あ、ホタル。
川面をすうッと一筋の光が流れていく。
川岸の草むらでは応じるように光が明滅しだす。
驚きましたなあ。
いえ、ホタルにではありませんよ。自分の感受性の枯れ具合にです。ホタルを見てホタルって確認してるだけですよ。呆れちゃいます。ほかになんか言葉にすることないの?
ま、そりゃきれいだとは思いましたよ。でもそれだけ。荒涼とした感受性。
感受性が荒廃してるのは愛が荒廃してるってことですかねえ。
小林秀雄が「美を求める心」で画家が花を見るのは好奇心じゃなくって愛情だっていうようなことを書いてたと記憶しますが、本当にそのとおり。好奇心でホタルを見てるだけなんですよ、あたくしは。きれいだなあって感じるのはオマケ。
世界は美で溢れているのに、愛が足りないばかりにあたしはその美に触れられないでいます。
コメント、ありがとうございます
ぼくがフォローしている方が茨木のり子の「自分の感受性くらい」を引用してるのを読んで数日前に川辺を散歩したときのことを思い出し、それでこの記事を書いたんですが、本当に自分の感受性を守れていない気がします。
なので愛の女神といわれると恐縮します。というか照れくさい(笑)
ブログ、読ませてもらってます。
歌を詠むのは愛の現れだと思います。愛があるからこそ歌になるのですから。
元々どんなに豊かな感性をお持ちの方なのでしょう、日々そういう(理想!の)感性を持って世界を見る様にしたら、また見える景色が変わるのかなと思いました(゚∀゚)
因果の逆転〜なる程‼︎と改めて気づかせて頂きました。飲み会で大笑い、など出来ないので諦めムードでしたが😅ブログでもペットちゃんとか可愛かったり笑える楽しいものがたくさんあるので、因果の〜を読ませて頂いてから、可笑しい時は一人で大げさに笑う様にしてみたら、心が少しずつ軽くなっていく様です(^ν^)
いろいろお気付きありがとうございますm(__)m
ホタルの飛ぶ里〜(遠い昔の原風景になってしまいました)素敵ですね‼︎😍😍😍
笑う門には福来たるともいいますし。
コロナ禍においては笑うことも難しいですが、だからこそ笑う必要もあるのでしょう。自身のために、周りの人たちのために。
笑っていればいいことがやって来るような気がします。
今日もどうぞ良い一日を‼︎
ikuchanさんも素晴らしい日をお過ごしください。
ありがとうございます
自分の感受性くらい、は。
むかし何度も繰り返し音読したことがありました。
あの時どういう心持ちだったのか今じゃ思い出せませんけども。
落語に詳しくないのですが、
あんまり眠りたくない夜中にぼんやりと流すことがあります。
粗忽長屋の住人のことを考えたり、
品川心中のくだらなさに胸がしん、となったりします。
今日はお越しいただきありがとうございました。
「粗忽長屋」の訳のわからないくだらなさや「品川心中」の間抜けさ加減がぼくは好きです。
眠りたくないときに聞かれるんですね。ぼくは逆に眠りたいときに聞きます。子守唄です。落語を何度も聞いているうち、極端なことを言えばストーリーなんてぼくはどうでもよくなってきました。噺家の声とリズムが聞きたいだけになりました。音楽を聞くのに近い感じです。
コメントの返信だけでなく、こちらにまでコメントをくださり、ありがとうございました。
これからも読むのを楽しみにしています。
今起きてました、というか目が醒めてしまったのでした。
誰か他の人も起きていることがうれしいです😆
言葉が足りずごめんなさい。
あんまり眠りたくない夜に落語を流すのは、
眠りたくなるようにという意味でした。
よかったらまたお越しください。
その後子守唄に落語を聞いてすぐ寝ちゃいましたけど(笑)
lilyalleyさんもよろしければまたお訪ねください☺️