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広島・安芸高田市のお城

2007年05月21日 | お城(中国)

既に3週間も経っちゃいましたが、GWの中国遠征報告の続きに戻ります。
安芸高田市の毛利氏本城である郡山城まで紹介したので、その続きから~

琴崎城  安芸高田市吉田町小山
個人宅を通って登る事になるので、お家の方と少し話をしました。最初に私の姿を見て、「靴は大丈夫そうだけど、女性だと無理では?」と言われたので、「山には慣れてるから」と言ったのですが、この山にはあちこちに獣用の罠が仕掛けてあるため、それにハマらないよう、仕掛けをまたいで乗り越えていかなければいけないと言われ、かなり大変というか危険そうです。登る事に了解は得たものの、危険を冒してまでと思いやめちゃいました。
他の登り口としては、山の反対側の祠付近からも登れるかも?とのことでしたが、全体に網が張ってあり、かなり獣に対して厳重装備された山だったので、やっぱりあきらめました。

鈴尾城  安芸高田市吉田町福原
登城道は整備され、登り始めて7分程で居館跡に着きます。そこから更に8分程登ると本丸へ。本丸は狭いですが城址碑があり、眺望がとてもよいです。石垣が少しだけあり、本丸南には堀切があります。

桂城  安芸高田市吉田町桂
登城道は整備され、5分程登ると尾根に着き、正面にお城の説明板があります。このお城は西・中央・東の三つに分かれており、ここから右手が西郭群で3分も進むと掘切があり、北・南西方向に延びる尾根上に小郭を配し、土塁もあります。左手には中央郭群と東郭群があり、中央郭群は説明板から5分弱で着き、最高所で北東に延びる尾根上に堀切と郭を並べていて、見張所の役目をしていたと考えられます。東郭群は時間の都合でパスしました。全体にこじんまりした雰囲気でまとまっているといった感じです。
山の東麓には、桂広澄のお墓もあります。

長見山城  安芸高田市甲田町下小原字内長見
登城口から2分程登ると、広い削平地に出ます。道路から山を見たとき、こっちの方に堀切らしきものが見えたので、このまま真っ直ぐも城域かと思いますが、道はここから左方向へ戻る感じになっていたので、そのまま登城道を行きました。3分程進むと本丸に着きます。本丸には社があり、その前に城址碑があります。また、土塁の名残もあり、南側には帯曲輪があります。更に西へ行くと堀切らしきものがあり、4段の曲輪があります。
城跡がある山の斜面に、お城について刻まれた石がありました。

五龍城  安芸高田市甲田町上甲立
神社の鳥居付近に城址碑や説明板があり、ここから登ります。道は整備され、いきなり急な階段を登りますが、3分程で社殿がある尾崎丸に着きます。ここから本丸まで429mの表示があり、思ったより距離がなく、登りも大したことがなかったため、本丸までここからあちこち見ながらでも約20分で到着しました。

本丸背後の堀切を隔てて一位の段があり、ここには祠があります。その先の櫓の段、立派な土塁や堀切を越え右手に少しそれると釣井の段(大きな井戸があるけど、倒木などで見にくかった)、三の丸、二の丸と続きます。かなり広い曲輪で、適度に木々も伐採されて見通しもよく、切岸を見上げるとかなり感動します。更に桜の段、姫の丸と続き、本丸があります。

本丸には高い土塁があり、そこには石垣もあります。更に背後には立派な堀切があり、更に曲輪が続きます。このお城は破城になったのか、あちこちに崩れた石があるのが何ともいえない良い雰囲気を醸し出しています。また、所々に残る立派な石垣もステキ☆特に本丸側面や背後に多く、ダイナミックな山城で十分堪能できます。今回の遠征で一番お気に入りになったお城です。オススメ!
※写真は、五龍城の崩れた石

まだ、広島県のお城に続きます。

広島・毛利氏のお城

2007年05月09日 | お城(中国)

3日目の最初は、毛利氏の本城へ行きました。まずは猿掛城から。

猿掛城  安芸高田市吉田町多治比
教善寺手前の第3駐車場から本丸へ登りました。登城道は整備され、駐車場から3分も登ると左手に段郭が見えてきて「寺屋敷曲輪群」となります。更に2分程登ると立派な竪堀が見え、寺屋敷から5分程で本丸に着きます。説明板には駐車場から20分と書いてあったけど、10分で到着と思ったよりラクラク。車で随分上まで上がれたおかげです。

本丸北側には櫓台があり、南側には土塁があります。更に南には大堀切があり、幅が広すぎて写真に収まりません。2本の堀切を越えると一騎駆けがありました。このまま尾根伝いに南へ進むと物見丸となりますが、時間の都合でパス。

下山して、教善寺のお堂に向かって左手(北)の出丸へ行きました。出丸の本丸が頂部で、その南が二の丸、西が三の丸となり、土塁があります。この出丸は山城を築く前の古いお城のようですが、眼下に町並みを見下ろせ気分がいいです。

また、第3駐車場の手前約250mの所にも駐車場がありますが、ここには毛利元就の父である弘元の立派なお墓があります。ここから物見丸へ登る事もできるのですがパスして、お墓の手前にあった東屋みたいなところにあったノートに、名前を記帳しておきました。

城跡は整備されているし、お城のあちこちに案内板が行き届いて、とても分かりやすかったです。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/sarukake.html


郡山城  安芸高田市吉田町吉田
以前来た時は資料館から歩いて登り、旧本城から本丸まで順番に見たので、今回は毛利家墓所から登りました。こっちからの方が車で上の方まで上がれるので、距離は800mあっても、上りはそれ程なくて楽です。でも、旧本城を見るなら、麓から登ったほうがいいかも?

立派なお墓を見て、登城口手前にある東屋の壁の縄張図や説明板を見て登り始めました。3分程登ると嘯岳禅師のお墓があり、更に10分程進むと竪掘が見えてきて、あと2分程で「御蔵屋敷」に着きます。御蔵屋敷には石垣がちらほら見えます。ここから順番に三の丸、二の丸、本丸へ行き、背後の羽子の丸や井戸がある釣井の壇、釜屋の壇など城郭中心部を見て、南側の勢溜の壇、満願寺跡などを見ました。

全体に城跡内は整備され、案内や説明板も充実し、とても見やすく分かりやすいです。城域も広く、遺構の状態もいいのでかなり楽しめます。資料館近くの「安芸高田少年自然の家」は居館跡で、毛利元就の像があります。

広島・吉川氏のお城

2007年05月08日 | お城(中国)

駿河丸城  北広島町(大朝町)大朝字間所
ここは吉川氏が駿河国から移ってきて最初に築いたお城。
登城口に縄張図付きの説明板がある。ここから5分も登れば、左手に二の丸の高い切岸が見えてくるけど、先に本丸へ~。二の丸の東側を歩くと右手に本丸があり、土塁が巡っている。その背後(北)には横堀があり、更に北にも曲輪がある。縄張図にはそんなにきっちり書いてないけど、北側の方が見ていて楽しい。空堀が湾曲して入り込んだりと技巧的な造りなのだ。最後に二の丸を見て帰った。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/surugamaru.html

小倉山城  北広島町(大朝町)新庄字小倉山
約70年、駿河丸城に居城した吉川氏だが、4代目経見の時、この城を築いて移った。毛利元就の正妻・妙玖はこの城で生まれた。元就の次男・元春は母方の実家に養子に入ったのだ。
登リ口手前にはとても広い駐車場が完備されていた。こんな広い駐車場、何で必要なの?と疑問に思ったが、大河ドラマの時に整備したようで納得。当時はこれだけの駐車場がいっぱになったのだろうか。この日は私の車以外は全くなかったけど。。。
登リ口である城址碑から二の丸方面へ登り始めると、すぐに屋敷跡のような曲輪が見え、5分もかからずに二の丸が見えてくる。先程の駿河丸城といい山城といっても楽城だ。
二の丸から御座所跡や北の曲輪を見下ろす景色がとても気持ちよく、本丸切岸の高さに圧倒される。御座所跡の西側には大堀切があり、広い御座所跡を堪能して本丸へ登っていくと、建物礎石や門跡などが見られる。本丸西側には石積みもあり、本丸から北の三の丸方面へは竪土塁まである。

全体に広々とした曲輪が配置され、城跡内が一望でき、あちこちから見渡せ、青空に芝が映えて、とにかく本当に気持ちの良いお城で、大満足だった。今回の遠征で、五龍城と共に、お気に入りになったお城だ。http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/ogurayama.html

日野山城  北広島町(大朝町)新庄
吉川氏が小倉山城を170年間本城としていたが、11代目元春がこの城を本城に移した。もともとあったお城を大幅に改修したようだ。

登城口に駐車場があり、そこから登ると城跡の東側から登る事になる。暫く沢沿いの岩場を登り、駐車場から約25分で中城跡に到着。そこから堀切などを見て約10分で向中城跡につく。道はあるものの藪が結構あり、ここから更に笹が生い茂っていて遺構が見難い。このお城は、夏場だともっと藪がひどくなるだろうから、登城道も分からなくなるのではないかと思う。しかも、登城道に蛇が居たので、これからはもっと危険かも?

向中城から5分程東へ歩くと石積みの虎口があり、その先に広い曲輪がある。周囲の曲輪の高い切岸が見えて、谷間にある曲輪といった雰囲気に感じる。広い曲輪の北東には姫路が丸があるが、広い曲輪の西側から一旦北へ進み、先程の広い曲輪の北西側で西へ進んで行くと約5分で本丸だ。途中、段郭や土塁、石積みがあるけど、思った以上に藪だらけで見えないのが何とも残念。本丸の北に三の丸、更に北西に出丸があるが、特に三の丸の藪は酷くて入れなかった。

実は、今回の遠征前に毛利元就、吉川元春、小早川隆景の本を読んだが、一番気に入った武将がこの吉川元春だった。それだけに、本城としたこの城を楽しみにしていたので、藪状態にがっくりだった。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/hinoyama.html

吉川元春館  北広島町(豊平町)志路原字海応寺
居館の東正面に石碑があり、そこから入ると正面に石垣が見える。北側には石切跡もあり、いきなり楽しめる。館内はとても広く整備されており、土塁や台所などが復元され、建物礎石や庭園遺構もあり、見応えがある上、芝が映えて気持ちいい。館の南側には立派な空堀もあり、西側には元春・元長のお墓もあった。

また川を挟んだ対岸の北西には元春の妻が日野山城から元春館へ移るまでの間住んでいたといわれる松本屋敷(姫屋敷)があり、石垣が残っていたが、中は田んぼだった。http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/kikkawamotoharu.html

2日目はこれで終了。見たかった吉川氏のお城が全部見られて、とても満足だった。

岩国城ほか

2007年05月07日 | お城(中国)

遠征2日目は、岩国城からスタート。このお城だけ山口県です。この日は錦帯橋まつりをやっていて、朝から既に駐車場があちこち満車。まつりだと全然知らなかったので、あまりの人の多さに観光地は違うなぁと思っていました。帰り際に祭りのポスターを見てびっくり。私が駐車場から出る時は、既に待ってる車がズラリと並び、大渋滞になっていました。

岩国城  岩国市横山
錦帯橋越しに見える模擬天守もいいですが、やはり近くで見たいもの。ロープ-ウェイで山頂に上がると、右手の山道と左手の平坦道の2つの道がありますが、平坦道を行くと左手に井戸を過ぎ、城域東側から順番に見られます。本丸と北の丸の間の大空堀に圧倒され、天守台石垣などをはじめ、あちこちの大きな石を使った石垣が楽しめます。模擬天守を見て、山道コースでロープーウェイ山頂駅へ戻るとあちこちの遺構が見られます。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/yamaguti/iwakuni.html

その後、山麓の居館跡や長屋門など、あちこち散策しました。町の雰囲気が落ち着いていていい感じなのですが、人が多いし、公園でイベントをやっていてうるさかったりで、段々人込みに居るのがイヤになってきちゃいました。

八木城  広島市安佐南区八木5丁目
城跡は個人宅の横を通った背後の山ですが、谷を隔てた権五郎神社まで城域のようです。神社の背後には段郭がありました。また本丸のある方の山はつつじが沢山植えられており、とてもキレイだったです。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/yagi.html

熊谷氏館  広島市安佐北区入南1丁目11
館跡は駐車場となっていますが、説明板や碑があり、石垣や門跡も残っています。L字型に土塁もあり、お気楽に楽しめます。http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/kumagayasi.html

高松城  広島市安佐北区高松山
熊谷氏館の背後にある山城。獣避けのためのフェンスの戸を開けて山へ入って行きます。少し登りかけたのですが、比高300mということで、ここで時間を費やすとその後の予定の城へ行けなくなると思い直し、帰ってきちゃいました。
この日は、吉川関連のお城を沢山巡る予定だったので、そっちの方が楽しみで、さっさと諦めがつきました。

*写真は、岩国城山頂からの景色

広島のお城(鏡山、広島、桜尾城)

2007年05月06日 | お城(中国)

鏡山城 東広島市西条町御薗字
公園入口に城址碑があり、城跡への案内もある。本丸まで約1kmあり、城跡の東側から入り、順番に西へと本丸へ向かうことにした。途中、城跡東側にある竪堀が見え、南側の堀切や畝状竪堀も見られるが写真ではただの藪。そこから上がった右手が5郭で、そこから南西へ下りると4郭、西側の3郭を通って、2郭、本丸(御殿場)がある。本丸背後(西)には立派な堀切が2本あり、そのまま本丸下北側を東へ進むと、畝状竪堀や井戸が見られる。井戸は5郭など他の郭にも2つあった。
遺構の状態はいいのだけど、藪で畝状竪掘が見にくいのがちょっと残念!
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/kagamiyama.html

広島城 広島市中区基町
まずは護国神社の鳥居から公園内に入り、天守方向へ。土塁や石垣を見て歩く。公園内から見る模擬天守は何だかイマイチ。ぶらぶら歩いて、公園の南西側に復元されている門や櫓を見た。なかなかカッコイイ!模擬天守は水堀越しから見た方がいい感じ♪
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/hirosima.html

桜尾城 廿日市市桜尾本町
城跡は桂公園という丘陵上にあり、上まで車で上がれてラクラクだ。でも、公園に遺構はなく、宮島もかろうじて見える程度。南側を必死に見るが、建物に邪魔されてしまうのだ。ここが厳島合戦の毛利氏本拠だったとか、桂元澄の寝返り作戦が上手くいったんだなぁなどと感慨深く海を眺めるも、今は何もないのが残念!公園入口に城址碑と説明板があった。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/sakurao.html

この後、高速をとばして山口県の柳井へ。柳井の町並みを見たかったのだ。17時過ぎに着いたら、町並みには人がおらず、ひっそりしていて夕日がキレイだった。古い町並みはあちこち良く見に行ってるけど、ここの町並みは保存された地域が広く、歩き甲斐がある。しかも人が居ないのが私だけの道って感じでいい。古い町並みって、早朝でもよく人が居たりするから、これからは夕方を狙おうと思ったのだった。

ちなみに、柳井は柳と井戸が地名の由来になっていて、その柳と井戸がとあるお寺にあった。

1日目はこれで終了。宿でのんびり過ごしたのだった。

広島のお城(高山城・新高山城)

2007年05月05日 | お城(中国)

今回、広島を中心に中国地方のお城を回ろうと思ったので、行く前に毛利氏関係の本を読もうと、オススメの本を教えて~!と1ヶ月程前に掲示板に書いたのだけど、特に情報なし。大好きな司馬遼太郎氏が毛利氏の本を書いてないので悩んだ末、簡単に読めそうな毛利元就・吉川元春・小早川隆景の小説を読んで少しだけ予習。でも、少しでも知ってると、お城巡りの楽しさは倍増していいですね。これからも、ちゃんと予習して行くようにしようっと。

最寄のSAで一夜を過ごしたんだけど、フルフラットになる車のおかげで、ぐっすり7時間程熟睡して、体調バッチシ。広島入りして、まず最初は小早川関連のお城へ~。

高山城 三原市本郷町本郷
登城口はすぐ分かり、登りだした。比高186mとあるけど、車で坂を上がってきてたので、実質100m程度かな?15分も登ると左手に竪掘が見えてきて、右手には石垣も見える。2本目の竪掘を過ぎたら堀切に出た。一体ここはどこ?分からないので適当にあちこち見ることに。でも、縄張図を持っていなかったので、歩いても分からない。頭の中に歩いた場所の配置図を描いていくが・・・

後から頭の中の配置図と縄張図を照合すると、多分、出丸と南丸の間の堀切に出て、そこから左手の南丸へ入り、更に奥へ進んで「イワオ丸」へ行った。この手前に本丸への案内があったけど、後から行くことにし、イワオ丸から鞍部を隔てて権現丸へ行った。(城跡に居る時は、曲輪の名称はイワオ丸以外は当然分かっていない)縄張図がないので、雰囲気からしてここが本丸と思い込んだのが運の尽き?イワオ丸手前の本丸の案内は何だったんだ?と不思議に思うが、権現丸が本丸に思えて仕方ない。更に奥にも曲輪は続くが、本丸と思い込んだ権現丸に京屋敷の案内札があり、それがイワオ丸へ戻る方向だったので、そっちへ行ってみた。

鞍部から下ると屋敷跡の雰囲気で、石垣が沢山見られる。ここが京屋敷だと思い、下へ更に下る道があったので途中まで行ってみるが、本丸の表示が気になったので、引き返してイワオ丸手前まで戻り、本丸方面へ行ってみる事にした。ところが、この道が藪だらけで、大丈夫か?と不安になってきた。これだけ整備されてる城なのに、本丸への道が未整備なんて信じられない・・・と思えてきて、やはり先程の権現丸が本丸か?と思い、案内表示を疑いだす。藪だし、道は下って行くしで、本当に本丸へ行けるのか不安でいっぱいになり、結局途中で引き返してしまった。

でも、現地の案内表示は信じるべきだった。あの道を下っていくと馬場を隔てて本丸があったのだ。ガーン!帰ってから調べて本丸に到達していなかったことを知り、かなりショックを受けたのだった。このお城、H型をしていて、私は西側尾根しか歩いていなかったようだ。東側尾根の曲輪群の方が見応えがあり、本丸は東側尾根にあったのにぃ!と思うも後の祭り。でも、西側尾根だけでも十分楽しめたからと自分を慰めたのだった。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/takayama.html

新高山城 三原市本郷町本郷字塔の岡口
高山城から沼田川を挟んだ対岸にあるお城で、下から見るとかなり急峻といったイメージ。でも、登ってみるとそれ程でもなかった。このお城は縄張図を持って入ったので、隅々までちゃんと回った。

登城口から5分も歩くと鳥瞰図の付いた説明板があり、そこから10分も登ると番所跡だ。番所跡は3段から成り、土塁や石積みが見られる。番所跡の背後に堀切があり、その上が匡真寺跡で結構広い。というか、どの曲輪も広くて気持ちいい。そこから竪掘や石段を登りながら10分程歩くと中の丸だ。中の丸から右手(東)へ進むと大手門跡を見て本丸となる。本丸奥には一段高い詰の丸があり、石仏が沢山祀ってあり、対岸の高山城が見える。ただ、高山城もだったけど、蜂が沢山飛んでいて結構怖い。毘沙門天も祭ってあり、うーん、元就の息子だけに・・・と思ったりする。

本丸の北側には釣井の段という井戸曲輪があり、井戸が6つもある。石組みの井戸で見応えがあり、石垣も見られる。釣井の段の西側には一段高い曲輪があり、空堀を通って中の丸に一旦戻り、今度は中の丸の西側にある、西の丸、北の丸などが続く曲輪群へ。その後、下の方にある鐘の段へ行ったが、こっちは古い年代の城のようだけど、曲輪はとても広く、空堀が巡っていて分かりやすい。

全体にとても見応えのあるお城で、遺構も見やすく、とても楽しめ、大満足だった。特に新高山城は、一見単純な縄張のようだけど、無駄なく、緻密で技巧的と思える部分があり、小早川隆景らしいと思えたのだった。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/chugoku/hirosima/niitakayama.html

中国地方へ遠征してきました

2007年05月04日 | お城(中国)

GW前は体調崩してお騒がせしてしまいましたが、何とか復活し、27日夕方から中国地方遠征へと出発しました。

4/28~5/1の4日間は広島を中心に、少しだけ山口と島根へ、5/2~5/3の2日間は鳥取のお城を回って、昨夜(正確には今日の未明)に無事帰ってきました。
帰りは、深夜割引を使いたかったのと、大阪の渋滞を避けるために、兵庫と鳥取の県境近くの温泉でのんびり過ごしてから帰ってきたのですが、これが良かったです。
温泉で疲れもとれサッパリし、ゆっくり夕飯も食べてから出たおかげで、途中、大した渋滞もなく、スイスイと帰れました。これから大阪より西へ出かけた時は、このパターンにしようと思います。

ところで、6日間の中国地方遠征の成果は、全部で46城回り、再訪は4城だけだったので、42城も新規のお城へいけました。
下調べをしっかりしたおかげで、順調に回れたのと、思ったより山に登る体力があったのがよかったです。

印象に残ったお城は、小倉山城と五龍城。ちょっとタイプは違う山城ですが、小倉山城は整備が行き届き、本当に気持ちがよくて、城跡の整備のお手本にしたいと思ったぐらいです。草木が伐採され、芝が敷き詰められていたので、とても見やすかったです。かといって、手を入れすぎて遺構が壊されといった雰囲気もなく、とても良かったです。
五龍城は、これぞ山城!といった醍醐味が味わえました。堀切に広い曲輪、そしてあちこちに崩れて落ちた石や、破壊から免れて残った石垣など、見所盛りだくさんでした。

何にしても、以前から行きたいと思っていた山城へ、予定通りほとんど行けて大満足です。
とりあえず、行ったお城の名前だけ、訪城記録のページに載せました。データを整理したら、少しずつ紹介したいと思います。