袖ケ浦市の吾妻神社を訪ねた2日後の11/13(月)、ツレとそこから東に約800~900mの場所にある御鉾神社(みほこじんじゃ)に行きました。ここは県道145号線と143号線から延びた道路が交差する地点にあります。
その交差点には、信号に三黒宮の前(みくろみやのまえ)という信号機の名称が付けてありました。神社の前には金属製の鳥居が立てられ、その奥の社殿も立派な物が建てられています。三黒の吾妻神社より大事にされているようです。
この御鉾神社は口碑(こうひ)によると、吾妻神社東方七~八丁(一丁は約109m)の所に御鉾社と称する社あり、弟橘媛・御葬事の際、尊御鉾を立てし所なり。二社東西の相対せるを以て村民、之を東宮西宮と称すと伝えられています。ただ由緒書もありません。それでこの神社をぐるっと回ってみたのですが、神社の名称はどこにもありませんでした。不思議な神社です。
神社の境内には、石で出来た小さな祠等が数点おかれていました。
またこの2つの神社の地名は三黒ですが、他にも弟橘媛に因んだ地名があったようです。姫子添(ひめこぞえ)や休所(やすみどころ)。そこはヤマトタケルが弟橘媛の亡骸とともに休憩した場所といわれています。
この神社の鳥居の前から、吾妻神社の森を見ることが出来ます。真ん中の高圧電線の鉄塔の右側が吾妻神社です。下の写真では乗用車の向こう側の森がそれてす。こうしてみると2つの神社があるのには、特別な意味があったのかも知れません。古代日本の葬儀の際の儀式でしょうか?
またこの2つの神社の側を小櫃川が流れています。小櫃川は千葉県では利根川に次いで2番目に長い川です。清澄山系に源を発し、木更津の久津間、畔戸海岸から東京湾に注いでいます。
海に身を投げた弟橘媛の亡骸が、7日後にこの畔戸海岸に打ち揚げられました。それを見つけた付近の住民が、哀れに思い山で木を切り、それをこの川に流し媛の亡骸を納める「小さな櫃」を作ったとの由。以来その川を小櫃川と呼ぶようになったそうです。この周辺はヤマトタケルと弟橘媛伝説に満ちており、住民はその伝説を大切に守りながら生きてきました。下は今年3月に撮影した桜咲く小櫃川です。