ちねんの部屋

劇団鳥獣戯画主宰 知念正文の日記

5月6日

2005年05月25日 | Weblog
「1 2 3 4 で、4の裏で、こういう形になるんだよ」と踊りの振りを渡していくのが振付け師なんだろう。ところが、ボクの場合は、「こうなって、トンとなって、ツツツーといって、パシッと止まるわけ。ポーズは目の前の女の子2・3人をまとめてモノにする感じで」という風なのである。すると、「それは、カウントで言うと、どのカウントで回って、進んで、決まるんですか?それに、女の子をモノにするってポーズは、どんな角度なんですか?」と踊り手たち。「だからさ…」また、トンとかツーと言い始めると、踊り手さんの表情は険しくなっていき、諦め顔になっていき…。すると、モノの分かった助手や気の優しい踊り手のチームリーダーあたりが、「だから、知念さんの振りはね」とカウントと動きを結び付けて図解してくれる。踊り手さんたちも、やっと理解したようでのそのそ動き始める。ボクは「ヘエー、そうなんだ」と一方では感心しきり。そうこうしていると、「知念さん、ここの振りは無理がありますね、こうやってもいいですか」と言って来る。「うん、いいよ、いいよ」と言うのだが、「どうでもいいよ」という気分になってくる。だって、ボクがやりたいのは、「こうなって、トンとなって、ツツツーといって、パシッと止まって、前の女の子2・3人をまとめてモノにする」振りなんであって、図形がきっちり動いていくようなんじゃないんである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月5日

2005年05月22日 | Weblog
役作りの試行錯誤が面倒で、演出家からダメを食わないように、正解を聞いて近道をしてしまおうというタイプがいる。
稽古の始めの段階で、作品の内容、それぞれの登場人物の役目、おおよその出入り、などを話す。あとは、それぞれの俳優さんが、何を出してくるかジッと待っている。それは、ボクと俳優さんのこれまでの人生や生理は自ずと違っているので、台本の受け止め方やそれに対する俳優さんたちの表わし方は、こちらのイメージ通りにならないに決まっているからだ。出てきたところで、それをどうやって一つの流れにするか、いろいろ考えるのだ。
出て来る前に口を挟んだら、その俳優さんの本当の中身が出て来ない。他人のイメージ通りを演じたら、役が一般的なつまらないものになってしまう、と思うのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月4日

2005年05月17日 | Weblog
映画などのコピーに、よく「感動的」とか「涙が止まらない」とか書かれていることが多い。それを見ると、行きたくないな、と思ってしまう。きっと、良い作品なのだろうが、感動や涙は個人差があって、ボクは感動しないかもしれない、涙を流さないかもしれない。それを始めっから、あなたは感動する、涙を流す、と言われると、十把一からげにしないで欲しいと思ってしまうのだ。舞台でも、笑わせてやるぞ、泣かせてやるぞ、という意志が見え見えだと、白けちゃうでしょ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月3日

2005年05月16日 | Weblog
演出をしていると、「あの、ワタシにダメ出しは…」と聞いて来る俳優がいる。ダメ出しがないと俳優は不安になる。
※ダメ出し…俳優やスタッフに注文や訂正を言うこと。
そこで、自分がダメ出しをしない時を考えた。
其の一 俳優さんの演技に問題がない時
其の二 俳優さんのアイディアを待っている時
其の三 適切なアドバイスが浮ばない時
基本的に役のラインやドラマの流れをその俳優さんが押さえていれば、何も言うことはない。その俳優さんがもっとよくするために努力をすればいいし、こちらも、もっと面白くなるために「こういうのは?」「ああいうのは?」と刺激を与えるのは続けていくけれど。で、問題なのは其の三の場合。なんと言えばいいか分らない場合。演技の基礎が出来ていない人、妙なクセがもうその俳優さんの演技の基本になっている人、性格や精神が一通りでない人。それで通用してきちゃった人、など。そういった人には、何が説得力があるのか悩んでしまう。演出家と名がつけば、言う言葉には、それなりの重みがあるから、俳優さんだってそれについて考える。だから、迂闊に、雰囲気でモノを言ってはいけないと思って、言い出すまでに時間がかかってしまう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月2日

2005年05月13日 | Weblog
俳優さんをギリギリまで追い込む演出家がいる。執拗に一部を繰り替えさせたり、罵声を飛ばしたり、灰皿を飛ばしたり…。まあ、作品によっては、俳優さんによっては、それが功を奏する時がある。けれど、ボクが携わる作品は、幸いにもそういったタイプの作品がない。それでも、三年に一度くらいは爆発する。それは、稽古場に怠惰な空気が流れた時や礼儀をわきまえない振舞いが目に余る時だ。だからといって、稽古中、いつも平静でいる訳じゃない。それどころか、演出をしているほとんどの時間はジリジリしている。というのも、演出のボクにはシーンのイメージは一応出来ているのに、俳優さんが実現出来ていない時が多いからだ。そりゃそうだ。イメージすることは容易いが、それを肉体化することには時間がかかる。「わかっちゃいるけど…」という時間があるのだ。それをやいのやいのと言ってはいけない。と思うから、口に出せないだけイライラジリジリする。しかし、ここで、我慢せずにとやう言ったりすれば、ボク自身のイメージをなぞることは出来ても、俳優さんたちから出て来るその俳優さんらしい演技や思いがけない演技は望めなくなる。だから、待つ。しかし、無期限に待っているわけじゃない。この時期にはこのくらいの段階に劇が作られていなければならないというラインにはたどり着いているように、ダメを入れていく。その段階にいない俳優は、急がせてそこに行くように尻を叩く。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする