』における
好演でスターの座を勝ち取りました。その後も『麗しのサブリナ 』『慕情』『ピクニック』などのヒット作にも恵まれて
まさにハリウッドの『ゴールデン・ボーイ』を地で行く大スターへと昇り詰めました。

【主要出演作品】
1939年『ゴールデン・ボーイ』Golden Boy
1950年『サンセット大通り』Sunset Boulevard

1953年『第十七捕虜収容所』Stalag 17

1953年『月蒼くして』The Moon Is Blue
1953年『ブラボー砦の脱出』Escape from Fort Bravo
1954年『重役室』Executive Suite
1954年『麗しのサブリナ 』Sabrina

1954年『喝采』The Country Girl
1954年『トコリの橋』The Bridges at Toko-ri
1955年『慕情』Love Is a Many-Splendored Thing

1955年『ピクニック』Picnic

1957年『戦場にかける橋』The Bridge on the River Kwai
1958年『鍵』The Key
1959年『騎兵隊』The Horse Soldiers
1962年『偽の売国奴』The Counterfeit Traitor
1963年『パリで一緒に』Paris-When It Sizzles
1969年『ワイルドバンチ 』The Wild Bunch


☆オリヴィア・ハッセイ Olivia Hussey (1951.4.17~ )



1968年の映画『ロミオとジュリエット』の主役として一瞬輝いたイギリスの女優です。
アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、2歳の時に父親と死別して、8歳で母親の母国イギリスに渡りました。その後
イタリアのコンティ演劇学校に学び舞台の『ミス・ブロディの青春』に出演していた時にデルマー・デイヴィス監督に
見出されて1965年『湖愁』の子役で映画デビュー、1968年には『ロミオとジュリエット』の主役に抜擢され、弱冠17歳で
ジュリエットを演じて一気に人気女優になりました。
残念ながらその後はなかなか役につくことができず、テレビ出演やB級作品に甘んじています。

【主要出演作品】
1965年『湖愁』The Battle of the Villa Fiorita

1968年『ロミオとジュリエット』Romeo and Juliet



☆クリス・バーバー Chris Barber (1930.4.17~ )



トロンボーン奏者で作曲・編曲家、ジャズ・バンドのクリス・バーバー楽団のバンドリーダーです。
統計学者の息子としてハートフォードシャーのウェルウィンガーデンシティで生まれました。 
イギリス・ロンドン市立の名門の学校であるギルドホール音楽演劇学校で学び、18歳の時には自己のバンドを結成するなど
ジャズに興味を示し、1953年にはケン・コリアーのバンド結成にも協力しています。
クラリネット奏者のシドニー・ベシエが自作自演した『小さい花』を 1959年にアレンジしてイギリスで最も人気のある
ミュージシャンの一人となりました。1959年2月には米国に渡り、モンタレー・ジャズ祭にも出演するなど幅広い活動を
続けました。1960年代以降はテレビ・ラジオ等にも出演し、70~80年代にかけて自己の伝記的作品を制作するなど現在も
音楽活動を続けているようです。
代表作は前述の『小さい花』なのですが、他に『聖者の行進』『世界は日の出を待っている』『Can't We Get Together』
などのニューオーリンズ系の軽快な演奏が有名で、ラジオ関西の電話リクエストの真夏の定番曲『アイス・クリーム』 は
関西地方ではお馴染みの名曲となっています。

↓はクリス・バーバー楽団の『小さい花』【YOUTUBEより】


↓はクリス・バーバー楽団の『アイス・クリーム』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ディアナ・ダービン Dianna Durbin (1921.12.04~2013.4.17)



美声を武器に音楽映画の少女役で活躍したアメリカの歌手・女優。
主な出演作品として『天使の花園』『オーケストラの少女』『アヴェ・マリア』『庭の千草』などがある。