紹興と言えば誰でも紹興酒を連想する。壷に入った紹興酒を買った。これはまろやかで実にうまい。
紹興は、魯迅の故郷として観光地になっている。
左は魯迅の小説「孔乙己」の舞台となった居酒屋。一帯は古い街並みのまま保存されている。
魯迅が学んだ塾
紹興は紀元前5世紀ごろ呉越戦争の舞台となった所で、興味の尽きないドラマチックな歴史がある。
越に敗れた呉王は、薪の上で寝て(臥薪)復讐心を忘れぬようにし、やがて時を得て越を破った。今度は敗れた越王は呉王の馬屋で奴隷のような屈辱生活を強いられた。その悔しさを忘れぬために部屋に牛の肝を吊るして毎日舐めた(嘗胆)。これが「臥薪嘗胆」の起源という。
嘗胆の越王勾践(こうせん)を助けたのは名参謀范蠡(はんれい)である。范蠡は傾国の美人西施を呉王に送り込んで呉王をメロメロにしてしまい、呉を破る。これは史記に出てくる話で歴史ドラマとしては十分面白い。
さらに范蠡は呉が滅びる際、西施を連れ出して斉まで逃げ、一生を添い遂げたという俗説があるが、ここまで来ると范蠡びいきの話かもしれない。
それにしても、「勾践」や「范蠡」の名を聞くと、実は自然院にはググと来るものがある。それは自然院の生い立ちにかかわる物語である。
自然院は、大阪河内の国で育った。楠正成の故郷で大楠公崇拝の風土が残っており、小学校では地元出身の先生から正成の武勇伝や後醍醐天皇への忠勤話は耳タコができるほど聞かされた。(だから足利尊氏はとんでもない悪い奴だとずうっと思っていた)
音楽の時間には先生の趣味で後醍醐天皇を慕う児島高徳の歌(文部省唱歌)も習った。サビの部分は
♪ 天勾践(こうせん)を空しゅうする勿れ 時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず。
というメローディアスな曲でよく愛唱した。だから、子供の時から「勾践」や「范蠡」は他人とは思えない程の親しみを覚えてきたのである。50余年経って、その地にやって来るとは感慨無量である。
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