ちねんの部屋

劇団鳥獣戯画主宰 知念正文の日記

10月27日

2021年10月27日 | Weblog
自分のリズムでしか演技ができない俳優さんが多い。ドラマのリズムというものを作れない、さらにはドラマのリズムというものが分からない。
映像の場合は、監督やディレクターや編集者がリズムを作ることが出来るけれど、舞台では俳優がそれをやらなければならない。舞台俳優は多くの要求に応える力を蓄えなければ。
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10月26日

2021年10月27日 | Weblog
鳥獣戯画の作品には、音楽が欠かせない。
音楽とくんずほぐれつしながらドラマが進んでいく。その音楽は、すべて雨宮賢明氏の手によるもの。けれど、フィナーレの一曲だけは、「怒髪天」の「駄反抗王」を使わせてもらっている。それは、ボクたちの今の心情そのもの。劇場に来られなかった方も、是非、聞いてみて下さい。
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10月26日

2021年10月27日 | Weblog
鳥獣戯画の作品には、音楽が欠かせない。
音楽とくんずほぐれつしながらドラマが進んでいく。その音楽は、すべて雨宮賢明氏の手によるもの。けれど、フィナーレの一曲だけは、「怒髪天」の「駄反抗王」を使わせてもらっている。それは、ボクたちの今の心情そのもの。劇場に来られなかった方も、是非、聞いてみて下さい。
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10月25日

2021年10月25日 | Weblog
三日目が終わった。
聞いた話だと、ブロードウェイでも、手直しを繰り返して作品を育てていくという。それに倣うわけじゃないけれど、ボクも千秋楽まで手直しをする。
明日、新しい場面を入れようと思う。
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10月24日

2021年10月25日 | Weblog
「魔清具」ザ・スズナリ公演は、2日目を終えた。1日目は、客席はこちらの意図通り湧いたけれど、2日目は。同じ作品をやっていても、お客様によって流れは変わる。3日目は、どうか、と祈るばかり。
10月31日まで、下北沢ザ・スズナリにて公演。
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第十弾

2021年10月12日 | Weblog
第十弾
藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)
日本で最も美しい女性三人のうちの一人と言われている。当時一番の権力者の妻の一人で、その生活などを「蜻蛉日記」につづった。

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)
10歳頃から50歳頃までの人生を回想した「更級日記」の作者。藤原道綱母は叔母にあたる。「源氏物語」五十余巻を昼夜を問わず読み耽ったという、物語に対する情熱が高かった。

紀貫之(きのつらゆき)
「古今和歌集」の選者。歌人として絶対的権威者と言われている。散文作品に「土佐日記」がある。日本の日記文学の中では最も古いもの。その後の仮名日記文学や随筆、女流文学の発達に多大の寄与をした。

「魔清具」では、この三人は狂言回しの役割をしているけれど、日本文学において、大きな足跡を残している人々。
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第九弾

2021年10月06日 | Weblog
第九弾 道長の野望の犠牲になった人々。

三条天皇
天皇に即位すると、藤原道長が自分の娘を強引に妃にし、二人正室となった。三条と道長は対立。三条が眼病にかかると、道長は譲位を迫った。折も折、二年続けて天皇の住まいが火事で焼失することなどもあって、譲位を承諾した。

藤原伊周(ふじわらのこれちか)
藤原道長の甥にあたるが、地位は道長よりも高かった。また、妹の定子は天皇の妃であった。ところが、道長によって追い落とされ、さらに罪を着せられ遠国へと流されてしまう。
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第八弾

2021年10月04日 | Weblog
藤原道長(966〜1028)
摂政関白太政大臣の五男に生まれた。とても権力を握る位置ではなかったが、競争相手が次々に死亡・失脚、さらには追い落とし、政権のトップに。三人の娘を歴代の天皇の妃にして(一家三后)、朝廷をも掌握。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の虧(かけ)たることも なしと思へば」
世界は、自分(道長)のためにある。満月のように足りないものはない
紫式部・和泉式部・赤染衛門などを召し抱え、平安文化を育てた。「源氏物語」の光源氏のモデルかも。
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第七弾

2021年09月30日 | Weblog
赤染衛門(956〜1041)
藤原家に仕え、藤原家の「栄華物語」を書き残した。歌人としても優れていた。
良妻賢母の誉れも高く夫をよく支え、息子が病に倒れた時、
「自分の命と引き換えに助けて下さい」
と祈願し、息子を回復させたという。
このエピソードや清少納言・紫式部・和泉式部とも交流があり慕われていたことは、「魔清具」の重要な柱になっている。
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第六弾

2021年09月25日 | Weblog
和泉式部 978〜1030
恋愛遍歴が多く、藤原道長から「浮かれ女」と評されるほど。同僚の紫式部は「恋文や和歌は素晴らしいけれど、素行には感心できない」。優れた和歌が数多く残されせていて、その才能は赤染衛門と並ぶとも。
恋の顛末を書いた物語仕立ての「和泉式部日記」が有名。けれど、本人の作でない、という説も。
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