にこにこ堂「ちえまる本舗!」

編み編み大好きなハマのおばはん。闘病の日々ですが、明るい気持ちで頑張っています!!負けないぞ!!

元気に手を振る\(^o^)/

2005-02-17 | 脳幹出血
7月11日(日)

今日はきゅうちゃんの友人と一緒にきゅうちゃんの部屋へ行った。
なにやらとても元気そうで上半身起こしてもらっていたので、友人も喜んで、思わず手を振ると、大きく目を開けて左手をパタパタさせて答えてくれた。まるで嬉しさを体中でうったえているようで涙が出てくる。
経管栄養でだいぶ体力も付いてきたのだろう がんばってるね!!
そういえば、昨日まできゅうちゃんの隣のベッド(ベッドは二台だけしかない)にいらしたおばあさんがいない。病棟へ移ったのだろうか。お元気になられたのなら嬉しい
まだ喉がゴロゴロ鳴っていて、面会中一度は必ず痰の吸引をしてもらっている。
そのたび必ず廊下へ出て待機。もうあの苦しそうな顔を見たくないし、友人にも見せたくないのだ。
だいぶ呼吸も楽そうで、頻繁に目を開けてこちらを見ていた。そして手を振るたびにきゅうちゃんも手を振ってくれる。左足もつられて同時に動く。
私たちは帰るのが名残惜しくて、こんなことを繰り返しながら、とうとう一時間もいてしまった。
あまり長くなると疲れるだろうと、何度も何度も振り返りながら面会室を出る。
その後、彼女と祝杯をあげた。二人とも、久々に酔っ払い、夜通し語り合った。

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3 コメント

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医者のことば (カメ)
2005-02-17 12:00:33
意識回復していないにも拘らず、あたかも意識があるように手を振る。Qちゃんの時も、私の時も、でべちさん父の時も、そうだったとは生命の不思議な力、神秘ささえ感じます。



さて昨日Qちゃんブログに、「70歳の私(大胆に類推すれば)」=Qちゃん主治医「感覚は少し戻るが、運動は戻らない」、奇遇にも一致とコメントしました。少し私なりに補足説明をします。



【補足】運動の医学的ハードルは高いので、少々の改善では不変でしょう。以前HPに歩ける事の定義を、医学と社会通念とではだいぶ違う旨を言いました。

・ 医学=40,50kmでも身体が疲れ果て、もう一歩も歩けない状態まで歩ける事。重い足を引き摺るように(びっこ引きながら)、4km5kmをやっとの思いで歩いても、それは医学的に「歩ける」とは言わない。

・ 社会通念=一人で転ばないで歩けるなら、杖びっこ1km2kmだろうが歩ける範疇。



主治医の言葉は患者にとって重いでしょうが、宗教教義みたいに金科玉条に鵜呑みに受け取ると、一喜一憂・疑心暗鬼に陥りしまいにはノイローゼになってしまうので注意が要ります。

Qちゃんも言っていたように「自分の身体だもの、気力と力で直してみせる」、この気迫が長期リハビリの原動力だし、精神衛生の維持の素でもあると思います。
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反射的な動き (ちえちゃん)
2005-02-17 17:15:01
そうですね。先生もあの激しい手や足の動きは「反射的に」動いているのだと言っていました。え?あんなにはっきりと手を振ったりしているのに・・・とびっくりしました。

後から聞くと、カメさんと同じく全く覚えていないそうです。

本当に医者の話に振り回させると気違いになってしまいますよね。特に家族は・・・もう、なるようにしかならないんだ。神のみぞ知るですね。
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たまには、しみじみと (カメ&かめこ)
2005-02-17 18:39:45
橋出血した本人がシャーシャーと言うと、かめこちゃんも腹立たしいでしょうが、倒れた年はもう夫婦でナリフリ構わず、無我夢中で突っ走った1年でした。今振り返ると、東北大病院はよく私を国立宮城病院へ転院させたなと、感心してしまいます。大学病院の教授に逆らった訳ですから意地悪できたはずなのに、私が望んだ通りの病院に素早く転院させてくれ、間接的にですが長期改善軌道に乗せたのだから、結果的には名医だったのかも。



Qちゃんもちえちゃんも明るく前向きに走り出すまでは、陰でいろいろ大変だったろうなぁと、自分達のこととダブらせて想いを馳せてしまいます。

今ここでかめこちゃんも投稿文に「そうだ、そうだ」と賛成したので、連名の投稿とします。
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