いろんな性質(たち)の人がいるってぇだけのことです。良い悪いじゃない。
そりゃ、あたくしにも好みはありますからこういう人が好きでああいう人は嫌いってぇのはあります。それがこういう人が良くてああいう人が駄目って評価に転じ、人はかくあるべしなんて決めつけになったりもします。
どこまでが嗜好でどこからが価値観なのかよく判らない。そもそも線引きが出来るものなのかも分かりません。
それはともかく、人の性質ってぇか気質ってぇか、あるいは資質ってぇのは人により違うってぇだけで良し悪しの問題ではないでしょう。いろんな人がいるから社会は回ってる。一様ではないから複雑なことが可能になってます。
個人的には思うところもありますがそれはあくまであたくしの思いですから、あたくしとは思いを異(こと)にする人もいるのは当然で、それでいいのです。そういうふうなものなのです。
それぞれの在りようをまっとうするだけ。それだけです。
その結果、私たちはどこへ向かうのか。
さあ、どこへ向っているんでしょうかねえ。
いろんな人がいるから、多種多様なことが可能である…なるほど合点がいきますね。
悪があるから、善が引き立つ…そういうこともあります。
SNSの暴力って度々話題になりますけれど、そんなことしてその方々が豊かな感性でいられる訳ではありませんね。自分の蒔いた種は自分で刈り取るモノだと思うから。
そんな私も、全く人に迷惑をかけないで生きてきた訳ではありませんね。だから自分の反省で精一杯だったりします。豊かな心、感謝とか…そんな風に生きてゆきたいです。
本当にそうですね。他人に暴力をふるえば自分に返ってくるだけです。荒んでいく一方ですね。豊かな感性にはほど遠い。
ぼくも自分が善い人であるとは思っていません。善くあろうとする人に過ぎない。まだまだ成長する余地があると思いたいですね。