せめて給水所ぐらいは有る事を願う

2014年01月26日 23時08分48秒 | 日記
この10年間、四捨五入すれば20歳だのまだギリ20代だのと言い逃れしてきたけど
とうとう本日を持ちましてそんな言い訳や言葉遊びの利かぬ30歳になっちまいました。
正直言えば嬉しくはない。ただ一つの節目とも言える日なのでどこか感慨深い思いはある。
そしてそう思う遠因となっているかもしれない幼少時代のひとつの出来事が一つあったりする。
それは今から遡る事21年前。小学4年生の水泳の授業で準備運動を終えた時の出来事だった。
準備運動を生徒と一緒に終えた担任の斎藤先生が突然今日が自分の30歳の誕生日だと告げ


「30歳になれば人生も折り返し地点で今から待っている事は苦しい事ばっかりだ」


と語り始め


「俺に比べればお前らは希望の塊で今から30歳になるまでは楽しい事がいっぱい待っている」


と続けた。ここまで来ると激励の言葉で締めくくるのかと思われそうですが〆はただの一言


「いいなぁ・・・・・」


・・・それ以上斎藤先生は言葉を続けなかった。当然俺を含む生徒は皆リアクションに困ってしまう。
少しの間嫌な沈黙が流れたのだけど斎藤先生本人がその沈黙と30歳を迎えた苦悩を断ち切るかの様に
それでいて山積みになってくるであろう問題を見て見ぬフリをするかの様に授業に移ったのでありました。

当時の俺は子供だったから見た目が若い斎藤先生が何故そこまで落ち込むのかも解らなかったし30歳で
人生は折り返し云々の発言も意味が解らず、ギラギラと太陽が照りつけてる水泳日和に何をそんな辛気臭い
表情をしているのだろうと不思議でしょうがなかった。だけど今になってみれば当時の先生の気持ちが手に
取るように解る。いつも両手に付けられついぞ担任が変わるまではずす事が無かったプロミスリングから
見るに先生を待っていたであろう問題についても大よその予想がつく。30歳になっても授業中に嬉々として
スーファミの話をしていた斎藤先生・・・。斎藤先生は今の時分そのものだ・・・。


さて、その後斎藤先生がどうなったか?


連絡が取れない今となっては知る由も無いし知った所で意味があるとも思えない。
ただこの日記を書いている今、窓から見える猛吹雪の風景が斎藤先生が歩んだ21年と
これから俺が歩むであろう21年を示唆しているのではないだろうか・・・そう思えてならない。


「30歳になれば人生も折り返し地点で今から待っている事は苦しい事ばっかりだ」


30歳になった今日。真夏日と対照的過ぎた当時の斎藤先生の発言が俺の頭の中をこだまするのでした。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-01-27 21:38:35
おめでとう、と一口には申し上げられませんが、
まずはおめでとうございます。
20歳を過ぎれば誕生日は成長を祝うよりも今日まで無事生きてこられたことへの感謝の日だと個人的には思っております。
どうかこれからの日々も健やかでご多幸に恵まれますよう。
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Unknown (ぼや)
2014-01-28 01:21:01
ありがとう、と言われたのならば素直に受け取るのが礼儀だと思います。
ともかくありがとうございます。

一部の例外を除き肉体的な成長は20前後で止まるもので言ってしまえば後は下り坂な訳ですから
確かに20過ぎた後の誕生日は無事でいられた事への
感謝の日・・・ととらえるのは節目を大事に
したいもんにとって面白い考えだと思いました。皆が皆五体無事で30歳を迎えられないのだから
身体が一応ピンピンしているだけでも有難がるべきなのかな、と。30年も生きれば嫌でも周りからの
認識も重くなりますし、自分の身体は自分だけのもんじゃ無くなるもんですしね。

上では(記事の性質上ネタ込みで)後ろ向きに誕生日を迎えていますけども健やかで
ご多幸に恵まれて欲しいと願って下さるならばそうあろうと努力するのもまたひとつの
生きる理由になると思います。とっちらかった返信だけどともかくありがとうございました。
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