群裏好の打ち倒し日記

昭和の時代から叩き続ける老スロッターの戯言集。ですが5号機になってから打つのはパチンコばかりでして。。。

高田馬場-2

2010-08-06 17:31:08 | 思ひ出
こんばんは群裏好です。
今日は前回の続きで「高田馬場の思い出-その2」をお送りします。
特にオチもないただの回顧録ですがドゾ~!。

この店の客層は若いんだけどアニマルを知り尽くしたセミプロのような奴らが集まってました。データを採る奴らが多かったのですが解析はとうの昔に判明してたし低設定ばかりだったのであれって意味が有ったのでしょうか?。
それにしてもこの店は混みます。朝からほぼフル稼働。天井もダブル・トリプル喰らっても顔色変えず打ち込む猛者ばかり。
我々遠征組みは朝からとりあえず一度当るまで突っ込みます。最初の周期で777が当れば御の字。大体はフルーツの集中やらレギュラーの連チャンで終ってしまうのです。
(アニマルはB:R比率が1:2くらいでしたっけ?。実はレギュラーの連チャンが多かったんですよね)
運よくBIGが連チャンに絡むと「次の仮天井まで8Kで回せるな」などと早くもハマること前提で算段してました。
私がこの店で勝つことはほぼ無かったですね。ですから数回のボーナスを掛けて飲まれると退店してました。だって一日通して勝つ台なんてほぼ皆無でしたから。

そして自分か友達が飲まれるとどちらかは隣のゲームセンターで時間潰し。当時はバーチャファイターやストⅡやキングオブファイターズなんかが流行ってたと覚えてます。テトリスやコラムスも時間潰しには最適でした。
昼頃になると負債が少ない方が近所の中華料理屋(王将?)か吉牛でメシを奢る。そしてまた打ったりゲームしたり。

そして私には高田馬場でもう一店舗かならず打つ台がありました。それが東洋会館の”パールセブン”でした。
早稲田通りを中野方面へ歩いていくと高田馬場駅から800mくらいのところに東洋会館はありました。どちらかというと古いタイプのパチンコ屋で床は板張りで有線放送は演歌が流れるような店というとイメージしやすいでしょうか。
白夜書房の編集員さんたちもご用達のようで雑誌には度々打ちに行ってると書いてありましたが私は人気の編集員を見ることは出来ませんでした。
その奥にひっそりと設置されたマルホン製のパールセブン。とうに設置期限は過ぎていますが例外?として設置されてたのでしょう。
詳しい台の説明は省きますが古き良き時代の名機だったことは間違いありません。絵柄が赤で3つ揃ったときのチープなファンファーレ(草競馬)が今でもはっきりと脳内再生出来ますよ~。

この他にも高田馬場には日拓のパチンコ店、ダイナム、駅前のスロ専門店、隣のパチとスロの併設店、アニマル屋奥にある寂れたパチンコ屋などがありました。
そうそうフォークソングで有名な「神田川」もアニマル屋からちょいと北側に流れてたはず。早稲田大学にも一度だけ資格の試験で行ったことがありましたね。
その他の観光名所や有名な食べ物屋などは一度も行ったことなかったなぁ。。。
この頃の私はパチ/スロ/煙草/酒はやってたけど居酒屋で飲み歩いたり風俗に通ったりはしてなかったのでまだ健全でしたけど、今にしてみればパチで金を失うなら風俗にでもいって無尽蔵な性欲を発散させとくんだったな~、と今更ながら悔やんだりして。東京なら安くて良いお店が沢山あっただろうに。。。
(私、東京にいた若かりし頃の6年間で風俗は行ってなかったんですよorz)

あの頃一緒に遊んでた山田は大学卒業して小さな車部品の商社に就職し、フリーターだった鎌ヤンは親の紹介で水道橋だかの駅員さんになったと風の噂で聞いた記憶がありますが、奴らは今何してるのかなぁ・・・。
みんな私みたいに女には縁が無かったのですがちゃんと結婚出来たのかなぁ・・・。
未だに少ない給料で休日に打ち倒してるのかなぁ・・・。

山田、鎌ヤン、オレは今でも当時のままだよ!

今の私を知ったら「あんたはそうなると思ってたよ(笑」って言ってくれそうです。あっはっはっは、orz。

打ち倒し日記、今回は遠い昔の思い出の中で遊んでみました。
最後まで読んでくれた方へ、私のくだらない思い出話に付き合っていただいてありがとうございましたm(__)m。
(過去にも高田馬場・アニマル・パールセブンなどは書きましたのでそれらと内容が重複してますがご容赦ください)
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