元!4級審判員の日記 

2002年9月より始めたブログもはや21年〜
2005年からのJFA3級は今も維持、今は元!と名乗っています。

☆Dearest Father

2018-10-25 22:47:57 | social

ちちへ

激動の時代に生を受け、幾多の苦労の中にも凛と背筋を伸ばして
生きてきた父でありました。

昭和13年、神戸の地で生を受けました父
幼いころは戦中戦後の厳しい時代でしたが
弟と一緒に健やかに成長し、学び舎を卒業ののち、社会への船出を迎えます。

定年退職になるまでの数十年間
昼夜を分かたぬ努力で会社員としてつとめ上げ
様々な分野でその手腕を発揮し、要職を歴任することとなります。

退職後は個人事務所を経営し
生涯第一戦で活躍してきた父
父が次々と荷なった重責の数々は
ひとえにその真摯なひととなりと
一途な仕事ぶりによせられた厚い信頼のあかしだったのではないでしょうか

それに父を支えた
最愛の妻 母の
ふたりは 一男一女の子供を授かりました。
一家の大黒柱として、休む間もなく働く父に代わって
母がしっかりと家庭を守り、いつしか 子供たちも立派(かどうかは別として)
成長し、やがて4人の孫たちに恵まれます

あなたはとてもやさしいおじいさまだったと孫たちは言います
よく面倒をみてくれる
慈愛深いおじいさまのことを孫たちはとても大好きだったことでしょう
その健やかな成長に目を細めては
これまでのご苦労が報われる
そんな思いをなさっていたのではないでしょうか

晩年となり 母と悠々自適な暮らしの中
好きな お謡(うたい)、謡曲を楽しんだり
クラシックを聴いたり
一生を通して勉強家だった父は
新聞をすみからすみまで読み
図書館に通い、学び続けていました。

これまで、これといった病気をわずらうこともなく
いつも元気でいた父
これからもおだやかな余生を
味わっていただける、 そう思っておりましたのに
その願いはついにかなうことなく
あなたは永遠の眠りにつかれました

かぞく思いのあなたらしく
どなたに迷惑をかけることもなく
母や家族の手を
わずらわせることもなく
あまりにも突然のお別れとなりました。

亡くなる3日前には東京へと遊びに来て
元職場の同僚の方々や大学時代の友人と
それぞれに楽しい時間を過ごし、そののちは

私、息子家族と楽しい時間をすごし、懐かしい赤坂を散策し、
1週間前には、娘家族と 80歳のお誕生日お祝いと麻雀卓を囲い
とそれぞれかけがえのない時間を過ごしたあなた

1人の孫はあなたの勤めていた会社に就職し
また1人の孫はあなたの出身校の後輩となり
4人の孫はそれぞれ希望の道を進み
ひとりひとりの行く末をご自分で確かめながら
とても喜んでいた
そして深い安どの思いを胸に 
たくさんのご苦労がつまっていたその肩の荷をおろし
そっとまぶたをとじ 一人で旅立ってゆかれました。

おとうさん

家族みんなからの言葉は
大丈夫(じゃないよ) 安心してね(でもないよ)
でもむかう先では かわらぬ思いのまま
みんなのしあわせをしっかりと見守ってくださいね

ありがとう やすらかに
哀悼と感謝をこめて

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