ちねんの部屋

劇団鳥獣戯画主宰 知念正文の日記

第七弾

2021年09月30日 | Weblog
赤染衛門(956〜1041)
藤原家に仕え、藤原家の「栄華物語」を書き残した。歌人としても優れていた。
良妻賢母の誉れも高く夫をよく支え、息子が病に倒れた時、
「自分の命と引き換えに助けて下さい」
と祈願し、息子を回復させたという。
このエピソードや清少納言・紫式部・和泉式部とも交流があり慕われていたことは、「魔清具」の重要な柱になっている。
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第六弾

2021年09月25日 | Weblog
和泉式部 978〜1030
恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と評されるほど。同僚の紫式部は「恋文や和歌は素晴らしいけれど、素行には感心できない」。優れた和歌が数多く残されせていて、その才能は赤染衛門と並ぶとも。
恋の顛末を書いた物語仕立ての「和泉式部日記」が有名。けれど、本人の作でない、という説も。
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第五弾

2021年09月21日 | Weblog
第五弾
清少納言(966〜1025)
清少納言の手による「枕草子」は、斬新な手法で注目を集めた。また、清少納言が仕えた、一条天皇の妃・定子がもつ文化的なサロンには、多くの貴族たちが寄り集った。そして、その中での清少納言の当意即妙の受け答えは、宮中の注目を集めた。
藤原道長は、権力を握るために、自分の娘・彰子を無理矢理、一条天皇の妃にして、前代未聞の二人正室にした。そして、定子のサロン羨み、紫式部・和泉式部・赤染衛門を召抱えた。 

「魔清具」では、清少納言と紫式部と一緒に歌を詠むけれど、実際には、お互いの存在をかなり意識していたものの、出会ったことはないとされている。
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第四弾

2021年09月12日 | Weblog
第四弾
そろそろ、「魔清具」のお話の中心人物について、お話ししましょう。まずは、紫式部から。

紫式部 970〜1019
作家、歌人、女房(女官)
父の藤原為時は、天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人。紫式部は藤原宣孝に嫁ぎ、一女をもうけた。しかし、結婚して3年後に夫が死去。その後『源氏物語』を書き始め、その評判を聞きつけた藤原道長に召し出されて、道長の娘で、一条天皇の妃・彰子に仕えた。『紫式部日記』では、宮中の様子を伺い知ることができる。また歌人としても優れ、多くの歌を残している。
光源氏のモデルは道長、道長に言い寄られた、という話も。
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第三弾

2021年09月07日 | Weblog
第三弾
貴族の主な仕事は、書類を吟味したり、会議を開いたり。中でも、重要だったのが、多くの年中行事を立派に執り行うことでした。
あとは、ひたすら遊び。和歌を作ったり読んだり、貝合わせ、虫合わせ、花見、月見、紅葉狩り、蹴鞠(けまり)などなど。平安の文化は、この中から作られていきました。
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