以下はもともと私訳メモで書いていた「俗衆で悪かったな」のスピンオフであったものが、さらにあらぬ方向へ膨らんでいったものである。
「英文味覚異常」ネタは時々書いてみたくなるもののひとつなのである。
普通に言う味覚異常というのは、体内の亜鉛欠乏で味覚細胞がまったく機能しなくなった状態のことである。その状態では何を食べても口の中一杯に砂か何かを詰め込んだような感じにしかならないらしい。そうなるとものを食べること自体が苦痛この上もないことになってしまうわけで、それなりに怖い病気である。とはいえ、原因は上記の通り亜鉛欠乏ではっきりしていて、治療も単に亜鉛製剤をしばらく服用するだけ、それでごく短期間のうちに治るらしい。
いっとき妙に流行った病気だが、亜鉛製剤というか亜鉛成分を含有したサプリメントがコンビニで簡単に手に入るようになってからは耳にしなくなった。とはいえ、よほどの偏食家でもまずならない、昔はついぞ聞かなかった症状が、それなりにまとまった数で出てくるというのは、現代日本人の食習慣が、というよりも本当は家庭生活のイメージみたいなものが、何か根本的なところでぶっ壊れてきていることの反映ではあるのだろう。
三度の食事と三時のおやつの区別がついてないんじゃないかというような感じの人は、見ていると結構いる、というか、見てなどいなくてもわかるわけである。勤め先の社内食堂のメニューが年々再々、これはいったい、おやつかオモチャかと言いたくなるようなわけの判らないものになってきているからである。客(従業員)だけではない、もはや食堂のオバチャンも献立係も栄養士も皆々壊れているのである。お前も壊れてしまえと言われているようで気味が悪い。
家庭生活のイメージと言って、正しいイメージがあるとか、古きよき時代にはあったとか言いたいわけではない。実際、そんなものはない。そうじゃなくてイメージが、その統覚が壊れている、どうかすると喪われてさえいるのではないかと言いたいのである。ソライティーズ・パラドクスというやつ、食事とおやつを区別する厳密な境界線のようなものが客観的に存在するわけではない。それは個々の主観の、その統覚の中にしかない、その統覚がぶっ壊れているのである。
そういう人々は不健康そうに見えるかと言えばとんでもない、外面で眺める限り体格もオツムも実にしっかりしたものである。むしろ健康そのものに見えるところが不可解というか、いっそ愉快と言いたいくらいである。たぶん彼らは、自分の心身を内側から蝕んでいるらしいものが、いったい何であるのか判らないに違いない。その不安にかられて何やかやの健康・不健康のリストをたくさん作っては、自他にそれを強要しあうようになっているのではないだろうか。そんでWHOとか厚生労働省とかは、そのリスト作成の尻馬に乗ってお役所仕事を稼ぎまくっている。いい迷惑である。
「英文味覚異常」ネタは時々書いてみたくなるもののひとつなのである。
普通に言う味覚異常というのは、体内の亜鉛欠乏で味覚細胞がまったく機能しなくなった状態のことである。その状態では何を食べても口の中一杯に砂か何かを詰め込んだような感じにしかならないらしい。そうなるとものを食べること自体が苦痛この上もないことになってしまうわけで、それなりに怖い病気である。とはいえ、原因は上記の通り亜鉛欠乏ではっきりしていて、治療も単に亜鉛製剤をしばらく服用するだけ、それでごく短期間のうちに治るらしい。
いっとき妙に流行った病気だが、亜鉛製剤というか亜鉛成分を含有したサプリメントがコンビニで簡単に手に入るようになってからは耳にしなくなった。とはいえ、よほどの偏食家でもまずならない、昔はついぞ聞かなかった症状が、それなりにまとまった数で出てくるというのは、現代日本人の食習慣が、というよりも本当は家庭生活のイメージみたいなものが、何か根本的なところでぶっ壊れてきていることの反映ではあるのだろう。
三度の食事と三時のおやつの区別がついてないんじゃないかというような感じの人は、見ていると結構いる、というか、見てなどいなくてもわかるわけである。勤め先の社内食堂のメニューが年々再々、これはいったい、おやつかオモチャかと言いたくなるようなわけの判らないものになってきているからである。客(従業員)だけではない、もはや食堂のオバチャンも献立係も栄養士も皆々壊れているのである。お前も壊れてしまえと言われているようで気味が悪い。
家庭生活のイメージと言って、正しいイメージがあるとか、古きよき時代にはあったとか言いたいわけではない。実際、そんなものはない。そうじゃなくてイメージが、その統覚が壊れている、どうかすると喪われてさえいるのではないかと言いたいのである。ソライティーズ・パラドクスというやつ、食事とおやつを区別する厳密な境界線のようなものが客観的に存在するわけではない。それは個々の主観の、その統覚の中にしかない、その統覚がぶっ壊れているのである。
そういう人々は不健康そうに見えるかと言えばとんでもない、外面で眺める限り体格もオツムも実にしっかりしたものである。むしろ健康そのものに見えるところが不可解というか、いっそ愉快と言いたいくらいである。たぶん彼らは、自分の心身を内側から蝕んでいるらしいものが、いったい何であるのか判らないに違いない。その不安にかられて何やかやの健康・不健康のリストをたくさん作っては、自他にそれを強要しあうようになっているのではないだろうか。そんでWHOとか厚生労働省とかは、そのリスト作成の尻馬に乗ってお役所仕事を稼ぎまくっている。いい迷惑である。