発見記録

フランスの歴史と文学

?Georges n’a rien compris.? ファーストネームの話

2007-01-17 22:11:40 | インポート

1961年6月5日、シムノンの自伝的作品『血統』Pedigreeをこの頃初めて読んだのか、母アンリエットは手紙で書く。
?Je l’ai parcouru en pleurant à chaudes larmes, et je me reproche de ne pas avoir parlé de la famille à mes enfants car dans bien des cas, Georges n’a rien compris.?
(本に目を通しながら、涙があふれてきました、子供たちに家族の話をしなかったのが悔やまれます、多くの場合、ジョルジュはなにもわかっていないんですもの。)

(シムノンと夫人ドニーズ宛て。Michel Carley, Simenon Les années secrètes Ed.d’Orbestier, p.48)

父方と母方、二つの家の物語を、記憶にもとづいて綴った大作を、全否定するような言葉で、しかしあらゆる自伝作家にはこの「お前は何もわからなかった」が向けられ得るだろう。一方でシムノンは答えることができたはずだ、「母さんは何もわかってない、これは小説なんだ」

認識のずれと言ったのでは足りない何かを感じさせるこの一節、印象に残ったのは「ジョルジュ」のせいでもある。
母が息子をそう呼んでも何ら不思議はないが、シムノンの作品にはファーストネーム忌避の傾向がある(写原さんが夙にメグレの名前に関する記述でご指摘の通り)
シムノンの読者は名前の呼び方に敏感になるのだ。

アスリーヌの伝記(Simenon, "Folio")で、スイスはエシャンダンEchandensのシムノンのシャトー(写真)を訪れたロジェ・ステファーヌは、
?Auprès de lui, dans sa résidence, un personnel très nombreux : secrétaires ou domestiques ; tous tenus d’une main ferme par Mme Simenon ; tous interpellés par leur patronyme. Ils semblaient n’exister point comme personnes aux yeux de Simenon..?(p.734)
(彼の身近、邸内には大勢のお抱えがいる、秘書や召使い。みんなシムノン夫人の手でしっかりと管理されている。みんな姓で呼ばれる。彼らはシムノンの目にはまったく人格として存在しないように見えた。)

ここでは姓で呼ぶこと(それは夫人の意思によるものだろうか?)が、形式張った冷たさとして受け止められている。