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惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

スティーブン・ルークス「現代権力論批判(第2版)」詳細目次 (ver. 0.1)

2010年02月22日 | 読書メモ
スティーブン・ルークス「現代権力論批判(第2版)」詳細目次
Steven Lukes, "Power: A Radical View Second Edition," detailed contents

謝辞
目次
イントロダクション(p.1)
第1章 権力:ラディカルな権力観(p.14)
1-1 イントロダクション
1-2 一次元的権力観
1-3 二次元的権力観
1-4 三次元的権力観
1-5 権力の基礎概念
1-6 権力と利害
1-7 3つの権力観の比較
1-8 難問
1-9 結論

第2章 権力・自由・理性(p.60)
2-0 (導入)
2-1 「権力」観の不一致
2-2 権力の概念
2-3 概念の見取り図(map)
2-4 支配としての権力
2-5 フーコーの権力論:超(ultra)ラディカルな権力観
2-6 フーコーの適用:自発的な従順さを保全すること

第3章 三次元的権力(p.108)
3-0 (導入)
3-1 権力の定義
3-2 本質的な問題提起(contestedness)
3-3 第三の次元を擁護する
3-4 適応的選好
3-5 「真の利害」と「虚偽意識(false consciousness)」

註(各章各節)(p.152)

参考文献(p.163)
1. 概念分析
2. 一般的な著作
3. 本質的な問題提起
4. 古典的な議論(statement)
5. 現代の議論
6. 主な論争(debates)
7. グラムシとヘゲモニー
8. フェミニズムと権力
9. フーコー
10. ブルデュー

参照(p.169)
索引(p.188)

※(1) とにかく本文中で見出しのついてるものは全部拾ってみた。それでもこれだけである。あまり詳細になってないのは遺憾だが仕方がない。ちなみに節番号はわたしが勝手につけたものである。
(2) radicalには周知のごとく「過激な」と「根源的な」というふたつの意味がある。この本の場合は題材から必然的に両方の意味を含む、と著者自ら述べている。フーコーが生きていたらどちらを好むだろうか。ちなみに理科系の、というか電気通信屋の習慣に沿うならばultraは「極超」と訳すべきであるが(UHF=ultra high frequencyは「極超短波」である)、権力論のテキストで「極超」などとは物々しいにも程があると感じたので「超」だけにした。
(3) 原書の初版に相当するのは上記の第1章である(各節の題名も1-1を除いて訳書を踏襲した)。その第1章にも相応の修正・追補が行われているだろうが、原書初版を持っていないので確認はできない。第2章と第3章が第2版で新たに追加された章である。章見出しの脇のページ数を拾って計算してみればわかる通り、初版のほぼ3倍の分量になったわけである。訳書の増補改訂が待たれるところであるが、初版ですら20年もかかっているわけで、そのほぼ2倍の分量を増補した改訂版が出るのは2045年頃と推測される(爆笑)。高速増殖炉や核融合炉の実用化研究開発並みに気の長い話であるが、使い方を間違えれば優に一国が吹き飛ぶという意味では権力も危険物には違いない。
(4) 分量が初版の3倍になってしまったのではもはや別の本ではないか(それはその通りだが、しかし)、初版の訳書を買う意味がないじゃないかと考える人がいたとしたら粗忽者である。そういう考え方をしても構わないのは、原書でスラスラ読むことのできる専門家だけである。もっとも、この種の本をスラスラ読める人は、ネイティブの専門家でもめったにいないのではないだろうか。フーコーの著作がそうであるような、いたるところレトリックで捻りまくった難解さ不明瞭さこそないものの、概念分析から始まるくらいだし、これはこれで相当に哲学的なテキストなのである。

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スティーブン・ルークス「現代権力論批判」他

2010年02月18日 | 読書メモ
以下の本は誰にでもオススメするという性質のものではなく、MSWの第7章を読む際の必読書として挙げておくものである。少なくともわたし同様に(アメリカ)政治学に詳しくない人は、このあたりをざっと読んでおくとMSW第7章の理解が容易になるはずだ。

Power: A Radical View
(2nd edition)

Steven Lukes
Palgrave Macmillan
Amazon
現代権力論批判
Steven Lukes
未来社
Amazon / 7net

Who Governs?: Democracy and Power in an American City, Second Edition (Yale Studies in Political Science)
Robert A. Dahl
Yale University Press
Amazon
統治するのはだれか―アメリカの一都市における民主主義と権力
ロバート・A. ダール著・河村他訳
行人社
Amazon / 7net

現代政治分析
(岩波テキストブックス)

ロバート・A. ダール著・
高畠 通敏訳
岩波書店
Amazon / 7net

5冊のうち4冊は以前にMSW第7章の参考文献としてリンクを貼っておいたものだが、ルークスの訳書が届いて読み始めてみると、サールの議論がこれらの本のあたりを強く意識していることがわかってきた。直接にはルークスの本だけだが、そのルークスの本の中で批判されているダールの権力論における「権力の素朴な定義」なるものがサールのそれとうりふたつなのである(しかもその定義が書かれたダールの論文の題名がまた、MSW7-1節と同じ「権力の概念」である)。

もちろんサールは政治社会学における(ダールのような)「行動主義」者ではないし、そうであったこともないわけだ。ただ、要するにサールの議論も唐突に出てきたものなどではなく、少なくとも第二次大戦後のアメリカにおける政治権力論の議論の流れを、実はしっかり踏まえつつ出てきたものだということである。こういう場合は、どんな分野であれ、議論の流れの源流まで遡って古典を読んでみるにしくはないということである。

ざっと確認するだけなら洋書まで手を伸ばす必要は、本来はないのだが、たとえばルークスの本は第二版でフーコーの権力論に対するコメントが追加されている(その箇所もまたMSW7-2節で参照されている)。これは初版を底本としている邦訳書には含まれていないのである。

ps. ところでルークスの訳書ではpolitical agendaが「政治案件」と訳されていた。アジェンダというカタカナ語が嫌いなわたしとしてはこの訳に乗っかりたい気もするのだが、まだ迷っている理由がふたつ。計算機屋のわたしにとっては「案件」という日本語も、商売柄あんまり好きな言葉ではなかったりする(笑)ことがひとつ。それから邦訳書ではdecision makingを「決定作成」と訳したりしていて──これは普通「意志決定」と訳すだろ、と思うわけだが、あえて直訳にしたのか、それにしてはわざとそう訳したことのコメントがない──ホントに大丈夫かなこの訳、という感じがしなくもないことがもうひとつの理由である。

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エリオット・ソーバー「進化論の射程──生物学の哲学入門」

2009年05月09日 | 読書メモ
進化論の射程―生物学の哲学入門
(現代哲学への招待Great Works)

エリオット ソーバー
春秋社
Amazon / 7&Yicon / rakuten

この本は今日から読み出したので、本当のところ、現時点ではオススメするともしないとも言えない。ざっと眺めたところでは突拍子もないことは書かれていなさそうだというところでこれを書いている。とはいえ、そもそもわたし自身はこの本をネットで注文する際、目次をチェックして、だいたいこういう構成なら中身もまともだろうと判断したわけだ。目次は章構成までなら上のリンク先でもチェックできるが、以下にもう少し詳細な目次構成を掲げてみる──版元は自社のWebページにこのくらいの目次構成くらいは出しておいてもらいたい。章構成だけでおおよその見当がつけられる読者ばかりではないのである。

第1章 進化論とは何か
進化とは何か/生物学における進化論の位置づけ/パターンと過程/歴史的特殊と一般法則/進化の原因/生物学と物理学の領域/生物学的説明と物理学的説明
第2章 創造論
時代錯誤の危険/ペイリーの時計と尤度原理/ヒュームの批判/なぜ自然選択はランダムな過程ではないのか/二種類の類似性/予測に関する等価性の問題/デザイン仮説は非科学的か/科学の不完全性
第3章 適応度
理想化された生活環/確率の解釈/適応度について調べる二つの方法/トートロジー問題/付随性/有利さと適応度/目的論の自然化
第4章 選択の単位の問題
階層性/適応と思いがけない利益/部分と全体の分離/紛らわしい議論/実例/相関、コスト、利益
第5章 適応主義
適応主義とは何か/遺伝が妨げとなるとき/適応主義はテスト不可能なのか/複雑な形質に基づく議論/最適性モデルがあまりに安易に構築されるなら、基準を厳しくしてやればよい/ゲーム理論
第6章 体系学
本質主義の死/個物性と種の問題/体系学の三思想/内的な無矛盾性/全体的類似度に基づく系統推定/最節約法と系統推定
第7章 社会生物学と進化理論の拡張
生物学的決定論/社会生物学はイデオロギー的機能を持っているか/擬人主義対言語的純潔主義/倫理/文化進化のモデル

この本は副題にある通り「『生物学の哲学』入門」で、入門書だから、現在のわたしの関心の深度まで満たしてくれるような本でないことは最初からはっきりしている。たとえば「1.6 生物学と物理学の領域」では生物体の存在論的地位に関する物理主義と生気論が心の哲学における物理主義と二元論に類比されるような形で提示されている。こういう図式はつまるところ「いまどき生気論はないですよね」と言うために提示されるだけのものだから、もともと生気論に意義を認めない側からするとあまり意味がないわけである。現在の議論においてより重要なのは物理主義の内側における困難であるわけだが、この本で扱われているのは例によって付随性(supervenience)がどうしたこうしたというところまでである。

わたしにとってそっち方面の議論は「もうお腹いっぱい」で、いまさら食指が動かない、けれども、考えてみると複雑性や人工生命の研究をやっている間、わたしは付随性のフの字も聞かされたことがなかったわけだ。博士退学後に心の哲学に関する議論を読んで初めて「なんだよー、こっちでやってやがったのか」と思ったものだった。だから、この本をたとえば生物学、生命理工学、あるいはその他の周辺領域の理工系学生や研究者が読むことを考えてみたら、科学哲学といえどもこのくらいのことは踏まえてやっているぞ、ということを知っておくのには丁度いい本だと言えるかもしれない。

理工系の世界では生物の進化論というのは自明の真として扱われるのが普通で、事実疑問の余地なく真なのだからそれは仕方がないのだが、このblogでも問題提起だけして全然先に進んでいない通り、物理学と進化論の十分な接続というのはいまだなされていないわけで、それに関連したところで何かを考えようとすると進化論がむしろ硬直した議論のように思えてくる、という面白くない副作用がないでもない。生物学の哲学が進化論にもう少し厚みを加えることができるのか、特にこの本がそれに成功しているかどうかは何とも言えない感じだが、進化の理論にかかわって「どうにも議論が薄っぺらで面白くならないな」と感じている理工系学生や研究者がとりあえず読んでみる本としては一番穏当な(とはつまり、議論に怪しいところの少ない)本なのではないかと思う。

とりとめもないことを書いてきたが、もう一度繰り返すと、進化論にかかわる議論というとドーキンス流の「利己的遺伝子ばんざい」か、そうでなければあらゆる種類の非科学的神秘的デンパ学説ばっかりではないかと嘆いている人には「まあまあ、とりあえずこれでも読んでもちつけ」と言ってみたい。ちゃんと読み込んだら相当な内容のある本だということは、上記の目次構成を眺めればわかるはずである。

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竹田青嗣「人間的自由の条件」

2009年05月01日 | 読書メモ
GWに入ったのに一向に素人哲学が再開しないではないかと不平を鳴らしている人がいたら申し訳ないことである。blogで書くものの方にはちっとも反映できないでいるのだが、続いてはいるのだ。

それにしても時々は書いておかないといけない。要するにこのひと月かそこら、わが素人哲学はずっと竹田青嗣の本のあたりで滞留しているのである。新書の「人間の未来」の方は以前に感想を書いた。それ以上は改めて書くことはないのだが、どうもこの本のハッキリしない印象を多少はっきりさせたくて、同書中でも頻繁に言及されている旧著「人間的自由の条件」を買って読んでみた。そうすると読むほどに、これを今まで読まずにいたのは不見識だったという印象が強まってしまった。それでいつになく丁寧に他人の本を読んでいるというわけである。

人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想
竹田 青嗣
講談社
Amazon / 7&Yicon / rakuten

と、一応アフィリンクを貼っておくわけだが、気をつけていただきたいことがひとつ。この本の第1章は柄谷行人のやっていたネオ生協運動みたいなものの背景にあった理念を批判的に考察した論考で、その時期と著者にとって、また執筆依頼してきた雑誌(群像)にとっては、書かれる意味があったものなのだろうが、わたしを含めてそれ以外にとっては、まったくどうでもいい話だと言うしかないような要素を含んでいる。ただ、その一方で、この第1章が後続の章の考察の導入になっていることも事実であるし、この本の版元(講談社)の手前もあって外すわけに行かなかったのだろうと察せられる。まあ何にせよ、この不景気のさ中、3000円近く払った上でどうでもいい話は1ページたりとも読まされたくない(笑)などという人は、この本を買ってはいけない。

また、この本の文章は「人間の未来」と比較しても書きっぷりにしち面倒くさいところがある。つまり読む側にそれなりの強い動機づけがなかったら、面倒くさくてとても読んでいられないような文章だと思う。わたしにはその動機づけがあったわけだが、他のめったな人にあるとは思えない。何にせよこの本をおすすめできるのは、わたし同様、著者の近著「人間の未来」を読んで興味を持ったが、その根拠をより詳しく知りたいと思った人だけである。

前置きが長くなったが、実のところ現時点でもこの本について十分な感想は書くことができない。あまり疲れていない日の通勤電車の中でちょっとずつ読み進めて、ようやく昨日になって一読し終えたところなのだ。通り一遍のことは「人間の未来」の感想で書いてしまっているので、改めて書くこともないのだが、しかし改めて書くと、この本で展開されている竹田の、「自由」に関するヘーゲル理解は、そのヘーゲルの「精神現象学」や「法の哲学」にあらわれた自由論と併せてまったく見事なものだと思う。そこだけでも一読の価値はあると言いたい。そもそも何でこういう理解がいままで普通になされて来なかったのか、わたしにはそのことが不思議に思えるのだ。

問題はそこから先である。「人間の未来」でもそうだしこの本でもそうだが、竹田はとにかく「自由の相互承認」ということにこだわっている。けれども「相互承認」と言ってしまうと、任意の独立した2者間の承認の集成というニュアンスが強くなる。実際ヘーゲルがそう言っているのだと竹田は考えているようだし、そうなのかもしれない。けれどもわたしの考えでは、そのような意味での自由の相互承認などということは成り立たない。わたしはヘーゲルの方もそのように読もうとしているということだが、自由とは主体の残余に対する自由であって、ただその主体と残余の関係が固定的(機械的)ではなく弁証法的であることが自由を自由にしているのである。この図式に登場するのは主体と残余だけである。他者などは存在しないし、他者の組織体である社会も存在しない。現に存在しないというのではなく(そう言ってしまったらただの独我論になってしまう)、自由の本質において存在しないのである。

もちろんわたしの考えが間違っているのかもしれない。いつもそうだからたぶん間違っているのだろう。けれども竹田もそうだし他のどんな論者においてもそうなのだが、自由ということは常に他者や社会の存在を論理の形式的な前提として組み込んでしまった上でなされているような気がしてならない。だが人間は、というより主体はもっと自由なのだ。ヘーゲル/マルクス系統の哲学から導出された社会理念のことごとくが挫折したというのは、竹田の言に沿って言えば、要はその理念の構成上「暴力を排除できなかったこと」だということになるし、それで合っていると思うのだが、社会を公平なルールゲームとして徹底するという竹田の展望には、わたしは賛同できない。端的に、ルールが暴力を排除することは、双方の本質において不可能だと考えているからである。少なくともこの本や「人間の未来」についてみる限り、竹田の「ルール」概念は、それが展開されたところに浮かび上がるはずの社会の像と同様、ただの機械と違わないと思う。このblogで近頃わたしがやっている「悪」についての考察は、だから、そう言ってよければ機械ならざる社会の実像ないしは原像ということがテーマなのである。

ここらへんをもう少し明解に書くことができれば竹田の論との違いをはっきりさせられていいわけだが、まだそこまではできていないのである。

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おすすめまではしない、が、今読んでいる

2009年03月25日 | 読書メモ
人間の未来―ヘーゲル哲学と現代資本主義 (ちくま新書)
竹田 青嗣
筑摩書房
Amazon / 7&Yicon / rakuten

タイトルの通りである。この本の基本的な結論に対して、わたしは非常に大きな違和感を抱いている。つべこべ言っといて結局はエコエコ万歳かよ、というような。

とはいえ、この本はヘーゲル哲学の再評価を含めた入門書として読めば間違いなく優れた本だ。実際、もともとはそういう本として書き始められたもののようである。そういう部分に限れば、これはもう書かれていることの一から十まで賛成したいくらいなのだ。かつてこれほどわかりやすく、しかも著者自身の長年月にわたる読み込みの累積が見事に反映されたヘーゲル入門は(この著者はすでに何度もヘーゲル入門の本を書いているわけだが、その中でも)、他に優れた入門書は数多いとはいえ、そうはないはずである。

著者はわたしなどの何万倍もヘーゲルを読んで来た人だというのは言うまでもないことだし、それを結論が気に食わない(それも、本当に困ったことだが、かなり激しく)というだけで捨ててしまうのは、我ながらあまりに早計だと感じて、もうちょっと丁寧に読み返してみているというわけである。

ヘーゲル入門の見事さと結論のつまんなさのギャップが激しすぎるのは、わたしの読み方がどこか根本的におかしいのかもしれないし、あるいは、この本もある意味で「理想の作り直し」をやっている本だということになると思うのだが、この著者の考え方と自分のそれがどこでどう違っているのかを見極めることができれば、少なくともわたし自身は得るところが多々あるに違いないとみている。このblogの閲覧者には価値がなくとも、わたしはわたし自身に対してこの本の価値を認めている。そういうことである。

まあ、いずれ何か書けそうなことが出てきたら、もうちょっと詳しく書いてみたい。ただし、何がどう転んだってわたしがエコエコ万歳なんぞを認めることは金輪際あり得ない、ということだけは今から断っておきたい。

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「計算機屋の哲学」古典2冊

2009年03月18日 | 読書メモ
以下は哲学の本ではないが、ここんとこ「素人哲学の方法」カテゴリでやってる話の周辺というか、おすすめ参考書ということで挙げておきたい。この分野では古典中の古典、これらを読まずに「ユーザ・インタフェースを語るなかれ」と言われる(むろん、わたしも言う)名著である。

計算機入力の人間学―打鍵入力信頼性技法
G.M. ワインバーグ,米沢 明憲
共立出版
Amazon
システムづくりの人間学―計算機システムの分析と設計を再考する
G.M. ワインバーク,木村 泉
共立出版
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著者も訳者も計算機屋だし、わたしも計算機屋のはしくれだが、この2冊は計算機屋でない人にも、また理科系でない人にも薦められる、この分野の専門書としてはきわめて珍しい本である。最近は類書も見かけるし、同じ著者や訳者の(これら以後に書かれた)本も他にあるが、それでもこの2冊よりましなものはいまだにない、とわたしは思う。

いま調べたら左はすでに絶版のようでAmazonの古書で扱っているのみだったが、バカみたいな高値はついてないので心配は無用である。

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おすすめ倫理学

2009年03月14日 | 読書メモ
支配と服従の倫理学
羽入 辰郎
ミネルヴァ書房
Amazon / 7&Yicon

この本を倫理学の書だと言っていいのかどうかはよくわからない。しかしこのblogで考察している(と言いながら、実質ほとんど進んでいないのだが)「げんなりしない倫理学」について言えば、とても興味深い話がたくさん書かれている。

正直に言うと、わたしはこの本で用いられているような著者の文章の調子が、あんまり好きではない。なんというか私的な情念がモロ出しに出まくっているところがあって、それはいいのだが、その情念の質がどうやらわたしの好みに合わないのだ。にもかかわらずこの本を「おすすめ」する理由はただひとつ、わたしが日本人の書いた本を品定めするとき使っているいくつかのテスト項目のうち、最も難しいひとつをクリアしている、かつてわたしが読んできた中ではまったく最初の本だということに尽きている。その部分だけを引用しよう。

こんなことを言うと驚かれるかもしれないが、東大に入ってくる人間というのはそんなに頭は良くないのである。私も入る時は、東京大学には頭の良い人達が沢山いるのだろう、と思っていたので、その気持ちはよく分かる。ところが入ってみて驚いたのである。周囲を見回し、何だこれは、馬鹿ばっかりじゃないか! と気がついて愕然としたのである。君ら(引用者註:成城大生もしくは青森県立保健大生)の方が頭は良い。これはお世辞ではない。君らに欠けていたのは、我こそは東大に入るべき人間だ、という思い込みの強さと、最後の最後での糞頑張りである。この最後の最後での糞頑張りというのは、東大生特有のもので、これは凄い。最後の最後まで悪あがきをし、驚くべきことに、手に入れたかったものを最後にはつかんでしまうのである。

(第七章「悪意ある権力者の支配」pp214より引用。強調は引用者)

ちなみにわたし自身は東大には縁のない人で、だから言えば、上記の強調部分、「最後の最後での糞頑張り」の原理は決して「東大生特有」のものではない。東大と同じくらい偏差値が高い大学ならだいたいどこでもこんなものだというのは、そういう大学のひとつに通っていたわたし自身の経験に照らして請け合える話である。むろん著者のいう「馬鹿ばっかりじゃないか!」の、その馬鹿のひとりとしてだ。こういうことが判っていて、しかも著作の中で開陳できる人物なら、文章の上に現れた情念の質の違いなどはどうでもよいことだと言いたい。そのくらい、この指摘はまったく正確で、また希少だという意味で重要である。この引用部分のような指摘が「勇気ある」という形容をされないで済むことを、著者のために祈りたい。

つまりこの本は「げんなりするような話ばかり集めて、げんなりするような情念の質で貫かれた『げんなりしない倫理学』の珍しい本」だ、とわたしは言いたいわけだ。

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おすすめ入門書(2)

2009年02月21日 | 読書メモ
哲学そのものの入門書として一冊。
哲学ってどんなこと?―とっても短い哲学入門
トマス・ネーゲル
昭和堂
Amazon / 7&Yicon

表紙カバーのイメージ画像は下記のサイトにあったものを勝手に借りてきてサイズ調整等加工したものである。


画像を借りてきてまで言うことでもないのだが、もともとこの表紙カバーのデザインはかなりショボイ。LPレコードのジャケ買いならぬ本のカバー買いをする人には見た目だけでソッポを向かれてしまいそうな本である。しかし中身は上記サイトでも称賛されている通り、極上品である。翻訳の文章も、たぶんいいと思っているのだけれど、原書までは読んでないので、どうなんでしょうか。

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進化ゲーム理論の本

2009年02月21日 | 読書メモ
改めて進化ゲーム理論の本を読んでいると下の方で書いたが、どうもこの分野はなかなか思うようには進歩していないのだろうか、わたしが学生のころ読んでいたウェイブルの本が今でも「最良の教科書」だと、あちこちのWebページで紹介されている。
Evolutionary Game Theory
Jorgen W. Weibull
Mit Press
Amazon

これってもう15年くらい前(1995)に出た本だぜ。哲学書ならそういうのはザラにあるけども…

まあ、そんなにいい教科書なら(いや、実際いい教科書だよ?)和訳があってしかるべきだと思うわけだが、和訳書は絶版の上に、古書が十倍くらいの値段で売られている。そういう本を最良の教科書だとのたまうのなら、専門家の方々、どうにかしろ。

進化ゲーム理論ではもう一冊
Evolutionary Games and Population Dynamics
Josef Hofbauer and Karl Sigmund
Cambridge University Press
Amazon

これも和訳書(邦題:「進化ゲームと微分方程式」でググれ)が出たとき買って熱心に読んだものだが、この和訳書も長らく絶版のままなのである。

初っ端から洋書は遠慮したい、という人には、割に最近出た次の2冊はかなりよさそうである。
社会科学者のための進化ゲーム理論―基礎から応用まで
大浦 宏邦
勁草書房
Amazon / 7&Y
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進化のダイナミクス 生命の謎を解き明かす方程式
Martin A. Nowak
共立出版
Amazon / 7&Y
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左は「社会科学者のための」とあるが、著者がそういう畑の人だからそうなっているということで、dynamicsを「動学」、equilibriumを「均衡」と訳す経済屋さんの流儀に慣れさえすれば、理科系の初学者が読んでも大丈夫だと思う。

以上、アフィリンクの作り方の復習(半年もやってなかったからすっかり忘れていた)でした(笑)。

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おすすめ入門書(1)

2008年07月12日 | 読書メモ
このblogの他のカテゴリでは特定の哲学者や著作に言及することは、なるべくしないつもりでいる。とはいえ本を読まないわけではないし、もっと読まれていいと思う本はたくさんあるので、随時紹介して行くことにしたい。まずはこれ。
マインド―心の哲学
John R. Searle
朝日出版社
Amazon / 7&Yicon

「心の哲学」だけでなく哲学一般に興味のある人は、他のどの本でもなく、とにかく最初にこの本を読むべきだとわたしは思う。そのままサールの信者になってもいいだろうし、飽き足らずに分析哲学・言語哲学の古典的著作を遡って読んでみるのもいい。あるいは反発して現象学とかの方に行ってもよいと思う。いの一番にこの本をお薦めするというのは、読みやすくて面白いからということはもちろんだが、この本から興味関心をいろいろに分岐させて行くことは容易だが、他の入門書や個別の哲学者に関する解説本などからこの本にたどりつくことは、実はすごく難しいのではないか、という気がするからである。

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