光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

吾妻豆腐店の美味しい豆乳プリン-木更津市

2021年07月14日 | 日記
     
7/8(木)ツレと陸上自衛隊木更津駐屯地付近を散策した後、ここから4~5分の距離にある吾妻豆腐店に寄りました。何時も近くに来た時はここの手造り豆腐や豆乳プリンを購入します。あまり豆腐店で豆乳プリンと言うのは見かけませんし、今や貴重品です。

      



  吾妻豆腐店は県道87号線の旧道沿いにあり、50m程の距離に安政5年(1858年)に建立された道標江戸みちもあります。

           

 何時も行くのは午前6時頃。出来立ての豆腐が購入できます。温かい豆腐や厚揚げはとても美味。そして1個120円(税込み)の豆乳プリンが絶品です。あまり甘くなく豆乳を使ったとは思えないなめらかさが美味しいです。



  この日は豆乳プリン4個と生揚げ1個(100円)購入しました。おかみさんの接客も丁寧で、それだけでもまた来ようと言う気になります。


木更津界隈➋-陸上自衛隊木更津駐屯地近辺

2021年07月13日 | 日記
  
 戦前から基地の街だった木更津には、今も自衛隊の駐屯地が3か所あります。陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の駐屯地。全国でも3つの自衛隊の基地があるのは珍しいそうです。中でも陸上自衛隊の駐屯地が一番大きく、一年中ヘリコプターの爆音がしています。7/8(木)雨も降っていないので、早朝陸上自衛隊の近辺をツレと散策してきました。



  県道87号線を袖ヶ浦方面から木更津駅に向かって進むと、海上自衛隊の入り口が見えてきます。そこを超え150m位進むと旧道との交差点。信号を右に曲がると旧い町並みが現れます。2階建てで一昔前のアパートの様な建物が何棟も並んでいます。木更津市営住宅江川団地です。



  昭和49年(1974年)から51年度に建設された45年ほど前の市営住宅ですね。駐車場は在りません。水路を隔てた右側が広大な陸上自衛隊木更津駐屯地。



 老朽化しているので空き部屋もかなりあるようです。しかしこんなレトロな光景が残っているのですね。





 水路を隔てた駐屯地近辺の住宅はかなり過疎化が進んでいます。廃屋に植えられた花が散って路上に散乱していました。





  人通りのない道路をネコがゆっくり歩いて行きました。廃屋にはナンバーの無いスポーツカーが置かれています。



 このような景観の街を何処かで見た覚えがあります。一昔前米軍が撤退した埼玉県の入間基地周辺です。木更津もアウトレットパーク周辺は賑わっていますが、その他の地区は過疎化が進行中。行政がもう少し頑張らないと大変です。


木更津からの梅雨便り

2021年07月12日 | 日記
 
  7月に入って雨ばかりの今日この頃。7/12から東京には緊急事態宣言が発動、千葉県もまん延防止等重点措置が継続されるようです。まだまだ巣籠が続きますね。旅行等ができないので、自宅と近所で撮った木更津の梅雨げしきを紹介します。

  上下2枚は散歩の途中で見かけたカタツムリの赤ちゃん。なんでも子供の頃は可愛いですね。





  2年前に木更津市矢那の喫茶店「ライラック」で、種をいただいて育てたジュズサンゴ。毎年晩春から梅雨の頃、綺麗な赤い実を付けています。上の写真のジュズサンゴ、バックは白い紫陽花・アナベルです。



         
 
木更津に大雨が降った翌日の7/5、自宅近くの草むらで見かけた二ホンアマガエル。小さくて葉の間でじっとしていました。





  ツレが可愛がって育てているヤマアジサイが満開。ガクアジサイの一種だそうですが、山の中の沢でよく見られる事からサワアジサイとも呼ばれます。ツボミは丸くてツバキのようです。





  梅雨の代名詞・ムラサキツユクサ。雨に濡れた姿が一番綺麗です。


きさらづの語源を生んだ太田山とそこのネコたち‐木更津市

2021年07月09日 | 日記
 
  旧安西家と七夕飾りを見学後、旧安西家の茅葺屋根越しに見えたきみさらずタワーを撮影しようと太田山の頂上に向かいました。太田山は標高44m、山と言うより丘に近い低山です。その山頂に日本武尊命と妃の弟橘媛の像が、先端にある塔がきみさらずタワー。高さは22mで、日本の夜景100選や千葉の眺望100景にも選定されています。

       



  きみさらずタワーの左横には橘神社が在ります。はるか昔日本武尊命が東征の折、東京湾を横断しようとした時暴風雨にあい船が転覆しかけます。その時妃の弟橘媛が海中に身を投げ、人柱となって暴風雨を鎮めたとの由。

 その後日本武尊命は上総に上陸、太田山に登り媛を偲んでしばしこの地を去りかねたと伝えられています。橘神社は弟橘媛を祀って建立されました。そして日本武尊命が詠んだ「君去らず袖しが浦に 立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」からきさらづと言う地名が生まれたと言われています。(他にも色々説があります)



  橘神社の隣には木更津出身の歌人・細井魚袋(1889年~1962年没)の歌碑が置かれています。「秋風をまなこにためて座りけりしろく乾ける石の上に我は」と言う短歌です。



  山頂は公園になっていますが、その一角に忠霊搭が昭和29年(1954年)に建立されています。しかしここと橘神社付近には第二次大戦中高射砲が2基設置されていました。また太田山の地下には、日本海軍の航空艦隊司令部も置かれ、今もその戦争遺跡が眠っています。



 太田山には沢山のネコがいました。捨てられたノラの様ですが、人間には媚を売らず堂々としていました。頑張って長生きしてほしいものです。



       


旧安西家住宅の七夕飾り-木更津の風物詩

2021年07月08日 | 日記
 
木更津地区のPR誌に、木更津市の年中行事の一つ旧安西家住宅の七夕飾りが、7/1(水)~7(木)まで開催されている事を知りました。3、4日の豪雨が止んだ7/6(火)興味があるので、ツレと旧安西家住宅が置かれた太田山を車で訪問してきました。

 太田山は山頂近くまで車で行けます。そこの駐車場に車を停め徒歩2~3分の場所に在る旧安西家に向かいました。薄暗い森を下ると茅葺屋根が見えてきます。ここが旧安西家住宅です。

 

 

 七夕飾りは茅葺屋根の側に立てられていました。それ程大きくなくて、質素な七夕飾りです。新型コロナの感染対策で短冊飾りの受付が行われていないので、よけいにシンプルです。





  旧安西家住宅は現在リニューアル中で開放はされていません。立ち入りが出来るのは土間の部分まで。そこから黒光りする居間や玄関を撮影しました。安西家は旧草敷村の村役人を務めた名家で、この建物は江戸時代中期(18世紀)の建築と推定されています。間口は13間、奥行き5間の寄棟造りの茅葺で、上総地方最大級の民家の一つです。





 見学者は私たちの他若い人が2人だけでした。地味な展示ではありますが、江戸時代の家屋と七夕飾りのコラボが素敵です。茅葺屋根の中から江戸時代の農民や子供が出て来て、七夕を祝うざわめきが聞こえてきそうでした。


大雨でカルガモ家族もお引越し

2021年07月07日 | 日記
 
7/3からの大雨が少し小ぶりになった7/4の午前6時半頃のことです。ツレと傘をさしながら自宅近くの田んぼ道を散歩していました。田んぼも大雨で水がイッパイになったなぁと思っていると、田んぼの中から急にカルガモの家族が出てきたのです。



 右の田んぼから7~8羽のカルガモの子供がガヤガヤと左の田んぼに移動していました。周りには何故かツバメが集まっていました。

            

 以前台風で農業用水や田んぼの水があふれた時があるのですが、その時何羽かのカルガモのヒナが水の中で死んでいるのを見ました。カルガモも身の危険を感じて安全な所に移動しているのかもしれません。



  移動は2~3分で終わりましたが、田んぼには他の動物も住んでいます。これからもカルガモ家族の営みは大変です。無事に育って一家そろって飛行するのを見たいものです。

         

木更津の豪雨

2021年07月06日 | 日記
 
 7/3(土)昨夜から降り続く豪雨で、自宅のある木更津市郊外も水浸しです。午前7時には木更津市役所から警戒レベル4(避難指示)が市内約20か所の地区に発令されました。それを見ると自宅は入っていないのですが、一応先日配られたハザードマップで確認してみました。注意しなくてはいけない水準ですが、やはりセーフでした。しかしこの48時間に降った雨は290.5ミリ、物凄い雨でした。



 午前9時半頃になると雨が弱まって来たので、カメラを持って自宅付近を調べてみました。裏の生活用水の水路は、道路より水面が1m位低い所に在るのですが、もう溢れて道路が水浸し。



 水路の境が分からないので、近づく事が出来ません。さすがに人通りはありませんが、車の通行は頻繁です。

            



  2年前にも台風が接近した時同じような光景に出会いました。7/4になって漸く雨も落ちついてきました。しかしまだ油断はできません。ツレと防災用品の点検する今日この頃です。一番下は7/5午前6時半頃の用水路、通常の水位に戻りました。



 

小櫃川のアユ釣り‐木更津市小櫃堰付近

2021年07月05日 | 日記
 
 梅雨前線が活発化して、大雨が降り散歩にも行けない今日この頃。6月下旬の小櫃川の光景です。朝早く木更津市牛袋にある中郷大橋に野鳥を捜しにツレと散策に行きました。ここは上流に小櫃堰があり、野鳥が良く訪れる景勝の地です。



 野鳥はカルガモが1~2羽しかいなかったのですが、釣り人が2人来ていました。ここ小櫃川のアユ釣り解禁は6/15から、1日遊漁券は1000円、年券は4000円との由。小櫃川漁業協同組合が稚鮎を300㎏放流しているので、仕方がないのでしょうね。



       

 釣り場は道路からかなり下に行かなくてはなりません。その為釣果の程は分かりませんが、時たま釣れているのも目撃出来たのであたりはあるようでした。小櫃川もアユ釣りで知られた場所、気温が上がってくると釣り人の数も増えて来るようです。



             

新型コロナ退散-木更津八剱八幡神社の茅の輪くぐり(夏越の大祓)

2021年07月02日 | 日記
  
 梅雨の晴れ間となった6/30(水)木更津八剱八幡神社の夏越の大祓(なごしのおおはらい)にツレと2人で参加してきました。この行事は年に2度執り行われ年末は12/31、夏は6/30、半年間に身に着いた罪や穢れを祓い去る神事。祭典の半月前に直径3mの茅の輪(ちのわ)を作り祭典が行われます。



             

 昨年は新型コロナの影響で一般人は不参加、神職だけの大祓になりました。しかし今回は通常通りの開催となり、新型コロナ退散を願い多くの人が参加しました。午後3時になると太鼓が打ち鳴らされ夏越の大祓の開催です。最初に蘇民将来子孫守と書かれた人形代(ひとかたしろ)が配られます。

             

  神事が行われた後、社殿正面の茅の輪をくぐります。





神職5人の後役員たちが続いて茅の輪をくぐり、その後が我々一般人です。茅の輪を最初に左回り、次に右回りにくぐり8の字を3回描きます。





 その後再度神事が行われます。そして先程の人形代に各人が息を吹きかけ、体の痛い所や清めたい所を撫でます。



 最後に茅の輪の前に置かれた舟形の木製の箱に各人の人形代を入れ、穢れを祓ってもらいます。再度太鼓が鳴らされ、これで今年の夏越の大祓の終了です。




木更津界隈❶黄昏の町-巌根変電所通り

2021年07月01日 | 日記
 
 JR内房線巌根駅近くに、レトロな歓楽街の跡が手つかずのまま残っています。線路に並行した一方通行の道。古い地図を見るとこの道路の右側には海軍徴用工の寄宿舎が在ったようです。



         

  この通称変電所通りの近郊で育ったツレが、是非ここを撮影したいというので、朝早く歩いてみました。まず印象に残ったのは火事にあった家屋。飲食店だったようですが、焼け跡がそのままです。何年前の焼け跡か分かりませんが残った鉄骨が不気味。自転車や畳が放置され雑草まで生えていました。

          



 本当にここは不思議な通りです。昭和の頃よく見かけた長屋の様な貸家がまだ残っています。2~3軒の住まいが横につながっているのですが、その中の1軒はまだ住んでいるようです。

           



 無人の家屋の中が見えますが、壊れたビニールのトタンや壊れた引き戸がちょっと不気味。

           

       

  変電所通りの由来になった東電木更津変電所が見えてきました。この通りは暫く行くと千葉県道87号線から航空自衛隊木更津駐屯地方面に向かう道路に突き当たります。



 この変電所の隣にはメゾンタカサゴと言うアパートがあります。今時メゾン○○なんて名前のアパートがあるんですね。驚きました。アウトレットパーク近郊は店舗や家屋がすごい勢いで増えていますが、少し離れた場所ではこんな寂れた町が存在します。面白い町です木更津は。