瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

存在の本当

2018-12-06 05:01:12 | 随想
こちらの都合を相手に押し付けるってぇことを往々にしてしてしまいますな。相手の都合なんて忖度しない。ま、なかにはお偉いさんの忖度ばかりしている人たちもいますがね(笑)

そりゃ、ま、そのほうが楽ですからな。自分のことだけを考えて相手のことは考えない。想像力、頭を使わないで済みます。

でも当然、相手には相手の都合がありますから対立しますわな。お互い、不愉快になるだけ。

世の中、対立する場面が多いような気がしますねえ。対立しては勝ったの負けたのとばかり言ってる。人は争うようにできてるんでしょうか。そんなことはないと思いますよ。
共存共栄なんて言葉がありますからな。そういう言葉があるってぇことはそういう概念があるってぇことです。概念があるンだから顕現します。争うばかりが人じゃない。

対立してばかりじゃ破綻しますよ。勝ち続けるなんてあり得ませんからな。バランスが悪いことは持続しません。
調和だの共生だのってぇ言葉だってあるじゃありませんか。全体でひとつですからな。一部が突出すればひとつではいられません。崩れます。破綻します。

とはいえ争うようにできてるのも事実ですからな。争うことが止められないなら、せめて引き分けを着地点にしたいもんです。痛み分けでいいじゃありませんか。勝ったの負けたの、得したの損したのと偏った結末にするから次の争いが始まるンですからな。

自分一人で存在できるわけじゃありません。他の存在があってこそ自分も存在できるンですからな。
そういう意味ではすべての存在が自分と等価です。対立するようなもんじゃない。共に在る、共に生きるのが本当なんですよ。

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