気になっていた「電力王の生誕地」福沢桃介の地を散策しました。
我が家から東松山の高速道に行く途中に、その標識があります。
場所は埼玉・吉見町。県道から100メートル入ったところに墓地がありましたが、岩崎家の墓の
隣にNHK大河ドラマ「波の波涛」の記念碑がありました。これが唯一の面影でした。
桃助は、明治元年、現在の吉見町の岩崎家に生まれたが、明治7年、一家は川越に移住。
その後、慶応義塾に学び、望まれて福沢家の養子となり明治20年には米国に留学した。
帰国後は財界に入り、殊に株式で多額の資を得て、木曽川水資源開発を企て、更に
外債募集にも成功して、大井ダムを始め、多くの電源を開発して、名古屋をはじめ
関西方面に送電したので、電源王の名を以て呼ばれた言う。
昭和13年70歳で他界されました。
埼玉にもこんな立派な人がいるとは知りませんでした。
機会を見て、記念館にも(長野・南木曽町)足を延ばしたいと思います。
我が家から東松山の高速道に行く途中に、その標識があります。
場所は埼玉・吉見町。県道から100メートル入ったところに墓地がありましたが、岩崎家の墓の
隣にNHK大河ドラマ「波の波涛」の記念碑がありました。これが唯一の面影でした。
桃助は、明治元年、現在の吉見町の岩崎家に生まれたが、明治7年、一家は川越に移住。
その後、慶応義塾に学び、望まれて福沢家の養子となり明治20年には米国に留学した。
帰国後は財界に入り、殊に株式で多額の資を得て、木曽川水資源開発を企て、更に
外債募集にも成功して、大井ダムを始め、多くの電源を開発して、名古屋をはじめ
関西方面に送電したので、電源王の名を以て呼ばれた言う。
昭和13年70歳で他界されました。
埼玉にもこんな立派な人がいるとは知りませんでした。
機会を見て、記念館にも(長野・南木曽町)足を延ばしたいと思います。