じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

携帯の中にいた、ばあたん。

2006-08-09 02:00:44 | じいたんばあたん
風邪引きでろくに動くことも出来なかったある日、
思い立って、携帯のデータを整理した。

わたしはデジタルカメラを持っていない。
だから、じいたんばあたんの写真を撮る時にはいつでも
携帯のカメラ機能を使う。

今までも随分整理してきたものの、
いつでも、取り出して眺めたいものだけは
携帯の中にデータを残している。


そこで、たまたま
二年前の秋の、ばあたんの動画を発見した。


動画を撮影した当時のばあたんは、
まだ、会話をすることはそれほど困難ではなかった。
記憶は残りづらくなっていたけれど(10分程度だろうか)
医者に行くために、わたしと二人遠出することも可能だった。

テレビとは何かということも理解できていたし、
 (「どうして箱の中に人が出てくるのかしら?」と、
   子供のような目で問うてくれる姿が可愛かった。
   彼女は疑問があれは素直に確かめようとする、
   そんな少女であったにちがいない)

携帯には「メール」というものがあり
「電気の信号で、文字情報を送ってやりとりしている」
ということも理解できていた。
メールの着信音を覚え、携帯が鳴ると
「たまちゃん、たまちゃん」
と、別の用事をしているわたしのところへ持ってきてくれたりしたものだ。
 
そんなとき、彼女が興味を持ったのが
携帯の持つさまざまな機能だった。

ばあたんの好きな音楽をダウンロードして聞かせてあげたりすると
ばあたんは、目をきらきらさせて、
「たまちゃん、それじゃあ、この曲は?
  ♪~いかにいます父母 恙なきや友垣~♪」
とせがんでくれたり、

ある別の日に、友人から動画が届いたときには、
ばあたんは、動画のなかで話している友人にいちいち
「はい、はい^^ わかりましたよ^^」
と返事をしてくれたりしては、何度もわたしに再生をねだった。
 


そんな二年前の日常の中で、わたしは
ばあたん自身を、偶然カメラの動画に収め保存していたらしい。

ファイルを見つけたときは驚いた。
はやる気持ちを抑えながら、おぼつかない手つきで再生する。


そこには、二年前の、まだ多少元気だったばあたんの姿が映っていた。

カメラを向けながらばあたんに声をかけるわたしに、
最初はいぶかしげな表情を向けるばあたん。

でも、最後の瞬間、


ばあたんは、恥ずかしそうに、ふんわりにっこりと、笑った。
 
明らかに、あの頃の―わたしをまだ分かっていた頃の―、
わたしを労わるように微笑んでくれた、ばあたんがそこにいた。
 


動画を見て、そのときのことを鮮明に思い出す。

ばあたんを撮って、ばあたんに見せてあげて遊ぼうと思ったのだ。
夕方の不安が強くなる時間、少しでもそれをやわらげたくて
でも、アルバムなどをめくるのも少しネタ切れがちだったので、
わたしは、はじめて携帯の動画機能を使ったのだった。
 
撮影できた後、ばあたんに見せてあげると、

「たまちゃん、もう一回みせてちょうだい。
 すごいわねぇ、すごいわねぇ!
 今はこんなことも出来るのねぇ。
 …わたしの兄妹の姿も、これを使ったら見れるのかしらねぇ」

と頬をほのかに上気させながら喜んでくれていた。
そしてやがて、わたしの手をとって

 「たまちゃん、ありがとう。
  おばあちゃんね、生きているって気がするわ…
  いつもね、とても淋しいのよ。だけど今は楽しいの。」

とぽつんとつぶやいたのだった。


ああ、でも、ばあたん。
本当に思いやりのあったのは、ばあたんの方。


こんなところにかくれんぼして、
こっそり、わたしを待っていてくれたんだ…
 
未来のわたしのことを。
 
本当は恥ずかしがりやさんなのに、
あのとき、撮らせてくれたのは、きっと。 


静かに涙が流れるのを感じながら、
わたしは繰り返しばあたんの笑顔を再生した。
そして
携帯の中のばあたんは、
何度も何度もわたしに笑いかけるのだった。
 
 

桃と、そして彼らの好物と。

2006-08-07 23:28:59 | じいたんばあたん
今夜じいたんは、叔母の家族と一緒に近場の温泉へ一泊している。
わたしは一人、自宅でゆったり過ごさせてもらっている。

本当ならわたしも一緒に行くはずだったのだけど、
相変わらず夏風邪が治ってくれず
微熱や咳がなかなか止まらないといった調子なので、
今回は、お休みさせてもらったのだ。
 
週末もずっと、ほとんど安静にしていた。
相方が代わりに、じいのところへ顔を出してくれた。

*********


土曜日、じいたんの主治医のところへ行った。
風邪がなかなか治らないので見てもらうついでに、
じいたんの最近のことを色々話したりしたくて。
 
先生から、
「こないだお越しになったとき(1日)、
 おじいさま、少し元気がないような、不安げな様子だったから
 あれ?と思ってね」
という話を聞く。
 
わたしは風邪を引いてから、じいたんとは直接接触しないで
もっぱら、朝夕に電話で話をするようにしていた。

朝は30分程度、そして夜は
一回、1時間~2時間くらいだろうか。
じいたんが「じゃ、そろそろ切ろうか」というまで。

  というより実は、切ろうにも切れない状態だったというのが正しい。
  よほど淋しいという気持ちが強かったのだと思う。
  それから夜は、疲れのせいか、我慢がきかないようなところも
  見受けられたように思う。

  電話で話すのはそれほど好きではなかったはずなのに、
  話が、あちこちに飛び、蛇行し、切るタイミングがない。
  「お薬を飲みたいから一旦、電話を切ってもう一度かけるね」
  といっても、なかなか理解が難しい様子だったりする。
  以前のじいたんなら、考えられないことだ。

この一週間とちょっとで、
ずいぶん、じいたんに負担をかけてしまった。

ほとんど毎日来てくれていた人が来なくなる。
一人の時間がうんと増える。
そういった変化も、じいたんにとっては辛いものなのだ。
 

体調管理を第一にと思い、温泉行きを断ったものの
なんとなく、割り切れないような思いが残っていた。

だって、じいたんにとっては一番楽しみな、
「家族の団欒を味わえるひととき」なのだ。
それも、温泉だ。特別なイベントだ。
ひとりでも頭数は多いほうがいいに決まっている。
 
 (しかも、
  「ばあたんとの旅行がだめになった分、何かしたい」
  と叔母に頼んだのは、わたしだったのだ)
 

**************


そうやって、そろそろ出かける時間だなぁ、と
布団で時計を見ながら、少しはらはらしていた午後。
 
ピンポーン。…叔母が訪ねてきた。
手には小さなビニール袋。
 
「たまちゃん、今回は残念だったわねぇ。
 はい、これ、おじいちゃんからあなたへ差し入れですって。」

袋の中には、きれいな桃がふたつ。
底の方にも何か入っている。
 
「今日はホンマにごめん。何かあったらいつでも電話して」

と叔母に詫びて、そそくさと部屋へ戻り、袋を開けた。
 

さっそく袋を開けて、桃を確かめる。
紙の箱にきれいに座っている。

そして、ビニール袋の底を探ってみると、
入っていたのは、食べかけの(袋の開いた)
じいたんの大好物「アスパラガスビスケット」と
ばあたんの大好物「松露」という砂糖菓子だった。
 

たぶんじいたんは今朝、この暑い中を
スーパーまで歩いて、この桃を買ってきたのだろう。
じいたんの足だと、片道20分くらいかかる、あの店まで。
わたしが桃を大好きだから。

そして、それだけじゃ何となく物足りなと思って、
お菓子の棚をごそごそ探して
自分がいつも食べている気に入りのお菓子と、
毎週すこしずつばあたんに持っていってあげるお菓子を
両方、袋に入れてくれたのだろう。

あの世代の人にとって、お菓子は贅沢なものである。
自分たちの楽しみに買うものは、とても慎ましい。
でも、それをたぶん、あるだけ全部わたしにくれた。
簡単に買い与えるのとは、意味が全然違うのだ。
 
そしておそらくは、
自分が見舞いに行くと却ってわたしに心配をかけるから、
娘が来るのに合わせて桃を用意して、
彼女に届けさせるよう、気遣いをしてくれたのだと思う。
 
 (でも桃をどうやって用意したか察しができちゃったので
  やっぱり心配だったりするのだけど…
  今夜あたり、脱水ぎみでぼんやりしていないか)
 
じいたんらしさがおかしくて、クスッと笑いがこぼれた。
そして、それだけ心配をかけているということに
ひどく胸をしめつけられる気持ちになった。
 
わたしはしばらく台所で、桃を眺めていた。



じいたん独特の、心地よいあたたかさ。
(それは同時にばあたんの温もりでもある)

昔から、知っていた。ほんとうは。

じいたんも、ばあたんも、何気ないところで
本当に見返りを求めない愛情を、人に注げる人だった。
それは、老いが進んだ今でも、ぜんぜん変わらない。
 
誰が忘れても、わたしは忘れない。

あの二人ならではの優しさを、
ずっとずっと大事に、心に留めておこうと思う。

近況報告&記事UP状況のご案内です。

2006-08-03 06:31:26 | Weblog
またもや、だいぶ間があいてしまいました。
ご心配をおかけしています。

復活しようと思っていた矢先、重い腹痛の後
外出先で夏風邪を貰ってしまい、寝込んでおりました。
(ちなみに、じいはピンピンしています^^ 昔の人は強いです)

まだ微熱が残っているのですが、おかげさまで随分と回復しました。

ようやく梅雨明け宣言が出ましたが、朝夕は秋のように涼しいので
皆さまもどうぞ、お風邪を召されませんよう、お大事になさってください。


****************


コメント返信も遅れております。もう少しだけお時間を頂ければと思います。

明日(というより今日ですね)熱がさがっていたら
じいたんに付き添って、ばあたんに会いに行く予定なので
下手をすると、返信は夜になると思います。
いつもこんな感じで申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 (追記:コメントを下さっていた皆さま、
     返信が大変遅くなり申し訳ありません。
     ようやくお返事できました。
     待っていてくださってありがとうございます。)



逃げて、逃げて。その先にあったのは。

ひとやすみできる幸せ。

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

ここで懺悔。じい、ごめん。

先に、書きあがっている記事をUPします。

ブログにアクセスできない間、SNSのほうに
ちまちまと、携帯からいくつか記事を綴りました。
そのなかのいくつかを、上のとおり作成日どおりにUPしますので
もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです。

(かなり荒削りなので、のちに加筆訂正を加えるかもしれません)

今後ともどうぞよろしくお願いいたします^^

ここで懺悔。じい、ごめん。

2006-08-01 21:11:43 | じいたんばあたん
今朝、目が覚めたら8月1日とは思えない清清しさだった。

起きて、ぱむだTシャツとジーンズに着替えて、じい宅へ。
保険証を預かっていたので届けに行った。


じいは今日、かかりつけ医に行く日なのだが、わたしは付き添えない。
医者から「熱が下がって咳が止まるまではお祖父さんとは接触しないように」
と、きつーいお達しがあったからだ。

熱は微熱程度に収まってきたのだけど、結構咳が出るので
じいに会うと確かに移しちゃいそう。
90を超えた人にとって風邪は文字通り命取りになりかねない。

なので、じいの食事中
(二階のダイニングで友達と一緒に朝食をとる)を狙って
保険証を届けに行った。


鍵を持っているので、少しだけ部屋を覗いてみる。

金曜からこっち、4日ほど顔を出せていないせいか、
どことなく部屋が荒れていた。もの寂しい気配。

一瞬、片付けていこうかと思ったが、
今日は幸いヘルパーさんの来る日なので、
電話かファックスで色々お願いしておこう(風邪菌を残しても困るし)
と思いなおし、
一番目立つ場所へ、目立つ色の袋に入れた保険証と手紙を置いて祖父宅を後にした。


じいは、病院から帰ってきてから、ちゃんと「無事帰ったよ」と電話を入れてくれた。(普段は連絡もなしでふいと出かけてしまうのだが)

よほど淋しいのだろう、
わたしが熱を出していると分かっていても
じいは、電話を切ることがなかなかできないでいる。
しきりに「かわいそうにねぇ、お前さん」と繰り返している。


じい、ごめん。

昨日はデイケアだったから、つい、じいに黙って、
東京まで出てきてくれた教え子に会いに行ってきたんだよ。
熱があっても、ひと目どうしても、顔を見たくて…。

それで多分治りが遅いんだ、わたし。

わたしの具合が悪くてデメリットを蒙るのは、じいたんなのに…
ホントごめんなさいorz

夜までに熱が下がれば顔だけでも出せるんだけど…

わたしも、少しだけ進化する。

2006-07-27 08:26:47 | じいたんばあたん
そうやって、ばあたんのところで半日過ごした火曜日。

帰りが遅くなったので
帰る途中、乗り換えのたびにじいに電話を入れた。

最後の乗換えをする前、少し時間が取れたので、
思い切って、主治医の意見
―旅行はやめておいてください―を、なるべくさらっと言ってみた。

じいたんは、電話口でひどくがっかりしていた。

「おじいさんは、不満だが、仕方がないんだね。でも不満だ」

それを延々繰り返すじいたんに、わたしは言った。

「私の力が及ばず、残念な結果しかお知らせできなくて、…心から申し訳なく、お詫びいたします」

じいたんは言った。

「お前さんの失敗だった、ということだろう?」

残念さの余り、じいたんは多分、だれかに当たり散らしたいのだ。


「ええ、おっしゃるとおりです。
 わたくしの力不足で、悲しい思いをさせてしまって申し訳ございません。」

とわたしが答えると、
じいたんは言った。

「それでいいんだよ、お前さん。お前さんがそういう風に言って詫びる態度をとって腰を低くしていれば、おじいさんも多少なりとも溜飲が下がるのさ」


一瞬、頭に血が上りかけたけれど
(旅行に行けないといわれてがっかりしているのは
 じいたんだけではないのだ)、

先週の事件のこともあったので、どうにか踏みとどまって、
何事もなかったかのように、穏やかに電話をいったん切る。
こういうときは、インターバルを取るに限る。

そして、地下鉄で移動した後に
もう一度、じい宅へ電話をした。

不機嫌そうに出たじいたんに、
フラットな気持ちで、優しく話しかけてみた。
感情の激しさを表現するのではなくて、言いたい事が伝わるように
それだけを念じながら。


「じいたん、一人でしょげてやしないかしらと思うとね
 悲しくなっちゃってつい、声をききたくて電話しちゃったの。
 
 あのね。今回はダメだけど、秋は大丈夫かもしれないし
 わたしも一所懸命、旅行以外でも色々、楽しいことを
 いっぱい考えるからさ、じいたん、元気出してね」


じいたんの声がぱぁっと明るくなった。

「おじいさんも、お前さんの考えに、大賛成だ!
 お前さんのそういう、前向きなところがおじいさん、大好きだ。

 おじいさんにとって一番大事な人は、おばあさんなんだよ。
 そしてその次が息子と娘。
 その次にお前さんが大事なんだよ。
 よろしく頼むよ。」


もう一度電話してよかった、と思った。

前回にくらべて、自分の気持ちが無駄に傷つかないように
少しは、わたしも頑張れたかな?

後見人。旅行の断念。主治医への感謝。

2006-07-26 00:10:17 | じいたんばあたん
先週末、家庭裁判所から通知が届いた。

「伯父とわたしの二名を、ばあたんの後見人に任命する」とのこと。
二週間以内に相続人各位からの不服申し立てがなければ、
八月にはこの審判が発効する。

今後は、ばあたんに関して法的な責任も背負うことになる。
伯父と二人でではあるが、
実務は殆どわたしがこなすことになるはずだ。


これでもう「退路は絶った」という思いと
これでもう「堂々とばあたんを護れる」という思いと。

緊張と複雑な感情とが一瞬にして頭の中を交叉する。


でも、伯父と一緒にできるのだから、よしとしよう。
そして、法的に権限を認められたぶん、しっかり働こう。

そんなわけで今、裁判所に提出する財産目録を作り直したり、
伯父と情報共有する方法を細かく考えたりしている。

それから、金融機関その他への連絡の準備も。

すみません、そんなわけで
要領の悪いわたしは、ここのところばたついております。


*************


そんな中、今日はばあたんの主治医と面談してきた。

かねてからじいたんが希望していた、ばあたんとの旅行。
旅行が可能かどうか、そして可能であればどんな準備がいるか。
そんなことを尋ねるつもりで、予約を取った。

…同時に「難しいでしょう」という言葉もどこかで期待して。

客観的に見れば、ばあたんの症状は重すぎる。
あんなに多動が目立ち、そして急に意識レベルが低下してくたっと倒れてしまったりするようでは、バリアフリーもない普通の宿に泊まるのはかなり危険だ。

(叔母夫婦のサポートで祖父母を旅行に連れて行くのは
 わたしにとっては案外、負担が大きかったりする。
 彼らの戸惑うような顔を見ると、どうしていいかわからなくなる…orz
 相方がサポートしてくれている時のようにはいかない。)



主治医の回答は、実を言うと、予想通りだった。

「ご家族のたってのご希望ということであれば、
 我々はお止めすることはできません。

 ご高齢のお祖父さまにしてみれば、これが最後かもという
 そんな切羽詰った思いもおありでしょう。

 我々としては、いつ旅行が中断して戻ってこられても良いように
 万全の体制でお待ちするしかありません。

 ですが、医師として率直に申し上げます。
 やめておかれたほうがいい。

 いまのお祖母さまは、旅行の刺激に耐えうる状態ではありません。
 入院された当初に比べ、病そのものは進行しています。
 ましてや、実質的に介護者として機能するのは、たまさん一人です。
 現地でヘルパーを利用してカバーできるレベルではありません。

 そして更に、…介護が必要なのはお祖母さまだけではありません。
 すでにお気づきかと思いますが、
 お祖父さまにも衰えが最近、現れています。
 患者様がおひとりなら何とかなるかもしれない。
 だけどお二人同時に介護となると話は別です。わかりますよね。

 正直、よくあなた一人でお二人の介護をなさってきた。
 わたしは驚嘆する思いで拝見していました。
 ですがこれ以上無理を重ねる必要はないですし、
 最悪、事故にでも繋がれは、みんなが苦しむことになります。
 
 医師として申し上げます。やめておかれたほうがいい。
 あなたが実は一番、そのあたりのことを理解なさっているはずです。
 お祖父さまやご親戚さまには、私が「医師として旅行は不可です」と言ったと伝えていただいて結構です。

 代替案として、うちの六階にあるゲストルームへの宿泊を
 お祖父さまとたまさんとお祖母さまと三人でなさる、
 ということを検討されてはいかがでしょうか。」

わたしは、一人で不安に思っていたことを改めて尋ねた。

 「先生、わたしは、こう感じていたんです。
 祖母は入院して穏やかになりはしたけれど、同時に症状も進んだな、と。
 治療をうけていても進んでいく病だという認識もありますし、
 実際に祖母のトイレ介助や食事介助をすると、以前とははっきりと違います。

 でも、周りの親族にはそろって「気にしすぎ」と楽天的に言われるので
 自分の観察眼にだんだん自信がもてなくてきていまして…
 旅行、ホントは無理なんじゃないかな、と思う気持ちがあって
 それで今日は先生のご意見を承りたいと思ってきたんです」

すると先生は言った。

 「たまさん、実際に間近で看てこられた方でないと分からない事は
  案外、たくさんあるんですよ。近親だからこその難しさもあります。
  だから、他のご親族さまの認識が甘くなるのは、仕方のないことだと
  割り切ってお考えになられたらよいですよ。
  少なくとも、旅行をとりやめたほうが良いという判断は、
  わたしもしておりますので…」

フランクに、話してくださったと思う。

この先生はこの七月で退職される。

最初の頃憔悴しきって、先生の前で涙を見せてしまったこともあった。
でも、本当によくばあたんの様子を見て、薬をこまかく調整して
ばあたんをここまで穏やかにしてくださった。

最後にお礼をお伝えすることができて本当に良かった。
そして、最後まで、穏やかな様子で、
まとまりのない相談に乗っていただけたこと、
いくら感謝しても足りないくらいだ。

 (この先生が出されている本がある。
  わたしは、先生と出会う前にこの本を読んでいたのだが、
  つい最近まで本の著者と主治医が同一人物だと気づかなかった。
  また、改めて紹介します。)


**************


面談(医師と看護師と別々に面談があったのだ)の合間、
昼前から夕方までばあたんと一緒にすごした。

あたたかな眼、柔らかい表情。
わたしを分かっている様子。
いとおしむように頭を撫でてくれる。

そして、自分のつらい感情を話してくれる。
分解しかかった言葉で、一所懸命。

おやつをお土産に出すと、昔と変わらず
半分に割って、大きいほうをわたしの口に運んでくれる。

じいたんがいないときのほうが意思疎通がうんと楽だという皮肉。
だから彼がいないときに、もう一日は確実に見舞いに行くのだ。

「ばあたんを独占できて嬉しいなぁ!」
と抱きついたら、ばあたんは
「わたしも、幸せよ」
と抱きつき返してきた。


旅行に行くことが不可となってほっとしていたのに、
じかにばあたんと触れ合うと、とても淋しい気持ちになった。
もう少し症状が進んだら、却って連れ出せるかもしれない。

でも、いまのばあたんにとって一番うれしい、心地よい状態というのは
どんな状態なんだろう?

そんなことを考えながらひたすら
廊下をぐるぐると徘徊し、おやつを食べ、ふたりで歌を歌って過ごした。
彼女の眼は、遠くを見つめて、時々わたしのところへ帰ってくる。
そのときには昔の彼女の面影がだぶるように重なる。
ふたりきりのときだけ見せてくれる、満面の笑顔。


なかなか立ち去りがたかった夕方。
ばあたんは帰り際になって、急にしゃきっとした。
それまで、ばらばらだった言葉が、正しいセンテンスに戻る。

「おばあちゃんはだいじょうぶだから
 たまちゃん、帰りが危なくならないうちに
 みんなのところにお戻りなさい。
 お行きなさい。」

それが、たとえ
わたしをわたしと認識していない上での言葉であっても。

わたしは涙が出るほど嬉しかった。
彼女の、深い愛情と理性に支えられた、本来の彼女らしさに
触れることができたからだ。


傲慢かもしれないけど。
思い込みかもしれないけれど。

ばあたんが、こんな、「ばあたんらしい心のありよう」を見せてくれるのは、わたしにだけ。

この人を愛している。護りたい。
成年後見、引き受けてよかった。
がんばろう。

お詫びと近況報告です。

2006-07-25 11:52:40 | Weblog
ブログを放置した状態のまま一週間が過ぎ、ご心配をおかけしております。

貴重なお時間を割いてコメントやメールをくださいました皆さま、
(ひとつひとつ携帯から大切に拝見しています)
それから覗きにきてくださっている皆さま、
大変申し訳ございません。そして、ありがとうございます。

前の記事で書いたことについては、
翌日の朝、よいかたちで解決することができました。
時間を少しおいてから、自分の気持ちを素直に伝えたのが良かったかなと思っています。
また詳細はのちほど記事にいたします。


今年は梅雨がなかなか明けず、例年より涼しい夏ですが
おかげさまで、じいたんもばあたんも、つつがなく過ごしております。

わたしのほうはというと
この一週間、事務作業などの用件がたてこんでいて、
なかなかパソコンの前にも落ち着いて座れない状態です^^;

用事が片付き次第(遅くとも金曜くらいまでには)復活できると思いますので
もう少々お待ちいただければ幸いに存じます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

最後になりましたが
冷えやすいせいか、お腹をこわしたりする方が多いようです。
どうぞみなさまくれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

ひとやすみできる幸せ。

2006-07-20 17:04:20 | きゅうけい
じいたんと二人、ばあたんの病院へ行ったその帰り道、
今日は、最寄り駅のひとつ手前でじいと別れた。

ばあたんの症状の悪化に伴い、色々考えることも増え
加えてじいたんのことも考えていたら頭がオーバーヒート。

だからどうしても、ひとりでぼんやりしたかったのだ。

さいわい今日はじいは、あまり疲れていない。
駅から自宅までは慣れた道だし、
携帯(そして名前などを書いた小さな札)をこっそり持たせてあるので
まず心配はないだろう。

じいたんは、快く「行っておいで」といってくれた。


駅の改札を抜けるとき、ふと、
祖母を自宅で介護していた去年の今頃までは、
こんな気ままなこともワンシーズンに一回できたかどうかだった
そんなことを思い出した。

一人で元気に帰宅してくれたじいたんに、心から感謝する。


駅の外へ出て、
頭をすっきりさせたい時に立ち寄ることにしている、
とあるカフェへ向かう。

途中、気に入りの本を持ち歩いていたにもかかわらず、
つい本屋へと足が向いてしまった。

そして、白いシャツを一枚買い足そうと取ってあったお金は、
あっというまに本に化けた(これでも数はかなり絞ったつもり)。



少し頭が疲れたなあと感じたときに
すぐ、こんな時間をぱぱっと確保できるって、
なんて素敵なんだろう。

それなりに課題も悩みもあるにせよ、
とりあえずは平和であるという証拠だ。

以前はわからなかったこと。

介護生活を経た今だからこそ、少しはわかるようになったのかもしれない。
以前よりもうんと、こういった時間を味わい尽くせている気がする。


そんなことをあれこれ思うと、
ちょっと目頭がツンときてしまうくらい、幸せ。

逃げて、逃げて。その先にあったのは。

2006-07-17 00:51:12 | 介護の周辺
「お前さんは召使だ」と言われた、その翌朝。

祖父宅に行く前に、じいたんに電話を入れた。
こんな気持ちのままで、じいたんの前に登場することはできない
ましてや、今日の祖父宅の準備を晴れやかに行うことは難しい
そう強く思ったからだ。

曇りをきれいになくしておきたかったから、思い切って電話を入れた。

電話に出るなり
「やあ、お前さん。もう来てくれるのかい?」
と声を掛けてくれるじいたんに

「じいたん、あのね。
 昨日、書斎でじいたんがわたしに言ったこと、覚えているかな。
 あの言葉は辛かったよ、本当に辛かったよ」
と切り出した。

どんな反応をするだろうか、内心心配だったけれど
とにかく、素直に感じたことを、落ち着いて話そうと腹をくくった。
ここを率直にクリアできなければ、介護者としての明日はもうない
そんな気がしたからだ。


わたしは昨日、祖父から言われたことを淡々と話した。

「きっと本音じゃないってわたし、信じているけれども
 じいたんに直接、ちゃんと否定してもらいたいんだ。
 でないと、辛いの…」

最後のほうは、言いながら涙声になってしまった。

じいたんは、とても驚いた様子で
でも、朝だったということもあって気持ちが落ち着いていたのか
一所懸命に答えてくれた。

「たま、それは可愛そうなことをおじいさん、言ってしまったね。
 済まなかった、本当に失礼なことを言って済まなかった。

 おじいさんは夕べね、疲れていたようで、
 昨夜の書斎での話し、細かいところはよく覚えていないんだよ。

 けれども、いつも気丈なお前さんを、こんなに泣かせてしまって
 お前さんが心から悲しがっていること、おじいさん、感じるんだよ。
 かわいそうに、本当に済まないことをしたね。」

と、わたしが幼かった頃のじいたんのように、優しく詫びてくれた。

怒りと悲しみでいっぱいだった気持ちが、
まるで何事もなかったかのようにすうっと落ち着いていくのを感じた。

そして何より、じいたんが
会話の内容を覚えていないというのにも係わらず、
わたしの言い分に耳を傾けてくれたこと。

そのことに対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

だいじょうぶ。水に流せる。

わたしは、今のじいたんが好きなんだ。
和製ドンキホーテでもなんでもいい。
長く過ごしていれば、許しがたい発言のひとつやふたつも出る。
それでも今の、このままのじいたんが好きなんだもの。
それが全てだから。


電話を切ってすぐにじい宅へ行き、
伯母と従妹とその赤ちゃんを迎える支度をした。
簡単な掃除やタオルケットなどの準備、
果物を冷やしておくなど、
用事はすいすい片付いていった。

そうやって、気持ちを切り替えられたつもりでいた。
彼らに会えるのは私だって楽しみなのだ。
そのはずだった。



だが。
彼らが来てから一時間ほどお相手したものの、
団欒のなかで、不意に昨日の祖父の言葉が何度もよみがえり
たまらない孤独感に身が削られる思いをする。

痛い。痛い。痛い。
こころが削れてしまう。

叔母たちへの嫉妬なのか、それとも
己を召使のように感じる気持ちからなのか。

結局、わたしは逃げ出してしまった。
「昨日急に、就職の面接が入ったの」と嘘をついて。
(まるっきりの嘘ではなかったが、翌日でも構わなかったのだ。
 採用説明会みたいなものだったから…)


一睡もしていない頭でいつ失言するか、とずっと緊張しっぱなしだった。

それに、彼ら―じいたんも含めて―の不用意な言葉
(決してそこには悪気はないのだけど、
 だからこそ聞く側が傷つく、そんな言葉だって、存在する。)
を聞いたら、今日のわたしは脆く崩れて思考停止してしまいかねない。
そう直感した。


心をこめて、義務は果たした。
これ以上ここにいる必要はないだろう。
なにより、今日のこの団欒を楽しみにしていたじいの気持ちを思えば
それを壊してしまうようなリスクは全部取り除きたい。

ならば。

逃げよう。逃げてやる。わたしは道化でもなければ修行者でもない。
ただの人間だ。

みんなに辞去のあいさつをして、
笑顔を向けたまま、祖父宅のドアを閉めた。



廊下に出て、エレベーターに乗った途端。
顔の左半分がぴくぴくしだした。

ばしばし叩いた。つねった。引っ張った。
でも止まらない。
そして喉をぎゅうっと詰められたような感触。

わたしは、フロントの人目を避けるようにして、裏出口から外へ飛び出した。


「家に着いたら履歴書を書こう、
 あるいはその足で面接にも顔を出せば建設的だ。
 無理やりもぎとった、わたしの時間なんだから
 有効に使わなければ。」

そう思っていたたのに。


いったん歩きだしたら、止まれなくなってしまった。


逃げて、逃げて、逃げて。
急いで、行かなければ。
どこでもないけれど行かなければならない場所なのよ。


見慣れない木の実を何とはなしに眺めながらふと

「ああ、徘徊する時ってきっと、こんな気持ちなんだろうな」

そんなことを今更、自分自身の身体と心でぼんやりと感じて。
いったい何から逃げているのかわからないまま歩き続けた。

(いつだって「未知なるもの」は、
 人を恐怖のどん底に突き落としかねない、
 不思議な種子を孕んでいるのだ、―そう、ふと思う)


いつも立ち寄る書店を素通りし、
広々とした公園を抜け、
森を迷い、道路を歩いて、橋を渡り、
知らないバス停の名前を確認して

気付いたらとある駅前にいた。


広場のほうからかすかに、ピアノの旋律と歌声が聞こえてくる。

見ると、黒髪の女性がソロで、
電子ピアノを―多分ラピュタのテーマだ―演奏していた。

一心不乱に演奏する彼女の、後ろ姿に目が引き寄せられた。

何人にも触れさせないと無言で告げる、しなやかな背中。
なのにその背中は同時に、ほのかな暖かさを放っている。


と、そこから見えない翼がみるみる伸びて、
ふわりと聴衆を抱き締めたのが見えた。


自分の足が止まったことに、ようやく気付く。
顎に冷たいものがすぅっと滴ってくる。

わたしは、人目もはばからずポロポロと泣いていたのだった。


「かみさまってきっといてはる」
そんなふうに思うのは、こんなとき。


逃げて、逃げて、感情から逃げて、
ただひたすら歩き続けることしかできずにいた。

そんなわたしにさえ、天は、自然な偶然の中に
こんなに豊かな空耳を織り込んで、さらっと届けて見せてくれる。

そのことに、ただ素直に感謝したいと思った。


祖父宅を出てから二時間がたっていた。

たとえ「お前は召使い」といわれても。

2006-07-16 02:41:01 | ブラックたまの毒吐き
※一部改稿しました(2006.7.16 08:44)
 また「ブラックたま」カテゴリです。本当に申し訳ないです。
 ヘビーな内容です。また改稿するかもしれませんが、とりあえずUPします…


/////////////


今週の日曜日。
じいたんの娘とその娘、そしてその赤ちゃんが祖父宅へ来訪する。
(私から見れば「叔母・従妹・従妹の赤ちゃん」)

そのこと自体がわたし、とてもうれしくて
(赤ちゃんは本当に可愛いし、従妹も祖父思いだし、
 叔母の明るい笑顔が戻ったのも喜ばしい。
 なによりじいが、ほんとうに幸せそうに笑ってくれる)

わたしは、今日は日曜の会合を良いものにしたくて、
じいたんの意向に沿うように
(そしてばあたんがいたなら準備したであろうことを考えて)
動いていた。


  母乳の関係で食べ物に制限が入っている従妹のために
  百貨店まで出向いて果物やゼリーを仕入れたり、
  四リットル分も麦茶や水を用意したり、
  彼女たちが安心して使えるタオルを選別したり、
  少し念入りに、赤ちゃんが触りそうなところを消毒したり
  ハウスダストをクリアにしたり
  祖父の認知の低下をカバーできるよう色々準備したり

そしてその合間に

  火曜に末の従妹が怪我をさせた、祖父の右腕の
  シップとサポーターを自前で差し入れしたり
  (赤ちゃんを抱けるように)

  じいたんの服の手入れをしたり
  (従妹がじいたんににプレゼントしたものを着せようと思って)

  じいたんが手詰まりになっていた「会計簿」の手直しを少ししたり


仕事のことも中途半端、そしてばうと私の記念日の買い物もそっちのけで。

じいたんにとって、スペシャルな楽しみだと分かっていたし
遠路はるばる会いに来てくれる従妹を喜ばせたかったし
じいたんに喜んで欲しかったから。


*****************


だけどじいたんは、疲れていたのだろうか
夜、会計をしているときに、突然こんなことをのたまった。

「娘とあの孫は、おじいさんにとって特別なんだよ。
 申し訳ないが、お前さんとは違うんだよ。分かるかい?」

  断っておくが、祖父は、会計がもうできなくなりつつある。
  (それでも祖父に家計簿をつけてもらっているのは、
   いくら計算が間違っていようとも、
   彼の仕事を取り上げてしまったらいけないと思うからだ)

  朝、電話を入れても、夕方には忘れているのがデフォルトだ。
  この夜も、祖父に頼まれて、会計を手伝っていたはずなのだ。
  何も問題はなかったはずなのに。


わたしが、内容を察して絶句していると

「お前さんは、おじいさんより頭がよいし気が利く。
 どこへ出しても、非の打ち所がないほど良くやってくれている。
 おじいさんおばあさんにとって非常に有用だ。

 なのに、たまらなく腹が立つんだよ。
 口は悪いが頭はよいし、気は利くし、他の人にも褒められる。
 だけど、可愛くないんだよ。娘やその娘のようにはね」

…ああ、このせりふ。知ってる。
かつてばあたんが、若かったわたしの母に投げつけたせりふだ。
それを聴いていた父は、怒ってその場で母を連れて東京へ帰ったっけ。


…だから、そんなじいたんの腹のうち、
わたしは良く知っている。でも聴きたくない。

誰もいないときはあれだけべったりわたしに甘えるのに
(妻に甘えるように。。。だ)
その口の根も乾かないうちにこんなことを口走る…。


わたしは何も言えずに黙っていた。するとじいたんはさらに続けた。


「お前さんは、明日オーダーした昼食を食べてくれ。
 おじいさんは、娘と孫とひ孫をつれてお寿司に行くよ。
 一人分浮けば、たいそうなご馳走を食べさせてやれるしな。」

まぁそれはそうだろう。それにそこまでいわれて一緒に行きたくない。
幸か不幸か、食あたりの後遺症で、わたしは寿司を食べられない。
なので「わかったよ。マンションのごはんは私が食べておくよ」とこたえると
なぜかじいたんはこう、のたまった。


「お前さんは、叔母さんや従妹と仲が悪いのかい?」

はぁ?
自分で「寿司は遠慮してくれ」といったくせにどうしてそうなる?

そんなわけないだろう!というか、そんなこと眼中にもない。
祖父の客である以上、最大限のもてなしを思ったから
今日だって走り回ったというのに。

どこかの三流雑誌の介護ゴシップみたいなことを言われてげんなりしたが、
わたしは、穏やかな口調で否定した。

「じいたん、わたしはね、日曜日に、
 たんぱく質の食あたりで38度熱が出てね、
 その後遺症が残っているんです。
 まだお寿司とかは、食べちゃダメなの。
 だから、おじいちゃんがオーダーしているお昼ご飯を
 代わりに食べて待っていようと思って。。。
 その方がおじいちゃんにも喜んでもらえると思って。。。」

と。そしたらじいたんは、こういった。

「そうかい、お前さん。ありがとう、助かるよ。
 お前さんが食べられないぶん、娘や孫にたらふく食わせられるしな。
 本当に気の利く、いい召使だお前さんは」


絶句しつつも考えた。
腹を立てるより解決策を、がセオリーだ。

そしてわたしはこんな提案をした。

「明日は、朝のうちにおもてなしの準備などをして、
 赤ちゃんに挨拶したら失礼するようにしましょうか。」

すると、じいたんは言う。

「できればお前さんもいておくれ。
 雑用をしてくれる人がいたほうが楽だからね」

「いずれはわしの下の世話もしてくれよ。
 ばあさんのときみたいに」

「娘には、下の世話とか汚いことはさせたくないからね。
 頼むつもりもないんだよ、おじいさんは。

 お前さんなら、嫌がらずにやってくれるだろう?
 お前さんがいてくれるおかげで、
 息子にも娘にもつらい思いをさせないで済んで、本当に助かるよ。」


「わたしの祖父」の言葉とは思えなかった…。

知っていても聴きたくない言葉というのはある。
 (例えばかつて、ある親戚が、わたしに
  「アンタに今妊娠されたら困るのよ!」と叫んだように)

ちなみに捏造はない。一言一句たがわずメモしてきた。


本当は部屋を飛び出したいのをこらえて
(ここで喧嘩になったら明日が台無しだ)
泣き出しそうになりながら、一言二言だけ、反撃した。


「じいたん。…あのね…
 おばあちゃんを介護していたときね。
 とてもとても大変だったけど
 わたし、悲しい思いや、気持ちを傷つけられるようなことは
 一度もなかったの。

 そのときのご恩があるから、今も頑張れる。
 じいたんを大事にして、というのはばあたんの願いだから」

「わたしはふつつかもので、癇に障って
 じいたんにとっては、子供を護るための踏み台程度のもので
 しかも小賢しい性質で、至らないところだらけで、
 いろいろご不自由もご不快もあるかとは思います。

 ですが三年間、お二人の介護は私が主にやらせていただいてきました。
 それは誰もが認めてくださる事実ですし、これからもそうでしょう。
 
 わたしは、じいたんに快適に過ごしてもらいたいとは思っていますが
 じいたんに気に入られようと媚を売れる性格ではないんです。
 お引き受けした以上、精一杯のことはさせてもらいます。
 それで、なんとか勘弁してくださいね。
 では、また明日来ますね。」

そういって背中を向けて玄関へ向かった。


じいたんは背中にむかってこたえた。

「ああ、許してやるとも。

 玄関まで送ろう。
 明日の朝、買い物と、会計事務を頼むよ。
 それからもてなしの準備も頼むよ」


じいたんが、わたしを玄関に送るのは
それなりに何か悪いと思ったときの、決まりのやりかた。

わたしは、完璧に人を騙せる、プロの作り笑いで
「明日午前中に来て用事をするから、よろしくお願いしますね。
 今日は暑かったから、ぐっすりお休みになってくださいね」
とだけ言って、玄関をばたんと閉めた。






帰り道、せつなくて、
三十路のいい年したオバサンのわたしは
吼えた。

吼えて吼えて、
でも涙が出なくて苦しくて

公園によって何十分も、
木の幹に身体をぶつけ続けて
声がかれるまで叫び続けた。

身体が疲れないと、この悲しみは消えてくれない
そんな気がして
この悲しさを、明日まで持ち越したくないから
地面を踏み鳴らし、幹を殴りつづけた。

そして、地面も幹もびくともしなかった。


**************


それでも、少し落ち着いてみると

「なにかおかしいのでは」
(じいたんの頭の中で何か起こっているのでは)

という気持ちがぬぐいきれないので
わたしなりに、じいたんの気持ちを理解してみる。


++++-+--


じいたんは、ハイになっているのだと思う。

久しぶりの曾孫の来訪。
そして、秘蔵っ子の孫(娘の長女)、溺愛していた末娘が
日曜日に来てくれる。

いいところを見せなくちゃって躍起になっている。

…つまり、日常のなかではあれだけわたしに頼っていながら、
気を許しているように見せながら

(手をつなぐどころの騒ぎじゃないのだ。
 電車で頭を凭れかけさせるどころじゃないのだ。
 自宅で暑いと、パンツ一丁になって身体を拭かせるのだ。
 わたしの体の冷たいところ―二の腕やもも―で涼を取るのだ。)

そうしていたのは、
わたしが「あの女の子供、所詮は召使。娘に汚れ役をやらせないための」
だったからなのかもしれない。

だからこそ今日も、
従妹や娘の前では立派にふるまい
わたしの世話になっているところなんて見せたくない

そんな心理が働いているのだと思う。


それでも。
じいたんの気持ちを理解していても

叔母や従妹がそろっている席で
じいたんに、上のような訳の分からないことを言われたら
今のわたしには、それを笑って受け流す余裕はない…。


認知の低下のせい
(自分が何を言っているかわからない)
だと頭ではわかっていても、気持ちがついていかない。

だってじいたんの今日言った言葉は、事実だからだ。


************


…前からうすうす、わかっていたこと、なんだけど。
今日は、本当に心のおくまでこたえた。
なんだか、どっと疲れた。

じいたんは、ここのところ暑さで疲れ気味だ。
疲れたときは、ちょっとおかしなことを口にするし
繰り返しの話も増える。
だから、聞き流すべきだ―わたしの中の冷静なわたしが言う。

でも一方で、もう一人のわたしが言うのだ。
ふだんどんな美麗字句を口から流れさせていても、
疲れきった時に口にすることが、本音である場合がある…。




同じ血を分けた子供たちであっても、あるいは孫ならなおさら
自分にとって可愛い子と可愛くない子がいる。
それはたぶん、真実なのだと思う。

理解しているつもりだ。人間対人間だからね、不思議じゃない。


だからおじいちゃんに、「召使い」といわれるならそれでもいい。

 でも、わたしがおじいちゃんに口出しするのは
(ときには嫌がられることも、そっと口にするのは)
 おじいちゃんのために良いと判断しているからだ。
 
 それだけは誇りを持っていえる。


心だけは気高くもとう。
じいたんに召使だといわれても、自分は自分を信頼しよう。

じいたんになんていわれても
自己卑下をするのはやめよう。

(第一、これこそ認知の低下の一環だという気がする。
 何を会話しているか
 何を言ってよくて何を口にしてはいけないか
 それすらもう 判断できていないという そんな状態なんだ)


努力が足りないのか?
何が足りない?

精一杯やっているつもり、なのは自分だけで
何かが足りないからこんな悲しい言葉を聴かなければならないのだろう

改良の余地を常に探して
自分でやりがいを創り出して
介護者に徹しよう。

そう自分に言い聞かせるのに

認知の低下による言葉なんだと
割り切ることができない。


一人になったとき、時々はこうやって、泣きたくなることもある。

会社に勤めていたってこういうことはあるだろう。
だからこの程度のことは、全然、特別なことじゃない。

それでもこんなにきついのは
たぶん、血が繋がっているからなんだろうな…。

 
ごめんなさい。
こんな日もあるんです。
なるべく早く元気なわたしに戻ります。

少しの間だけ 落ち込むことを許してください。