久し振りに奈良へ来た。自然院は奈良まで40分くらいで行ける大阪の地で育った。小中学校時代の遠足はほとんどが奈良の古社寺だったが、それは子供としては当然楽しい行先では無かった。それが、大人になってからは高い交通費を払っても行きたくなるのだから、子供の時のこういう遠足も意味があるのかも知れない。
今回の目的地は薬師寺。若い頃は何度か訪れたが、1981年に西塔が出来てからは初めてである。会社退職後、奈良のNPOでボランティアでガイドを務めている友人のN氏に案内をお願いした。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲 (佐々木信綱)
初めて西塔を見た。惚れ惚れとするほど美しい。東塔は1300年前に建立され、数百年に一度改修が繰り返されて来た。現在もこの改修時期にあたり、解体して今後数百年持たせることを目標とした修理・再組が行われている。「1300年という長さは重いよ。今のビルは何年持つかね」とN氏。そういえば、今年6月に解体された最古の百貨店である銀座松坂屋ビルは88年で寿命を閉じたことを思い出した。
何度地震があったか知らないが、長年の天災・風雨に耐え抜ける大型木造構造物を、釘を使わずに木組みだけで作り上げた技術力。しかも体系化された力学や十分な素材がなかった時代に、大陸渡来の建築技術と経験だけを基に行ったと考えると、当時の技術者に感服するばかり。
奈良時代には数十の塔が建立されたという。技術者が何人いたのか分からないが、短期間にこれだけの事業をやり遂げたという事実にも、新しい驚きを感じた。
改修を機に塔の上にあった水煙が地上に降ろされ「水煙降臨展」が催されていた。天人が伸びやかに飛翔したり笛を吹く姿は以前に写真で見たことがあり、その躍動的な姿に感動を覚えた記憶があるが、それを目の高さで見られるなんて・・・なんという幸運。
N氏によると、金堂建設に当たっては、設計を担当した大学教授陣と宮大工で激論があったという。教授達は中に安置してある仏像を守るために鉄製の防災壁を設置する計画を立てたが、宮大工は「何千年も持つ木造建造物の中に、百年しかもたない鉄をはめ込むなんて邪道だ。」と猛反対したという。結局防災壁は設置されたが、「檜の持つ力を知り、伝統技法を伝承しているのは自分たち宮大工である」とのプロ根性には鬼気迫るものを感じる。
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