光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

きさらづの語源を生んだ太田山とそこのネコたち‐木更津市

2021年07月09日 | 日記
 
  旧安西家と七夕飾りを見学後、旧安西家の茅葺屋根越しに見えたきみさらずタワーを撮影しようと太田山の頂上に向かいました。太田山は標高44m、山と言うより丘に近い低山です。その山頂に日本武尊命と妃の弟橘媛の像が、先端にある塔がきみさらずタワー。高さは22mで、日本の夜景100選や千葉の眺望100景にも選定されています。

       



  きみさらずタワーの左横には橘神社が在ります。はるか昔日本武尊命が東征の折、東京湾を横断しようとした時暴風雨にあい船が転覆しかけます。その時妃の弟橘媛が海中に身を投げ、人柱となって暴風雨を鎮めたとの由。

 その後日本武尊命は上総に上陸、太田山に登り媛を偲んでしばしこの地を去りかねたと伝えられています。橘神社は弟橘媛を祀って建立されました。そして日本武尊命が詠んだ「君去らず袖しが浦に 立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」からきさらづと言う地名が生まれたと言われています。(他にも色々説があります)



  橘神社の隣には木更津出身の歌人・細井魚袋(1889年~1962年没)の歌碑が置かれています。「秋風をまなこにためて座りけりしろく乾ける石の上に我は」と言う短歌です。



  山頂は公園になっていますが、その一角に忠霊搭が昭和29年(1954年)に建立されています。しかしここと橘神社付近には第二次大戦中高射砲が2基設置されていました。また太田山の地下には、日本海軍の航空艦隊司令部も置かれ、今もその戦争遺跡が眠っています。



 太田山には沢山のネコがいました。捨てられたノラの様ですが、人間には媚を売らず堂々としていました。頑張って長生きしてほしいものです。