相変わらず昼夜逆さま~
朝方近くまで録画ドラマみて、就寝。
昼過ぎにどっこいしょって起きて、家中の掃除したり、洗濯しまくったり。
かなりなスローペースで家事を終えた時には、日が暮れていた(よくあるよくある)
確定申告の書類はまだ真っ白け
明日やろっ
なんだか今日はそういう気分じゃないの、数字見たらまた頭痛が始まりそうで(爆)
あ、えーと。
以前、読んだ『わたしがいなかった街で』の感想など・・・
主人公の砂羽は離婚して1年、夫と暮らしていたマンションを引き上げ新居に移ったところから物語は始まる。
人とのつきあいがあまり上手くなく、唯一の友達は昔派遣で知り合った有子。
有子はシングルマザーで、5歳の男の子がいて、結構砂羽にもなついてる。
引越しの後片付けをテキパキ手伝う有子、砂羽はのろのろ、
光ファイバーの工事業者の人が来て親切に説明をしてくれたけど、
それに対してまともなお礼も言えない。
そう、砂羽は他人に対して声をかけて思いを伝えるという事がすこぶる苦手。
離婚の原因も実はよくわからない。別れた夫の健吾には愛人がいて、
それもうすうす知ってて、冷めた夫婦生活を送っていたが、
ある日その愛人が健吾と共に「もういいかげん、このヒトと別れたら?」などと電話してきて
「あ、もうだめだな」と離婚を決意するのだった。
他に中井という男が出てくる、11年も前に写真のワークショップで知り合ったのに
突然現れて「クズイが行方不明なんやて」という。
クズイも参加者の一人だったが、当然、主人公の砂羽とはほとんど接触はない。
中井から「クズイの妹が大阪におるらしい」と聞かされるが、これまた砂羽とはなんの関係もない人物。
この人たちの人間模様の話だけだったら、たぶん私はこの本を買わなかったんだけど。
なにげにパラッと読んだ最初の数行
「1945年の6月まで祖父が広島のあの橋のたもとにあったホテルでコックをしていたことを
わたしが知ったときには、祖父はもう死んでいた」という文章に魅了され、
あ、戦争に関係してる本なのかも?と思って買った。
まぁ、戦争自体が出てきたわけではないんだけど。
主人公砂羽は、CSなどの有料チャンネルの戦争や紛争ドキュメント番組を録画して、
暇さえあれば垂れ流しにしている、夫の健吾がもしかしてこういう自分を気持ち悪くなって愛が冷めてったのかも、
などと離婚後思ったりするが、砂羽の性癖ともいえる戦争番組を見ること、
あるいは戦時中の事を毎日綴っていた老人の日記をダウンロードして
(そういうアプリもあるらしい)、時折読んだり、その土地へ出向いていったりする事をやめられない。
祖父がもし、あの年の8月もまだ広島に住んでいて、原爆にあって命を落としていたら、
私もこの世に存在していない、という思いがずっとあって、
戦争紛争ドキュメンタリーの中で殺されていく市民を見て、
「なぜそれは彼らなのだろう?死ぬのは私じゃないのだろう?」と日々考える。
「なぜそれが起きたのが、自分ではなく、他の誰かだったのか?」という疑問を絶えず持ち続ける。
結婚して住んでいた街、離婚後住み始めた街、その都度
「かつて誰かが生きていた場所を生きている」という思いが働く。
そういう砂羽の脳内会議に、親友の有子は「私には全然わからない」という。
話は淡々としていて、物語自体は対して前には進まない。
終わりあたりの章では、主人公砂羽は出てこず「行方不明になったクズイの妹」が
現れて、この妹が旅先で知り合う老女の話とか、
要するに、主人公がいなくてもみんなの物語はそれぞれ現存していて、みたいな、
これぞ「わたしがいなかった街で」のタイトル通り、「わたし」がいなくても
過去があり、現在があり・・・(たぶん未来もある)
私がこの小説にえらく共鳴したのは、私自身が時々似たような事を考えるからだ。
福山に住む私の母は、生家は山口県玖珂郡で(岩国市の山奥あたり)
1945年の春に広島市に就職がほぼ決まっていたのだが、とある霊能師さんに
「広島の方へ行かん方がええで」と言われ広島行きを断念、山口市の病院に就職した。
(母は看護婦でした)
「もしあの時、広島行ってたら原爆で死んで私は生きとらん」というのが母の口癖だった。
そしてもちろん、私も存在してないはずだ。
父は戦時中、呉の海軍にいて
「あと1年戦争が続いてたら、自分はサイパン沖で玉砕していた」としょっちゅう言っていた。
やはり私は生まれなかったはずなのだ。
人の命は、幾つもの偶然と幸運の上に成り立っている。
なのに、日々の生活は恐ろしく地味で、平凡だ。
そういった、当たり前の事に改めて気づかされた本だと思う。
このような素晴らしい本に出会えて本当に良かった。
ここからは余談ですが・・・
娘が中学2年生の時、夏休みの宿題で「祖父母に戦争の話を聞いてくる」というのがあって
先ほどの「霊能師さんのお陰で原爆あわずに済んだ」事をレポート用紙に書いたんだけど。
(母が夜通し戦争の話を聞かせていたけど、結局そこの部分だけをまとめた)
夏休み明け、その宿題は「生徒123名の祖父母に聞く戦争話ー」と題した一冊の本になった。
「うちの祖父は、家族で空襲時に防空壕に入ろうとしたら、
ここは既にいっぱいだから他の防空壕へ行ってくれと入れてもらえなかったが、
後でその防空壕に焼夷弾が降り、そこにいた人はみんな死んだと聞かされた。
自分の家族だけ、死なずにすんだ」とか
「祖父の家族は長崎にあの夏の数ヶ月前まで住んでいた」とか
紙一重のところで命拾いした祖父母がいっぱいいる事に、かなりビックリしたっけ。
千葉の中学なのに、
「広島の原爆」の事を書いてた生徒がウチの娘を含め4人もいた事にも驚かされた。
命っていうより、人生って不思議。
毎日をもっと大切に生きなくては・・・・
そう思う端から私は今夜も夜更かしして録画ドラマを見、昼まで爆睡するんだろうなぁ~
朝方近くまで録画ドラマみて、就寝。
昼過ぎにどっこいしょって起きて、家中の掃除したり、洗濯しまくったり。
かなりなスローペースで家事を終えた時には、日が暮れていた(よくあるよくある)
確定申告の書類はまだ真っ白け
明日やろっ
なんだか今日はそういう気分じゃないの、数字見たらまた頭痛が始まりそうで(爆)
あ、えーと。
以前、読んだ『わたしがいなかった街で』の感想など・・・
主人公の砂羽は離婚して1年、夫と暮らしていたマンションを引き上げ新居に移ったところから物語は始まる。
人とのつきあいがあまり上手くなく、唯一の友達は昔派遣で知り合った有子。
有子はシングルマザーで、5歳の男の子がいて、結構砂羽にもなついてる。
引越しの後片付けをテキパキ手伝う有子、砂羽はのろのろ、
光ファイバーの工事業者の人が来て親切に説明をしてくれたけど、
それに対してまともなお礼も言えない。
そう、砂羽は他人に対して声をかけて思いを伝えるという事がすこぶる苦手。
離婚の原因も実はよくわからない。別れた夫の健吾には愛人がいて、
それもうすうす知ってて、冷めた夫婦生活を送っていたが、
ある日その愛人が健吾と共に「もういいかげん、このヒトと別れたら?」などと電話してきて
「あ、もうだめだな」と離婚を決意するのだった。
他に中井という男が出てくる、11年も前に写真のワークショップで知り合ったのに
突然現れて「クズイが行方不明なんやて」という。
クズイも参加者の一人だったが、当然、主人公の砂羽とはほとんど接触はない。
中井から「クズイの妹が大阪におるらしい」と聞かされるが、これまた砂羽とはなんの関係もない人物。
この人たちの人間模様の話だけだったら、たぶん私はこの本を買わなかったんだけど。
なにげにパラッと読んだ最初の数行
「1945年の6月まで祖父が広島のあの橋のたもとにあったホテルでコックをしていたことを
わたしが知ったときには、祖父はもう死んでいた」という文章に魅了され、
あ、戦争に関係してる本なのかも?と思って買った。
まぁ、戦争自体が出てきたわけではないんだけど。
主人公砂羽は、CSなどの有料チャンネルの戦争や紛争ドキュメント番組を録画して、
暇さえあれば垂れ流しにしている、夫の健吾がもしかしてこういう自分を気持ち悪くなって愛が冷めてったのかも、
などと離婚後思ったりするが、砂羽の性癖ともいえる戦争番組を見ること、
あるいは戦時中の事を毎日綴っていた老人の日記をダウンロードして
(そういうアプリもあるらしい)、時折読んだり、その土地へ出向いていったりする事をやめられない。
祖父がもし、あの年の8月もまだ広島に住んでいて、原爆にあって命を落としていたら、
私もこの世に存在していない、という思いがずっとあって、
戦争紛争ドキュメンタリーの中で殺されていく市民を見て、
「なぜそれは彼らなのだろう?死ぬのは私じゃないのだろう?」と日々考える。
「なぜそれが起きたのが、自分ではなく、他の誰かだったのか?」という疑問を絶えず持ち続ける。
結婚して住んでいた街、離婚後住み始めた街、その都度
「かつて誰かが生きていた場所を生きている」という思いが働く。
そういう砂羽の脳内会議に、親友の有子は「私には全然わからない」という。
話は淡々としていて、物語自体は対して前には進まない。
終わりあたりの章では、主人公砂羽は出てこず「行方不明になったクズイの妹」が
現れて、この妹が旅先で知り合う老女の話とか、
要するに、主人公がいなくてもみんなの物語はそれぞれ現存していて、みたいな、
これぞ「わたしがいなかった街で」のタイトル通り、「わたし」がいなくても
過去があり、現在があり・・・(たぶん未来もある)
私がこの小説にえらく共鳴したのは、私自身が時々似たような事を考えるからだ。
福山に住む私の母は、生家は山口県玖珂郡で(岩国市の山奥あたり)
1945年の春に広島市に就職がほぼ決まっていたのだが、とある霊能師さんに
「広島の方へ行かん方がええで」と言われ広島行きを断念、山口市の病院に就職した。
(母は看護婦でした)
「もしあの時、広島行ってたら原爆で死んで私は生きとらん」というのが母の口癖だった。
そしてもちろん、私も存在してないはずだ。
父は戦時中、呉の海軍にいて
「あと1年戦争が続いてたら、自分はサイパン沖で玉砕していた」としょっちゅう言っていた。
やはり私は生まれなかったはずなのだ。
人の命は、幾つもの偶然と幸運の上に成り立っている。
なのに、日々の生活は恐ろしく地味で、平凡だ。
そういった、当たり前の事に改めて気づかされた本だと思う。
このような素晴らしい本に出会えて本当に良かった。
ここからは余談ですが・・・
娘が中学2年生の時、夏休みの宿題で「祖父母に戦争の話を聞いてくる」というのがあって
先ほどの「霊能師さんのお陰で原爆あわずに済んだ」事をレポート用紙に書いたんだけど。
(母が夜通し戦争の話を聞かせていたけど、結局そこの部分だけをまとめた)
夏休み明け、その宿題は「生徒123名の祖父母に聞く戦争話ー」と題した一冊の本になった。
「うちの祖父は、家族で空襲時に防空壕に入ろうとしたら、
ここは既にいっぱいだから他の防空壕へ行ってくれと入れてもらえなかったが、
後でその防空壕に焼夷弾が降り、そこにいた人はみんな死んだと聞かされた。
自分の家族だけ、死なずにすんだ」とか
「祖父の家族は長崎にあの夏の数ヶ月前まで住んでいた」とか
紙一重のところで命拾いした祖父母がいっぱいいる事に、かなりビックリしたっけ。
千葉の中学なのに、
「広島の原爆」の事を書いてた生徒がウチの娘を含め4人もいた事にも驚かされた。
命っていうより、人生って不思議。
毎日をもっと大切に生きなくては・・・・
そう思う端から私は今夜も夜更かしして録画ドラマを見、昼まで爆睡するんだろうなぁ~