No.235
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
元旦に起きた能登半島地震、続いて羽田空港の航空機事故と年明け早々の大惨事に遠方の
地にいる身では細やかな金銭支援以外にできる事もなく心痛める日々を過ごしています。
被災された方々へ温かい支援が早く行き届きますように…。
約2ヶ月の日本在在を経て12月8日に帰国。年末まで-10℃以下になる日は少なく暖冬でし
たが、1月10日からやっぱりやってきました-30°C!最低気温-37℃と表示される夜もあり
ほぼ1週間は「家にお籠もり」の日々でした。
クリスマスイブにVictoriaから孫のSorataが帰省。長らく夫婦2人だけの年末年始を過ごし
ていたので3人暮らしは久しぶり。食事も2食で済ませていたのが朝昼晩作るようになり
一日中何かしら食べることを考える日々でした。驚いたのは彼は両耳にピアスを装着、左
の二つが化膿?しているみたいで、私は毎日その手当てもして10日後帰る頃にはなんとか
傷も癒えてきたので一安心。みんなやってるからという理由だったけれど、最初のピアス
は昨夏日本帰国中に父親に穴を開けて貰ったと聞いて「あらまっ!」そういえば彼の父親
も大学生の間は金髪&ピアス君でした。
20歳の食べっぷりはすごい!朝ごはん8時に食べても10時半ごろには
「お腹すいた~、なんか食べるものない?」
年子の男の子2人育てた経験ありの私ですがすっかり昔のことを忘れていました。
お米のなくなるスピードがめちゃめちゃ早かったのは覚えています。
日頃は自炊で週末に1週間分作って、ほぼ同じメニューで過ごすと聞いたので我家にいる間
は好きな物を食べさせたいと「今日は何食べたい?」と聞きました。
「じゅんばーのコロッケ」は上位に出てきて、これは息子が来た時と一緒でした。
楽しい3人暮らしはあっという間に終わり、SorataはまたVictoriaに戻っていきました。
一緒に過ごすのは去年6月末以来でしたが、すっかり大人びて(20歳になったんだし当前
だけど)ちゃんと目を見て話せるようなって、率先してお手伝いもしてくれる「役立つヤツ」
に変身していました。
Victoriaのステイ先は以前のホームステイ先のママのお母さん95歳のお家です。
同じ敷地内に長女が住んでいるのですがおばあさまは別棟に一人暮らし、Sorataはそこへ
おばあさまの夜の見守り役として無料で住まわせて貰っているのです。
2階の広い勉強部屋に専用バスルームとキッチン付き、を使わせてもらう厚遇を受けています。
おばあさまはとてもお元気で一人暮らしを望んでいらっしゃるため、日中はほぼ毎日朝から
夕方までヘルパーさんや身内の方々がお世話に来ているのですが、夜間はおばあさまひとり
になり、転倒や急に助けが必要になった時のために、Sorataは寝るときだけ彼女のすぐ隣の
部屋に降りて寝ています。
一度だけいつも朝早いおばあさまがキッチンにいないので様子を見に行ったら部屋で転んで
起きられなくなっていたので、すぐ起こしてあげて怪我もなさそうだったので近くに住む娘
さんに知らせて事なきを得たそうです。
一瞬911に電話しなきゃ!とドキドキしたのとその後学校に遅れそうになって急いで自転車
に乗ってバス停に向かうときにカーブでスピード制御できず転倒、顔面の半分を擦りむいて
怪我したと、ママに自撮りの画像を送って、それをママから私に…かなり腫れてて可哀そう
でしたが、大事にならずホントによかった!!
その後、家族揃ってのクリスマスパーティがあり、Sorataはおばあさまから
「いつも傍にいてくれてありがとう」と現金で100ドルのギフトを頂いたそうです。
おばあさまはヘルパーさんたちにも同じようにプレゼントをあげていたそうです。
私も年取っても元気だったら一人暮らしをしたい、と思っているのですが、みんなに見守って
もらえるようなチャーミング&少々は蓄えのある年寄りでいたい、と思います。
近況としては
寒波が去って少しづつ気温が上がってきたので、バンフの友人の誘いがあり「鍋パ」に参加。
シニアの友人カップル4組がバンフの公園にある屋外シェルターに集い薪ストーブで暖を取り
ながら、それぞれ調理した食材を持ち寄りストーブの上のお鍋に加えて温めていただくという
スタイルで楽しみました。
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
元旦に起きた能登半島地震、続いて羽田空港の航空機事故と年明け早々の大惨事に遠方の
地にいる身では細やかな金銭支援以外にできる事もなく心痛める日々を過ごしています。
被災された方々へ温かい支援が早く行き届きますように…。
約2ヶ月の日本在在を経て12月8日に帰国。年末まで-10℃以下になる日は少なく暖冬でし
たが、1月10日からやっぱりやってきました-30°C!最低気温-37℃と表示される夜もあり
ほぼ1週間は「家にお籠もり」の日々でした。
クリスマスイブにVictoriaから孫のSorataが帰省。長らく夫婦2人だけの年末年始を過ごし
ていたので3人暮らしは久しぶり。食事も2食で済ませていたのが朝昼晩作るようになり
一日中何かしら食べることを考える日々でした。驚いたのは彼は両耳にピアスを装着、左
の二つが化膿?しているみたいで、私は毎日その手当てもして10日後帰る頃にはなんとか
傷も癒えてきたので一安心。みんなやってるからという理由だったけれど、最初のピアス
は昨夏日本帰国中に父親に穴を開けて貰ったと聞いて「あらまっ!」そういえば彼の父親
も大学生の間は金髪&ピアス君でした。
20歳の食べっぷりはすごい!朝ごはん8時に食べても10時半ごろには
「お腹すいた~、なんか食べるものない?」
年子の男の子2人育てた経験ありの私ですがすっかり昔のことを忘れていました。
お米のなくなるスピードがめちゃめちゃ早かったのは覚えています。
日頃は自炊で週末に1週間分作って、ほぼ同じメニューで過ごすと聞いたので我家にいる間
は好きな物を食べさせたいと「今日は何食べたい?」と聞きました。
「じゅんばーのコロッケ」は上位に出てきて、これは息子が来た時と一緒でした。
楽しい3人暮らしはあっという間に終わり、SorataはまたVictoriaに戻っていきました。
一緒に過ごすのは去年6月末以来でしたが、すっかり大人びて(20歳になったんだし当前
だけど)ちゃんと目を見て話せるようなって、率先してお手伝いもしてくれる「役立つヤツ」
に変身していました。
Victoriaのステイ先は以前のホームステイ先のママのお母さん95歳のお家です。
同じ敷地内に長女が住んでいるのですがおばあさまは別棟に一人暮らし、Sorataはそこへ
おばあさまの夜の見守り役として無料で住まわせて貰っているのです。
2階の広い勉強部屋に専用バスルームとキッチン付き、を使わせてもらう厚遇を受けています。
おばあさまはとてもお元気で一人暮らしを望んでいらっしゃるため、日中はほぼ毎日朝から
夕方までヘルパーさんや身内の方々がお世話に来ているのですが、夜間はおばあさまひとり
になり、転倒や急に助けが必要になった時のために、Sorataは寝るときだけ彼女のすぐ隣の
部屋に降りて寝ています。
一度だけいつも朝早いおばあさまがキッチンにいないので様子を見に行ったら部屋で転んで
起きられなくなっていたので、すぐ起こしてあげて怪我もなさそうだったので近くに住む娘
さんに知らせて事なきを得たそうです。
一瞬911に電話しなきゃ!とドキドキしたのとその後学校に遅れそうになって急いで自転車
に乗ってバス停に向かうときにカーブでスピード制御できず転倒、顔面の半分を擦りむいて
怪我したと、ママに自撮りの画像を送って、それをママから私に…かなり腫れてて可哀そう
でしたが、大事にならずホントによかった!!
その後、家族揃ってのクリスマスパーティがあり、Sorataはおばあさまから
「いつも傍にいてくれてありがとう」と現金で100ドルのギフトを頂いたそうです。
おばあさまはヘルパーさんたちにも同じようにプレゼントをあげていたそうです。
私も年取っても元気だったら一人暮らしをしたい、と思っているのですが、みんなに見守って
もらえるようなチャーミング&少々は蓄えのある年寄りでいたい、と思います。
近況としては
寒波が去って少しづつ気温が上がってきたので、バンフの友人の誘いがあり「鍋パ」に参加。
シニアの友人カップル4組がバンフの公園にある屋外シェルターに集い薪ストーブで暖を取り
ながら、それぞれ調理した食材を持ち寄りストーブの上のお鍋に加えて温めていただくという
スタイルで楽しみました。
話題は「孫」。2月末にイギリスで初産を迎える娘さんのところへお手伝いに行くと言う
カップルに経験者の2カップルが色々とアドヴァイス。トロントとケベックでお産のお手伝い
経験をされた「じいじとばあば」のお話はかなり参考になることが多かったようです。
思い起こせば、息子2人の私も12年前にSorataの妹が生まれるときにお嫁ちゃんからお手伝
いを頼まれ帰国。
ちょうど福島の原発事故直後で帰国も危ぶまれましたがなんとか予定通り成田空港に到着
その時の異様な光景をいまだに忘れることはできません。
カナダからのフライトは300人以上乗れる機材に僅か30名いるかいないか。
東北大震災が起きてまだ3週間もたたない頃でした。成田上空に近づき機材が硬度を下げ始め
窓から見えた海を覆い尽くした漂流物!を見て背筋がぞ~っとしました、空港内の通路は
照明が半分以上消えていて薄暗く、到着フライトもあまりないのか入国審査場には人がほとん
どいない、今までに見たこともない閑散とした光景に起こった災害の大きさと影響を怖いほど
認識した瞬間でした。
Sorataのママは予定日から2日後、無事元気な女の子を産み、私はママが入院中の1週間
小2になったばかりのSorataの面倒を見て過ごしました。プールの送迎やご飯作り宿題の
お手伝い?
『宿題が終わらないとママの病院へ連れて来ちゃダメ』とママから言われていたので早く行き
たくて「じゅんばー嫌い」と泣きながら宿題に向かっていたSorataのことを懐かしく思い出
しました。
その時の孫も今春には中学生。数日前に私立中学の合格発表がありました。
私のカナダ暮らしはゆっくり過ぎている気がしますが、周囲はどんどん変化して行き、その
スピードに追いついていない自分がいます。
昨秋はマカオにいる長男家族に4年振りに会うことができました。コロナ前‘19秋に会って以来
だったので、孫のKafuがママの身長を越してもうすぐ私も追い越しされそうに大きくなって
いたのにびっくり。
会えなかった4年間って本当に長かったんだ!と思い知らされました。
4年前Kafuはまだ広東語で話したことをママが英語で私に伝えてくれていたのに、今回は英語
で直接コミュニケーションが取れるようになっていた喜びはなんとも大きいことでした。
Kafuと同い年の京都の孫Yuzuも毎日30分ネットで英会話の先生と話しています。
将来は3人の孫達が共通の言語「英語」で「カナダのじいじやばあば」の思い出話をしてくれる
のではないかと密かに思いを馳せています。
前回お話しした新しい股関節、正直言って違和感なく歩けるには至っていませんが杖は必要なく
雪道を転倒防止のアイゼンをつけた靴で歩いています。ゴルフシーズンが始まる4月末くらい
にはすっかり違和感もなくなり自分の脚として馴染んでいる事と思います。
帰国してすぐに「parking permit for people with disabilities」のカードをもらい車のフロント
に表示するとお買い物の時など一番お店に近い駐車スペースに停められるので、認定期間は
6ヶ月ですが雪がある季節の間は大変助かりです!
2024年、コロナから抜け出した途端にオーバーツーリズムといわれる日本ですが、さてどんな
風になって行くのでしょう。古巣の京都へ、また3月に短期間ですが帰る予定があり、しばらく
振りに日本で桜を見ることを楽しみにしています。
また次号で、お目にかかりましょう、お元気でお過ごしください。