惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

太陽も海も信ずるに足りない

2011年03月19日 | miscellaneous
今にして、荒地派の詩人、鮎川信夫の「遺言執行人」が身に沁みる。やはり荒地派の人達と石原吉郎の詩は、巨大地震にあって尚一層輝きが増す。 #jishin
(crimson_fox)

鮎川信夫に「遺言執行人」という題の詩があったっけ、と思っていま確認してみるとやっぱりない。この主が言っているのは、たぶん以下の一節のことだろうと思う。

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
──これがすべての始まりである。

遠い昨日・・・・・・
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
──死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。

(「死んだ男」冒頭2連)


せっかくだから鮎川訳「荒地」の冒頭を掲げておこう。

クマエで巫女が甕の中にぶらさがっているのを見たが、少年たちが「あんたは何がしたいの」とたずねると、巫女は「死にたいの」だと答えていた。
名匠エズラ・バウンドに



四月はいちばん酷い月、不毛の地から
リラを花咲かせ、追憶と
欲情をつきまぜて、春雨で
無感覚な根をふるいたたせる。
冬はぼくらを温くしてくれた、忘却の雪で
地上を覆い、乾いた球根で
あわれな生命を養いながら。

(T・S・エリオット「荒地」冒頭7行/鮎川信夫訳)
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