土日と曇りがちでしたが今日は2010年最後の五月晴れでとても清々しい天気でした。こんばんは、群裏好です。
土日の稼働はほどほどで少々の金を失ってきました。とりたてて書くことも無いかな、といったところです。
では何を書こうかと思ったのですが、、、
昔話でお茶を濁そうかと思います。
今回は「権利物」とい種別のパチンコについて語ってみようかと思います。
今は無き「権利物」、その種類とヒット機種と熱さなどを思い出してみたいなぁ~なんて思ってますのでオールドファンの方は当時を懐かしんでください。
(修正点などありましたらコメントくださいね)
<最初に権利物の概要と出玉の増やし方>
権利物とは一般的に特定の入賞口に玉が入った場合にアタッカーの開放で出玉を増やす仕組みのパチンコ台でした。
「アタッカーやチューリップの権利を得る」ということで「権利物」という名前だと私は勝手に解釈しておりましたが本当のところはどうなんでしょうか?。
さてこの権利物ですが私が打っていた一番古い権利物は豊丸の台でした。
液晶などは存在しない頃の台で盤面中央にワシの役物、その役物の真ん中に玉が入賞すると効果音(エリーゼのために)が流れてそれが流れている時に下部入賞口横のスタート穴に玉が入ると入賞口が開いて10カウントor18秒?まで開口する仕組み。
10カウントが8回繰り返すと権利は消滅してもう一度ワシの役物中央に玉が入るのを待つといったもの。
ですがワシの役物は権利獲得後も生きてまして今一度玉がここに入ると今度は権利が消滅してしまうタイプのものでした。
この台の打ち方は普通に天クギの左側を狙うだけなので権利の発生と消滅を何度も繰り返し少しずつ玉を増やしていく一般台やチューリップ台のような波を持った穏やかな台だったのです。
(多分ですが台の名前は「豊丸」だったはずです?)
まあこの時代は「一発台」が幅を利かせていたので権利物が出しゃばることはありませんでした。
権利物がシェアを広げたのは一発台やオマケチャッカー付きデジパチが規制された後のこと。それらに代わる大量出玉を出せるパチンコ機ということで一躍脚光を浴びたのでした。
私が覚えてる初期によく打った権利物はサンヨーの「ニューヨーク(一般台じゃないやつ)」、平和の「バレリーナ」、ニューギンの「ツービート(2回権利)」「カーニバル(3回権利)」など。
この頃はポスト一発台ということで出玉は4000発くらいのものが多かったですね(3回権利だと6000発でしたけど)。
意図的な連チャン性を持つのはこのもう少し後の時代からでした。
それぞれの機種に思い出は山ほどあれどその中からニューギンのカーニバルを語ってみます。
時代にとある東京のいきつけホール。この店は権利物を上手く使うことで定評があって私もかなり通ったのですが長きに渡る最高出玉記録を作ったのはこの店の3回権利物である「カーニバル」でした。
当時は「揃った数字が3・7なら4・9まで持ち玉遊戯OK」というようなラッキーナンバーシステムが流行してましてこの日は運良く低投資で「傘・7・7」で大当たりがスタートしました。
カーニバルは3桁デジタルが揃うと下部権利口へのチューリップが開放し以後は右打ちで大当たりを消化、これを3回繰り返す6000発タイプの権利ものでした。
そして3桁デジタルの左側にはオールマイティー絵柄である傘があってリーチアクションは頻繁に掛かるように飽きさせない工夫を持っていました。
そしてリーチになるとデジタルが揃うのを祈るのですがノーマルリーチで当ることはありませんで右数字が一周半以上回ってからロングリーチへと移行します。このロングリーチに発展すると大当たりorその前後で停止するので熱いの何の。
余談ですがこの頃のスーパーリーチというとほとんどがこのロングリーチのことでしたよね。
そして見事大当たりすると下部アタッカーが開放するのですがここで手持ちの玉が無かったり運悪く玉が入らなかったりすると「パンク」と言われる権利消滅もありました。そうそう保留玉でもう一度大当たりして下部アタッカーへの2重入賞もパンクでした。よって大当たりが確定した状態でも保留玉消化を待ってから打ち始めるというテクニックは必須でしたよね。
話戻りましてそんなこんなでラッキーを射止めた若き日の群裏好くんに神掛かった展開が待ち受けておりました。交換ナンバーを引かずに夕方までに10回くらいの初当りを引きました。
スーパーリーチの信頼度は10%程度なのですがこの日は50%にも届こうかという確率で当ってくれます。まさにウハウハ状態(結構死語ですねw)。
4000発入りのドル箱10箱に囲まれて幸せ気分。確か交換した玉数は38000発を越えていたと記憶しております。
ただ換金は2.5円交換だった為に9万程度でしたが当時でもかなりトップクラスの出玉でしたね。
その後もこの店では一般電役のアメリカンドリームを半ばプロ的に打ってましたっけ。フレンチカンカンの大当たりソングには今でも脳天が痺れます。
そうそう海物語で有名なマリンちゃんが登場する権利物「ギンギラパラダイス」が登場するのはこの2年後くらいですよね。
最近では珍しくpart2に続きます
土日の稼働はほどほどで少々の金を失ってきました。とりたてて書くことも無いかな、といったところです。
では何を書こうかと思ったのですが、、、
昔話でお茶を濁そうかと思います。
今回は「権利物」とい種別のパチンコについて語ってみようかと思います。
今は無き「権利物」、その種類とヒット機種と熱さなどを思い出してみたいなぁ~なんて思ってますのでオールドファンの方は当時を懐かしんでください。
(修正点などありましたらコメントくださいね)
<最初に権利物の概要と出玉の増やし方>
権利物とは一般的に特定の入賞口に玉が入った場合にアタッカーの開放で出玉を増やす仕組みのパチンコ台でした。
「アタッカーやチューリップの権利を得る」ということで「権利物」という名前だと私は勝手に解釈しておりましたが本当のところはどうなんでしょうか?。
さてこの権利物ですが私が打っていた一番古い権利物は豊丸の台でした。
液晶などは存在しない頃の台で盤面中央にワシの役物、その役物の真ん中に玉が入賞すると効果音(エリーゼのために)が流れてそれが流れている時に下部入賞口横のスタート穴に玉が入ると入賞口が開いて10カウントor18秒?まで開口する仕組み。
10カウントが8回繰り返すと権利は消滅してもう一度ワシの役物中央に玉が入るのを待つといったもの。
ですがワシの役物は権利獲得後も生きてまして今一度玉がここに入ると今度は権利が消滅してしまうタイプのものでした。
この台の打ち方は普通に天クギの左側を狙うだけなので権利の発生と消滅を何度も繰り返し少しずつ玉を増やしていく一般台やチューリップ台のような波を持った穏やかな台だったのです。
(多分ですが台の名前は「豊丸」だったはずです?)
まあこの時代は「一発台」が幅を利かせていたので権利物が出しゃばることはありませんでした。
権利物がシェアを広げたのは一発台やオマケチャッカー付きデジパチが規制された後のこと。それらに代わる大量出玉を出せるパチンコ機ということで一躍脚光を浴びたのでした。
私が覚えてる初期によく打った権利物はサンヨーの「ニューヨーク(一般台じゃないやつ)」、平和の「バレリーナ」、ニューギンの「ツービート(2回権利)」「カーニバル(3回権利)」など。
この頃はポスト一発台ということで出玉は4000発くらいのものが多かったですね(3回権利だと6000発でしたけど)。
意図的な連チャン性を持つのはこのもう少し後の時代からでした。
それぞれの機種に思い出は山ほどあれどその中からニューギンのカーニバルを語ってみます。
時代にとある東京のいきつけホール。この店は権利物を上手く使うことで定評があって私もかなり通ったのですが長きに渡る最高出玉記録を作ったのはこの店の3回権利物である「カーニバル」でした。
当時は「揃った数字が3・7なら4・9まで持ち玉遊戯OK」というようなラッキーナンバーシステムが流行してましてこの日は運良く低投資で「傘・7・7」で大当たりがスタートしました。
カーニバルは3桁デジタルが揃うと下部権利口へのチューリップが開放し以後は右打ちで大当たりを消化、これを3回繰り返す6000発タイプの権利ものでした。
そして3桁デジタルの左側にはオールマイティー絵柄である傘があってリーチアクションは頻繁に掛かるように飽きさせない工夫を持っていました。
そしてリーチになるとデジタルが揃うのを祈るのですがノーマルリーチで当ることはありませんで右数字が一周半以上回ってからロングリーチへと移行します。このロングリーチに発展すると大当たりorその前後で停止するので熱いの何の。
余談ですがこの頃のスーパーリーチというとほとんどがこのロングリーチのことでしたよね。
そして見事大当たりすると下部アタッカーが開放するのですがここで手持ちの玉が無かったり運悪く玉が入らなかったりすると「パンク」と言われる権利消滅もありました。そうそう保留玉でもう一度大当たりして下部アタッカーへの2重入賞もパンクでした。よって大当たりが確定した状態でも保留玉消化を待ってから打ち始めるというテクニックは必須でしたよね。
話戻りましてそんなこんなでラッキーを射止めた若き日の群裏好くんに神掛かった展開が待ち受けておりました。交換ナンバーを引かずに夕方までに10回くらいの初当りを引きました。
スーパーリーチの信頼度は10%程度なのですがこの日は50%にも届こうかという確率で当ってくれます。まさにウハウハ状態(結構死語ですねw)。
4000発入りのドル箱10箱に囲まれて幸せ気分。確か交換した玉数は38000発を越えていたと記憶しております。
ただ換金は2.5円交換だった為に9万程度でしたが当時でもかなりトップクラスの出玉でしたね。
その後もこの店では一般電役のアメリカンドリームを半ばプロ的に打ってましたっけ。フレンチカンカンの大当たりソングには今でも脳天が痺れます。
そうそう海物語で有名なマリンちゃんが登場する権利物「ギンギラパラダイス」が登場するのはこの2年後くらいですよね。
最近では珍しくpart2に続きます