心の中の襖の中に住んでいる

2018年04月16日 23時55分51秒 | 日記
SNSが普及した今だから病気や事故等で急死してしまい発言が
途絶えてしまった故人のアカウントは今日び珍しくも無くなったし
そんな状況だからこそ遺族がネット上の知り合いに亡くなった事を
報告するなんてのも目にするようになってきた。

しかし・・・俺はそういうのを見ても一向に馴れない・・・。
見かけるごとに訳もなく悲しくなり他人事では無いと恐ろしくもなる。

見慣れたからこそ故人や残された人の亡くなった前後の状況を色々
想像するようになった。だからこそ自分に当てはめると怖いのだ。
自殺した人のアカウントなんて見たら暫くの間気分が沈んでしまう。
死ぬの痛みが怖いチキンだから自殺するつもりは元より無いけれど
自分の死んだ後の状況を想像したら、とても自殺なんて出来ないよ。

自殺だと遺書を残せるなんて利点(なんて言い方したか無いけど)は
あるだろうけどそんな状況で書き残す遺書なんて恨み言が並んでるのが
目に見えるので自殺を考える状況にすらなりたかない。

ただ急死の場合は遺書すら残せず自分としては不本意な発言が生前
最後の言葉になってしまう可能性が高い。さっき急死した人の垢を
見ると訳も無く悲しくなり怖くもなると書きたしたもののまことに
生前最後の発言や絵・・・それを確認したであろう遺族の状況を
想像すると不謹慎ながら笑ってしまったケースも無くはない。

なのでこのブログにもいつ何があってもいいようにちゃんとした
遺書のようなものを予約投稿しておこうかなと考えた時もあった。
例えば1月1日に遺書を予約投稿しておき新年を迎える度に予約
投稿を一年先に編集しなおすのを慣例にする・・・とか何とかね。

では何故考えるだけに止めたかと言うとその遺書を見て何か反応した
人がいたとしても自分では見れないから。そう考えると自殺は勿論
急病や事故でも死にたくない。

だから最近は冗談でも死にたいとも思わないし言いたくもないですね。

なもんで今はブログを更新する度にこれが生前最後の更新にならない
ように気を張って生きるようになったし、ブログを定期的に更新する
理由の1つにもなっているのですわい。

っとそんな感じに今日は優先道路も安全運転を心かげ出勤してたらば
横道から出てきたじーちゃんの運転する車に突っ込まれてしまいました。
幸いお互い怪我は無かったのですが数週間前に板金屋に出して傷治した
俺の車はベコベコになり保険屋に電話してみたところ1~2割位かは
負担しなければならないだろうと言われてしまいました。

はー。

死にてー。
コメント
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