湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

降雪

2018-01-22 18:50:42 | ポエム

空から
闇夜の色をまとった物体が舞い降りる


数え切れないほどの
黒い紙吹雪のように
その漆黒の闇からさらに砕け散って
目の前のヘッドライトを浴びた途端
何事がおきたのだろうと
見まがうほどの純白の雪の華


赤子が掌をひろげたような雪の結晶
フロントガラスにぶつかって
その身を横たえながら
溶けながら
それでも必死にしがみつく


一つ一つがその人生なのか


手と手を取り合って
結んだか弱さに向かい風が襲う
後から降る雪のために
自ら溶けて冷やし
やがて雪は水となり
つぎの雪はみぞれになり
そのつぎの雪は白い姿を現そうする


誰かの人生は
誰かの人の命を土台して
消え入りながらでも
ありのままながらでも
一つの形を造ろうとしていくように



悠久の時代の
ときの流れの中で
人もこんな雪のように
健気で美しく
儚いものなのかもしれない





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の迷い子の歌

2018-01-21 14:04:15 | ポエム
もうずっと
もうずっとよ


さてさて
いつの頃からなのか
自分でも分からない時から


一点を見つめながら
車のハンドルを持ち
とある歌手のとある歌の
なんの脈略もない歌詞を
涙ながらに歌っていることがある


まさに
その歌の一部分ではなく
自分が勝手に解釈して
他の歌詞は崩れ落ち
もはや、その歌手でなくても
どこのだれの歌でもいい


とにかく
その歌詞だけが
歌となってリフレインしているとき


大きな壁や
大きな風に
向かっているときに私に現れる


さりとて
自分が大好きな曲かと問われれば
首を傾げてしまう事実に笑ってしまう


この私の半生記にも及ぶ時を
支えてくれたとは大袈裟でも
自分自身をきっと
鼓舞する歌詞に
なっていたんだろうと思う


気がついたら
安井かずみさんの歌詞だった


『木枯らしに負けそうなの
背中にあなたの声が
今日も聞こえてる寒い空

心配ばかり数えて
幸せが横向いちゃう
愛に生きていく 勇気ください』


繰り返し
繰り返し


元の歌詞の繋がりとは支離滅裂だけど
良いところ取りの良い自己解釈で


涙ながらに歌っていたっけー。


迷い子になったことはないけれど
『愛の迷い子』アグネスチャン









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母のおにぎり

2018-01-21 08:54:21 | 日記
四年前に書いたブログが見つかった


『最近、おにぎりが食べたくて
おまけに
そこに卵焼きが添えてあれば尚良し

母の作るおにぎりと卵焼きは
とてもとても美味しくて
未だにあの味とあのふんわり感が出せない

台所へも立つこともなくなって
もう、同じように作ってもらうことはできない

体はそこにあっても
もう、昔のままでない年老いた母が
段々と小さくなるのを
見つめるしかないのだけれど
もし、もう一度
子供のころのように冷めたおにぎりと卵焼きを
『ほら、お腹すいたやろ、これでも食べておきっ!!』と
差し出されたら
無邪気にほうばりながら
きっと泣くに違いない

おにぎりを噛み締めたら
喉の奥の方から塩気が押し寄せるのを
グッと感じながら
片手でなんて食べられない
両手を使って大事そうに
うんうんと言いながら
一粒も残さないで
黙って黙々と食べるのに。。。。

時々は子供の頃に帰りたい
未だに甘えん坊な私をみつけてみては苦笑い
前に食べたのはいつのことだったか
その時は単なるおにぎりと卵焼きだった』



そう、もう四年前には
台所には立てないほど
体が弱っていた母だった
けれど、話も出来たし、笑い会えたし‥。

最近の、
亡くなるまでの3カ月間は
ある意味、私にとっては
さらに、母が何にも出来なくなってしまっても

ベッドに母がいるというだけで
介護の名のもとに
肩を抱き、腕にしがみつき
介護してる私の方が甘えて
死期の足音を聞きながら
何度もこのままで居たいと
母には知られず泣いたことだろう


もう、しがみつくことも
あのおにぎりをもう一度と思うことも
断ち切られた場所に
行ってしまったんだと確認しては
涙することしか出来なくなってしまった


大切なものを遺してくれたんだと思う


私の心の中に
本当の意味で母が住み着いて
いつも側にいると思える日が来たら
私が祭壇に『おにぎり』を添えてあげよう







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『時」の存在

2018-01-19 21:56:58 | ポエム
何事にも
受け入れられて
見えないドアが開くのを
感じられる『時』がある


沢山の思い入れと
足元を見極める目と
誰かの後押しと


ずーと
チカラ一杯は走れないけれど
ここぞと言う時は
何かが降ってきたようにリンクしたり


絡んでいた糸に
諦めて
投げだして
その存在さえ忘れたときに
何故かまた、手にして
何とかしたいと思ったら
くしゅくしゅと触っただけで
解けて一本の糸にできたみたいに


望んでいれば
いつか『その時』が
やってくるなんてとき


きっとね
そんな時って
次の展開も面白いほど上手くいく


そんなものよ人生って


だけどね
ただ一つ
受け入れられる時って
自分がいらぬプライドを持たないで
謙虚になった時だったりするのよね


いつも謙虚で感謝を持てるように


空は青く
心も軽く


晴れ晴れとした顔を
みんなが待っている



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日の雨の日、部屋で。

2018-01-18 23:16:06 | ポエム
2人が逝った日は
それぞれが
寒々とはしていたけれど
冬晴れの青空が綺麗な日だった


29日目に
父に呼ばれたのか
旅立った母

そして
祭壇には
二つの遺骨と二つの遺影が並んだ


看取りは
それぞれの最期のドラマが存在する


祭壇に手を合わすと
そのワンシーン、ワンシーンが
浮かんできて
つむった瞼の内側に
涙がたくさん隠れ出て
目を開いた瞬間に次から次へ溢れ落ちていく


不思議なものね


思い描いた親の看取りは
後悔もなく
スッキリと
もうかなりの年だからと
合点して納得して
後は自分の楽しみを
考えることができるはずだった、、。



2人が居た部屋で
ふと目に止まった
うす紫のタオル


ベッドの縁に掛けてあったのを
手にしたとき
微かに残る匂いから
母のものだとわかったら
胸が潰れてしまうんじゃないかと
思うほどに
誰もいない部屋でひとり
大声を出して泣いていた


サッシの外を見ると
今日は
珍しく大雨で
シールドに覆われているかのよう


だから余計に
大声を出して
2人の名前を呼び続けても
これはここだけの
シールドに守られた部屋


泣いても泣いても
もう会えやしない


泣いても泣いても
もう話せやしない


それを
毎日毎日
性懲りもなく
確認しているはずなのに


この世に居なくなるということは
こういうこと


この世から消えてしまうということは
こんなことなんだって


探して探して
見つけようとして


けれど
見つかりっこなくて


だってね
心の声は聞こえてくるんだよ
居ないくせに


もう、いい加減に
泣き止んだらって


しょうがない子だねって
言ってるよね、きっと。



友達から聞いた話だと
数えて100日になる頃には
泣く事から卒業しないといけないらしい


じゃ、それまでは
泣いてもいいってことよね


旅立つほうも
そんなに泣かれちゃ
心配で旅立てないって?


100日、、、、。


頑張ってみるね。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする