『失われたフランス語の辞典』 Alain Duchesne/Thierry Leguay Dictionnaire des mots perdus (Larousse 1999)には、古いラルース辞典から取ったという挿絵がふんだんに入っている。
中には変なのもある。本文と切り離された挿絵が、とんでもなく「シュール」に見える、この効果にカイヨワは『幻想のさなかに』(三好郁郎訳 法政大学出版局)で注目したが、Baignoire-SABOT(木靴浴槽)と記された絵は、特に印象に残っていた。
ところがドミニック・ラティ『お風呂の歴史』(高遠弘美訳 文庫クセジュ)に、次の一節がある。
初期の浴槽は、木の幹をえぐって作られた。浴槽が現代とおなじ使われ方をするようになるのは、十九世紀後半である。最初は宗教的な意味合いがあった。とくにユダヤ人のあいだでは、沐浴のための大盥のなかで、水を使って心身を清めることが重要だった。樽職人は、円形ないし楕円形の浴槽を作り、十五世紀の鋳掛け職人は、銅か真鍮で大盥を作った。浴槽ははじめ、サボチエールと呼ばれた。サボは木靴だから、言うなれば木靴型浴槽ということになろうか。浴槽備え附けの鍋で水を温め、洗った灰を石鹸代わりに使った。香草や香料が、個人個人の好みによってさまざま水に加えられた。シャルルマーニュはヴェネツィア原産のアーモンドのパンが大好物だったから、湯に入れて香りを愉しんだという。
サボと浴槽には古くからの縁があるらしい。
検索してみると現代でも写真のようなのがBaignoire sabotと呼ばれている。
シャルロット・コルデーに暗殺されたマラーが入っていた浴槽も、やはりこの「木靴型」とされる。(”... Marat, assis dans une baignoire en forme de sabot,...” http://www.megapsy.com/Revolution/Rev_056.htm )
ラティは『お風呂の歴史』序文で、西欧の「お風呂文化」の着実な歩みを「非可逆的」進歩と見る。「健康の長期化の課程や人間の定住化に対する考察、増大する幸福主義、生活レベルの向上ーそれらが相俟って、徐々に温泉療法という強力な仕組みに変貌していったのである」
しかしその歩みは平坦なものではなかった。本書目次が示すように、ルネサンス以降、意外にも「入浴の衰退」が始まるのだ(この過程は興味深い)
「十八世紀後半、水は見直される」ーマリー・アントワネットには風呂係の女性がいた。フランネルの衣装をまとい、風呂で客を迎えた。「いわばお風呂のサロン」である。
この時代に「木靴風呂」(訳注によれば「座浴用の小さな浴槽。もともと木靴の形をしていた」)が広まったという。発明者「ルヴェル」の詳細はわからない。