惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

今日は・・・

2011年12月26日 | miscellaneous
定時間日だったので早く帰ってきて、いろいろ書こうと思っていたのだが、あとで自動的にうpされてくるはずのtwitterでゴタゴタ呟いていた通り、光回線が突然不通状態になって回復するのに数時間かかり、その間パニクって何やかやとやっていた、ために目論見があらかたパァになってしまった。

下の「商家の道徳」は前からちょこちょこ書いていたものを、とりあえずの約まりだけつけてうpしたものである。

最近怠け病ネタで色々書いたりしているので、twitterでネタ探しの検索をかけたりすると、なんでまあこんな酷いことになっているのかな、と思ったりするわけで、そのわけを自分なりに少し考えてみた結果なわけである。

バカみたいな言い分だと思われることだろうが、書いてる方はそこそこ大真面目である。わたし自身は自分で自分のことを怠け病だと言ったりするくらいだからどうってことはないのだが、ほんとのうつ病の人が怠け病と間違われて周囲から罵られたりしているの話を聞くと、それは真面目に気の毒だと思わずにいられないわけである。

そして色々対策も行われているのにうつ病の人は減るどころか増える一方なのである。今朝方の「臨床心理士の国家資格化」はいいニュースのうちだが、それでも、それでうつ病や自殺者の増加を食い止めるほどの効果があるかというと、現時点ではギモンだと思う。下で書いたのは、なぜ、何がギモンなのかということの簡単な考察である。



自註ついでに少しだけ追記すると、つまり、うつ病であってもなくても確かに、日本の社会で生きて行くのは、どっちみち途轍もなくしんどいことなのである。

特に日本がと言いたいわけでは必ずしもなくて、基本的に日本のことしか知らないし見てもいないから「日本の社会で」なのだが、それもどうも時々疑わしくてしょうがない気分になるのも事実である。

物書きをやめて大学に出戻ろうとしたとき、相談しに行った先の教授はわたしのなりを見て驚いて「おいおいどうしたんだい君、もっと肩の力を抜きたまえよ」と何度も仰ったものであった。

もともと怠け病なんだから物書きのわたしだって相当な怠け者ではあったはずなのだが、それでも下に書いたようなてんやわんやの数年間を過ごした後のわたしは全身こちこちになっていて、それに自分でも気づかなかったのである。怠け病のわたしがそうなら、たぶん世間の普通の人達はもっとこちこちであるのに決まっているわけである。そしてそれはたぶんわが国の人々の普通なのである。この普通はほんとに残りの世界の全部の普通でもあるのだろうか。どうもそれはよくわからないことである。
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