少なくとも浜崎あゆみではないです

2019年12月29日 22時09分53秒 | 日記
 
昔から痛車を見ると眉を思わず顰めてしまう人間なのですが最近は
痛車の種類によってその人を応援したい気持ちにもなったりします。
 
ではぜんたい何故そう思うようになったのかと言いますと・・・
そもそも自分が痛車を快く思わないのは未だにオタ文化は恥ずべきものといった
古い価値観を引き摺っているからでして、それを大っぴらにやられると見ている
こっちが恥ずかしくなるからなのですが実はそこは大した問題ではないのです。
 
というのも痛車は基本的に痛車にしてもオタクの目線からは恥ずかしいと
思われずらいキャラだったり版権だったりをチョイスしている事が多いので
逆に云えば旬を過ぎればあっさり捨てられるのだろう・・・
 
・・・なんて事を勝手に想像して勝手に不機嫌になってしまうのです。
 
つまり旬をとっくに過ぎた題材だったり自分がまったく知らないジャンルだったり
(あくまで俺の目線から見て)周りから冷笑気味に見られかねないような痛車だったら
本当に好きで文字通りの痛い事をやってるんだろうなと思うので好ましく見てしまうと。
 
悪食な傾向があるのも悪いのですが俺は周りから後ろ指を指されるのがイヤで自分の
好きなもんのアピールする事自体を恥ずかしいと感じてしまうしアピールするにしろ
否定された時の保険の為に駄目な所(そこが魅力でもあるというのはあるとしても)を
強調してアピールしてしまいがちなので直球の好きアピールは凄い羨ましく思うのですね。
 
痛車を見た瞬間眉を顰めてしまうのは変わらないけど、気持ち的に大きな変化はありました。
 
そんな変化があった自分が最近痛車を見て思い出すのは9年くらい前に通勤途中で
よく見かけた「〇〇〇残党(読み取れず)」と書き、車内のヘッドレスモニターで
エロゲのPVと思われるものを流していた痛車。
 
見た当初はそれこそ負の感情ばかりが湧いてきた車でしたが・・・
 
当時はエロゲが下火になり始めていた頃だったのと残党と公言しているから察するに恐らくは
直近で潰れたメーカーの火を消したくないが為だったのかもしれないとか勝手に想像してしまい
恐らくは気持ち的に落ち着いてしまったであろう持ち主に思いを馳せるようになる始末。
 
そして2年位前から通勤中によく見るようになった女性シンガーのライブの映像を
後部座席にクソデカいヘッドレスモニターを置いて流している車には末永くその人の
事を好きでいてあげてくれ・・・なんて思ったりもしていました。
 
・・・過去形なのはなんと先日その痛車がネズミ捕りに切符切られているのを見てしまったから。
 
令和になったはいいものの特に実感する事が無くかろうじて時代の流れを感じる事が
あったいえば規制の強化ばかり。先日スマホを見ながらの運転やカーナビを2秒以上
見てはいけないという罰則の強化がありましたし・・・運転に支障をきたすような車は
今まで以上に車検に通らないだろうなぁ等と思っていた矢先の事でした。
 
令話元年の2019年の終わりにこんな形で時代の流れというか終りを見る事になるなんて。
読み取れない文字の残党の人も俺が知らない女性シンガーのライブの人も俺にそれが何なのかを
知ってもらう事は叶わぬまま終りを迎えてしまったと思うと少し物悲しいとも思う・・・。
 
俺からすれば残党の人もライブの人も平成の世の最後に咲いた徒花だったのだ。
なんてことを思いながら笑いを堪えつつ職場に向かった先日の仕事納めでありました。
 
 
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