発見記録

フランスの歴史と文学

Je vous ai compris !  ドゴール「わかった!」の戦略的両義性

2007-01-20 09:41:02 | インポート

前回はcomprendreが意外にむずかしくて参った。
ドゴールの有名な?Je vous ai compris ! ?はどう訳されているか?
渡辺 啓貴『フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ』(中公新書)では「あなたたちの言うことはわかった」(p.108)

Le 4 juin 1958, de Gaulle a rendez-vous avec l'Algérie française. Lorsque sa haute silhouette paraît au balcon du gouvernement général, une folle clameur jaillit du Forum où sont massés des dizaines de milliers d'Algérois. Méfiants, fiévreux, prêts pourtant à s'abandonner, ils guettent ses premiers mots. Va-t-il prononcer la formule sésame qui lui ouvrirait les coeurs : ? Vive l'Algérie française ! ? ? Espoir déçu. Le rebelle de juin 1940 n'est pas homme à se laisser dicter sa conduite par le tumulte du moment. Du haut de son mètre quatre vingt-treize tombe la formule fameuse : ? Je vous ai compris ! ? Un instant décontenancée, la foule l'acclame, malgré tout.

(?L'homme qui sut aller de l'avant contre les siens? Le Monde 28.10.04)

1958年6月4日、ドゴールは「フランス人のアルジェリア」と対面する。長身のその姿が総督府のバルコニーに現れると、何万人もアルジェの人々が集まった広場から、途方もない大歓声が上がる。彼らは疑い深く狂熱的で、しかし〔信頼できる相手には〕すべて任せる用意があり、ドゴールの第一声を待ちかまえる。呪文のような「フランス人のアルジェリア万歳!」を口にすることで、ドゴールは人々の心を開くだろうか?期待は裏切られる。1940年6月の反逆者は、一時の騒ぎに行ないを左右される人間ではない。1メートル93センチの高みから、名高い「あなた方の望むことはわかった!」が発せられる。一瞬とまどうが、とにかく群集は喝采する。

(WikipediaのList of famous tall menでは196cm)

演説全文はここにあったが、いきなり? Je vous ai compris ! ? なのだ。最初のところを訳してみる。

わかった!〔略しすぎ?〕

ここで起きたことは承知している。あなた方がされようとしたことも。あなた方がアルジェリアに開いた道が改革と友愛の道なのも。
あらゆる点での改革をと私は言う。しかし、いみじくもあなた方は、一からの改革、つまり国の基本制度の改革を望まれた、だから私がここにいる。また友愛と言う。あなた方は、帰属する共同体が何であれ、人間が一人残らず同じ熱気を分ち合い、手を取り合う、荘厳な光景を見せてくれる。
よろしい!私はすべてこれをフランスの名において認め、宣言する。今日この日から、フランスは、アルジェリア全土に、ただ一つの部類の住民しか存在しないと見なす。ただ完全なフランス人しかいない、完全な、同じ権利、同じ義務を持つフランス人。
すなわち、これまで多くの人に閉ざされていた道を開かねばならない。
すなわち、生活の手段を持たなかった人に、与えねばならない。
すなわち、威厳を認められなかった人に、認めねばならない。
つまり自らに祖国があることを怪しんだかもしれない人に、その証しをしなければならない。

「いみじくも」 très justement だが、何となく不安。 「いみじくも」ってどんな時に使う言葉ですか?Yahoo!知恵袋 

聴衆の多くはフランス系植民者だろう。「計算された両義性」une ambiguïté calculée(前出Le Monde記事)を持つこれらの言葉を、どう解したのか。ニ日後、モスタガネムMostaganemでドゴールは唯一度「フランス人のアルジェリア万歳」を口にし、それは「植民者への力強い檄」(『フランス現代史』)となる。しかし

Rentré à Paris, il lâche à Pierre Lefranc, son chef de cabinet : ? Nous ne pouvons pas garder l'Algérie. Croyez bien que je suis le premier à le regretter mais la proportion d'Européens est trop faible. ? Surprenant ? Pas venant de lui. N'a-t-il pas déclaré un jour à l'écrivain François Mauriac : ? Je renie tout ce que je n'écris pas ? ?
(Le Monde同記事)

パリに戻り、ドゴールは官房長のピエール・ルフランに漏らす、「アルジェリアは手放すしかない。いちばん残念なのはこの私だよ、だが人口比率から言ってヨーロッパ人が少なすぎる」 驚くべきか?ドゴールなら不思議ではない。「文章にしたもの以外は、自分の言葉と認めない」―ある日、作家フランソワ・モーリアックにそう明言しなかったか?

この頃、「100万人の白人入植者が900万人のアルジェリア人を支配していた」(福井憲彦編『フランス史』山川出版社 p.431)