湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

母の月命日と3.11

2020-03-11 14:08:00 | 日記
あの、3.11から9年

そして、
うちの母親の月命日

大好きだったコーヒーを
そっとお供えした。


手をあわして
いろんな話をしていた。

叔母から
前に言われていた写真を
探さなきゃいけないよって。

それが
どれだけ
まだ、辛いか。

けれど、姉を亡くしたことになる叔母とて、叔母自身の行く先々を見つめる年となってしまった。


良い写真を探さなきゃね。


朝からなんとなく
沈むような
切なさが満載の日


あの、東日本大震災の日

後から洪水が
私のたまたま居たそこにくるなんて
考えられないような場所から
いち早く、年老いた両親のいる家に
帰らなくちゃと
地面が割れた場所も揺れる場所も
水が沸いて2mもの噴水のようになってる道さえ、車ですり抜けて
やっとの思いで家に帰ったとき
ほとんど目の見えない母が
父に連れられ
裸足のまま、家の前の道路に逃れ
私の帰りを待っていてくれていた。

私の顔を見るなり
安堵の顔

私は無事に2人がいてくれていたことを感謝した。

両親の安堵の顔は、
心細さからくるもので
私の顔を見て
両親達が不安から解消されて
自分達がやっと助かったんだと
そう確信のように私が思っていたこと。


今の今まで、、、

いや、今朝まで。


けど、2人の遺影を見ているとき

ちがうな、、これは、、。



親として
娘の私が無事に家に帰り着いたことを喜び、感謝し、良かったと
そう思っていたんだ!
何よりも私の安否だったんだ!
ふと、感じた。


そうだったんだよね。

ごめんね、気づかずに。

わがままな両親だっただけに
自分達のことばかりだったんだろうって、自分勝手だったのは私。


年老いても親は親。

帰ってきた私の安否を
たんに喜んでくれてたんだ。


今朝、それに気づいた。

バカだったなぁ、私。


私が東京にいる、娘を思って
コロナウイルスにかかりませんようと、手を合わすように
自分のことよりも
娘を気遣っている私。


そっくりそのまま、 
私の両親の姿に写し返せば、おのずとその親心が見えてくる。


思いが重なった時
また、嗚咽した。



あの日のことは、忘れない。

今日は
どれだけの人が涙を流すだろう
人を思いやって
親を思い
子を思い

忘れちゃいけない日

人それぞれにあの日のドラマが存在する。

辛さや悲しみの深さは違えども
静かに静かに
手を合わそう


あの日、雪がちらついて
とても暗い寒い日だった


今日は青空の日

陽の光というものは
人を元気にしてくれるものと信じています。













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