スティーブン・ルークス「現代権力論批判(第2版)」詳細目次
Steven Lukes, "Power: A Radical View Second Edition," detailed contents
謝辞
目次
イントロダクション(p.1)
第1章 権力:ラディカルな権力観(p.14)
1-1 イントロダクション
1-2 一次元的権力観
1-3 二次元的権力観
1-4 三次元的権力観
1-5 権力の基礎概念
1-6 権力と利害
1-7 3つの権力観の比較
1-8 難問
1-9 結論
第2章 権力・自由・理性(p.60)
2-0 (導入)
2-1 「権力」観の不一致
2-2 権力の概念
2-3 概念の見取り図(map)
2-4 支配としての権力
2-5 フーコーの権力論:超(ultra)ラディカルな権力観
2-6 フーコーの適用:自発的な従順さを保全すること
第3章 三次元的権力(p.108)
3-0 (導入)
3-1 権力の定義
3-2 本質的な問題提起(contestedness)
3-3 第三の次元を擁護する
3-4 適応的選好
3-5 「真の利害」と「虚偽意識(false consciousness)」
註(各章各節)(p.152)
参考文献(p.163)
1. 概念分析
2. 一般的な著作
3. 本質的な問題提起
4. 古典的な議論(statement)
5. 現代の議論
6. 主な論争(debates)
7. グラムシとヘゲモニー
8. フェミニズムと権力
9. フーコー
10. ブルデュー
参照(p.169)
索引(p.188)
Steven Lukes, "Power: A Radical View Second Edition," detailed contents
謝辞
目次
イントロダクション(p.1)
第1章 権力:ラディカルな権力観(p.14)
1-1 イントロダクション
1-2 一次元的権力観
1-3 二次元的権力観
1-4 三次元的権力観
1-5 権力の基礎概念
1-6 権力と利害
1-7 3つの権力観の比較
1-8 難問
1-9 結論
第2章 権力・自由・理性(p.60)
2-0 (導入)
2-1 「権力」観の不一致
2-2 権力の概念
2-3 概念の見取り図(map)
2-4 支配としての権力
2-5 フーコーの権力論:超(ultra)ラディカルな権力観
2-6 フーコーの適用:自発的な従順さを保全すること
第3章 三次元的権力(p.108)
3-0 (導入)
3-1 権力の定義
3-2 本質的な問題提起(contestedness)
3-3 第三の次元を擁護する
3-4 適応的選好
3-5 「真の利害」と「虚偽意識(false consciousness)」
註(各章各節)(p.152)
参考文献(p.163)
1. 概念分析
2. 一般的な著作
3. 本質的な問題提起
4. 古典的な議論(statement)
5. 現代の議論
6. 主な論争(debates)
7. グラムシとヘゲモニー
8. フェミニズムと権力
9. フーコー
10. ブルデュー
参照(p.169)
索引(p.188)
※(1) | とにかく本文中で見出しのついてるものは全部拾ってみた。それでもこれだけである。あまり詳細になってないのは遺憾だが仕方がない。ちなみに節番号はわたしが勝手につけたものである。 |
(2) | radicalには周知のごとく「過激な」と「根源的な」というふたつの意味がある。この本の場合は題材から必然的に両方の意味を含む、と著者自ら述べている。フーコーが生きていたらどちらを好むだろうか。ちなみに理科系の、というか電気通信屋の習慣に沿うならばultraは「極超」と訳すべきであるが(UHF=ultra high frequencyは「極超短波」である)、権力論のテキストで「極超」などとは物々しいにも程があると感じたので「超」だけにした。 |
(3) | 原書の初版に相当するのは上記の第1章である(各節の題名も1-1を除いて訳書を踏襲した)。その第1章にも相応の修正・追補が行われているだろうが、原書初版を持っていないので確認はできない。第2章と第3章が第2版で新たに追加された章である。章見出しの脇のページ数を拾って計算してみればわかる通り、初版のほぼ3倍の分量になったわけである。訳書の増補改訂が待たれるところであるが、初版ですら20年もかかっているわけで、そのほぼ2倍の分量を増補した改訂版が出るのは2045年頃と推測される(爆笑)。高速増殖炉や核融合炉の実用化研究開発並みに気の長い話であるが、使い方を間違えれば優に一国が吹き飛ぶという意味では権力も危険物には違いない。 |
(4) | 分量が初版の3倍になってしまったのではもはや別の本ではないか(それはその通りだが、しかし)、初版の訳書を買う意味がないじゃないかと考える人がいたとしたら粗忽者である。そういう考え方をしても構わないのは、原書でスラスラ読むことのできる専門家だけである。もっとも、この種の本をスラスラ読める人は、ネイティブの専門家でもめったにいないのではないだろうか。フーコーの著作がそうであるような、いたるところレトリックで捻りまくった難解さ不明瞭さこそないものの、概念分析から始まるくらいだし、これはこれで相当に哲学的なテキストなのである。 |