場当たりは、稽古場でやってきたことを実際の劇場に移すための作業だ。出来るだけ稽古場で劇場に近い形で作業をしてくるのだが、袖中の状態、舞台や客席の高さ、音の響きなどは、劇場に入らなければ分からない。そして、なによりも重要な位置を占める照明がここにきて初めて参加するので、それへの対応を急に考えなければならない。日本では、劇場を使っての稽古時間は極めて短いので、この膨大な新たな情報に対する演技の練り直しは、ハードワークだ。
台詞と肉体は激しくぶつかる。役のイメージが出来ておらず、台詞の理解が出来ていないと、肉体に非常な無理が来る。だから、台詞と肉体が納得出来る地点を目指す。何度もいろいろな角度から挑戦する。そして、うまく出会った時、台詞がスルッと出てくる。これは、けっこう遠い道のりだ。
脚本を書く時に、見て頂くお客さんの層を考えます。ボクは、幼児向けから、大人向けまでの作品を書きますので、その知的範囲・精神範囲・センス範囲を考えます。でも、問題は、見る側も演じる側も知的レベルが下がってきているように感じることです。日本語の使える範囲が、どんどん狭くなって行くように思います。テレビの影響かも知れません。日本語が失われていくような危機感を感じます。ですから、少々、お客さんが分からなくても良い日本語はぶつけようと思っています。意味は完全に分からなくても、雰囲気が感じられれば、よしということで。
クライアントがいる場合の台本の書き方。クライアントは自分の商品の性質・売り方を知っているから無視することは出来ない。けれど、自分の色は出したい。その色がクライアントを納得させることができるレベルがあればOKだが、納得してもらえなければ自分の力不足として相手にあわせる他はない。