今にして、荒地派の詩人、鮎川信夫の「遺言執行人」が身に沁みる。やはり荒地派の人達と石原吉郎の詩は、巨大地震にあって尚一層輝きが増す。 #jishin (crimson_fox) |
鮎川信夫に「遺言執行人」という題の詩があったっけ、と思っていま確認してみるとやっぱりない。この主が言っているのは、たぶん以下の一節のことだろうと思う。
たとえば霧や あらゆる階段の跫音のなかから、 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。 ──これがすべての始まりである。 遠い昨日・・・・・・ ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、 ゆがんだ顔をもてあましたり 手紙の封筒を裏返すようなことがあった。 「実際は、影も、形もない?」 ──死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。 (「死んだ男」冒頭2連) |
せっかくだから鮎川訳「荒地」の冒頭を掲げておこう。
クマエで巫女が甕の中にぶらさがっているのを見たが、少年たちが「あんたは何がしたいの」とたずねると、巫女は「死にたいの」だと答えていた。 名匠エズラ・バウンドに |
四月はいちばん酷い月、不毛の地から リラを花咲かせ、追憶と 欲情をつきまぜて、春雨で 無感覚な根をふるいたたせる。 冬はぼくらを温くしてくれた、忘却の雪で 地上を覆い、乾いた球根で あわれな生命を養いながら。 (T・S・エリオット「荒地」冒頭7行/鮎川信夫訳) |