昨日は、カクテルバー・マルソウの元二代目店長で、現在は貿易業をしている古山純(ジュンジュン)君が来店しました!
ジュンジュン君は「マルソウ・カップ1999」北條智之(キャットマン)氏とタンデムで優勝や、「FBNフレア・バーテンディング・コンペティション2001」ルーキー部門優勝など国内で数々の優勝歴を持ち、日本の古くからフレアの歴史を知る一人です!
お話を伺ってみました!
北條:「フレアを始めたきっかけを教えて下さい。」
古山:「1996年にカクテルバー・マルソウに入社し、1997年に韓国(当時フレアが盛んな国)から帰国した北條さんと、"利上げが悪かったお店を何とかしたい!"という事で一緒にフレアをはじめました!1998年に北條さんが、スペシャル・カクテル"ライディーン"を考案し、これがアタリお店にお客様が増えてきました!」
北條:「カクテルバー・マルソウは、どれくらい在籍していましたか?」
古山:「1996年から2001年の5年間の在籍でした。」
北條:「フレア・バーテンディングは、いつからいつまでやられていましたか?」
古山:「1997年から2004年までの7年間です。マルソウの後は、リアルに務め、その後はアイリッシュ・パブ・グリーンシープに務めました。グリーンシープでは、マルソウのお客様が"ここでもライディーン出来ないの?"と言われて、フレア・ショーをやる事になりました。」
北條:「今の仕事は、どの様な仕事なのでしょうか?」
古山:「現在は貿易業をしています。飲食店に関わる皆様に協力出来る飲料など輸入して、お役に立ちたいと思っています。」
北條:「フレアでの失敗談や、嫌だった話などはありますか?」
古山:「フレア中に、スピルストップ・ポアラーが手のひらに見事に刺さりました!1週間洗い物が出来ない位の酷さでしたよ!後はマルソウのスペシャル・カクテル"ライディーン"をやり過ぎて飽きた事です当時とてもフレアが人気で、ライディーンを一人で11回注文したオジサンがいたりするくらいですからね~とにかく流行りましたよ!」
北條:「フレア・バーテンダーをしていて良かった事はありますか?」
古山:「フレアであったり、90年代で170種類のマティー二・サービスや、当時の海外での流行カクテルの提供や、ミクソロジー・カクテルなど、常に時代の最先端なカクテルの提供を行って来て、他のバーテンダーと違う事をやらせて頂いている事に関われた幸せが、何よりも良かった事です」
北條:「想い出に残る大会はありますか?」
古山:「日本のフレア・バーテンディングの大会は、1999年にマルソウ・カップから始まり、それから多くの大会を、マルソウで開催してきましたから、マルソウでの大会は、どれもとても想い出深いです。」
北條:「最後に今後の目標を教えてください。」
古山:「自分が輸入した商品が、皆様のバーに定着させて、その商品のアンテナショップをつくりたいです。」
北條:「ありがとうございました!」
※古山君との出逢いは、1996年にカクテルバー・マルソウに入社してからになります。
当時10代でホスト上がりで、マルソウに勤めることになり、5年働き、店長としても支えて助けてくれました。
彼と共に横浜エリアのフレアを広げ、お店の知名度も上げて来ました!
マルソウ在籍中は、本当にありがとうございました!
有名な某飲料が本格的に輸入出来ると、夢に1歩近づきますね!
貿易業、これからも応援しております!