発見記録

フランスの歴史と文学

「歴史の世紀」とジャン=ポール・ローランス

2006-05-08 11:12:58 | インポート

ティエリの『メロヴィング王朝史話』Récits des temps mérovingiensには、ジャン=ポール・ローランス(1838-1921)による挿絵入り版があるらしい。
Gallicaのは挿絵がない。
トゥールーズのMusée des Augustinsのページ()で見つけたのは、Incendie dans les campagnes de Tours トゥールの野の火災

フランク王国がクロタール1世の死後四つに分かれ、アウストラシア王シギベルト1世とネウストリア王キルペリク1世の内戦が行なわれていた6世紀。シギベルトの領地であったトゥールに、キルペリクの長子テウデベルトの軍が迫る。テウデベルトは残虐な作戦を行なった。「トゥールの住民たちは、城壁の高みから、町の四方あたり一面に立ちのぼって近くの村々の炎上を告げている雲のような煙を眼にして、おそれおののいた」(第2話 小島輝正訳 岩波文庫 上巻)
城壁は、ヴィオレ=ル=デュックが復元したカルカソンヌの城壁に基づいて描かれているという。

西欧の芸術家が古典古代に強い関心を持ち、ユマニストまた考古学者を兼ねることは19世紀以前にも珍しくなかった。中世に人気が集まるのはロマン主義以降だろう。
ゴーティエは青年時代、飼い猫を中世風にChildebrand(キルデブラント?)と名づけた。(Ménagerie intime p.8 )
ボアローが詩の中でこの名前をからかったたのに反発、わざとつけたもの。Childebrandはピピン2世の子、カール・マルテルの兄弟で、サラセン人をフランスから駆逐するのに功績があった。(Answers.com) 
褐色に黒の縞の、堂々とした虎猫で、古代ギリシア風のユリシーズUlysse(ロジェ・グルニエの愛犬!)のような名よりは、野性味のあるChildebrandのほうがよほどぴったりしたとゴーティエは言う。

歴史が自立した「学」となるには、中世趣味の類では不十分だったに違いない。
しかしティエリが序文で、シャトーブリアン『殉難者』Les Martyrsとの出会いを「フランクの戦士の歌が私の心に与えた感銘は、何かこう電気にでもうたれたようなものであった」と語るように、19世紀のある時期、歴史叙述と詩は無縁のものではなかった。

オーギュスタン美術館では1998年にローランス展が行なわれ、この時の記事がある。その作風をロマン主義の歴史家たちに比したHistoriens du XIXe siècleには

Parmi les historiens du XIXe siècle, Jean-Paul Laurens apparaît surtout sensible à l'influence de ceux dits " du Réveil ", c'est-à-dire de cette période romantique empreinte d'enthousiasme, de goût du drame et d'esprit libéral. Si, pour reprendre le propos d'Augustin Thierry, il est alors admis que c'est " la vérité de la couleur locale qui doit être le propre de l'histoire ", le même souci se retrouve d'une autre façon dans les travaux du peintre.
Sa manière semble parfois donner un équivalent pictural de la formule de Jules Michelet  : " l'histoire est résurrection ", résurrection palpitante et tangible du passé. Laurens reste de ceux reconnus pour avoir su l'exhumer avec le plus de force (Saint Jean Chrysostome et l'impératrice Eudoxie. Pareillement anticlérical, Michelet a d'ailleurs, le premier, cherché à réhabiliter les victimes de l'église, notamment ces Albigeois traités dans plusieurs tableaux..

(ジャン=ポール・ローランスは19世紀の歴史家の中でも特にいわゆる「覚醒期」、つまり熱狂とドラマ愛好と自由の精神とに溢れたロマン主義時代の史家に影響を受けたようだ。この時期、オーギュスタン・ティエリの言葉を借りれば「地方色の真実が歴史の本義たるべし」と是認されるとすれば、やり方こそ異なれ同じ配慮が画家の作品にも見られる。
画家の流儀は、時にジュール・ミシュレの名言「歴史とは蘇(よみがえ)りである」(すなわち過去の生き生きした、じかに触れることのできるような再現)を、そのまま絵画に置き換えたかのように見える。ローランスは今日も、過去をもっとも力強く蘇らせた者として認められている。(『聖ヨハネス・クリュソストモスと皇后エウドクシア』)同じように反教権主義のミシュレは、真っ先に教会の犠牲者、特にアルビジョワ派の復権に努めたが、ローランスはいくつもの作品で異端アルビジョワ派を描いている。)

『検邪聖省(教皇庁の部局、異端糾問を司る)の審問官』Les Hommes du Saint-Office 1889()や『拷問台』 Le Chevalet 1911()など宗教裁判所を描いた絵がある。
ローランスは南仏Haute-Garonne県の村フルクヴォーFourquevauxに生まれた。13世紀、カタリ派異端弾圧のため行なわれた進攻「アルビジョワ十字軍」は、北仏勢力による南仏ラングドックの制圧でもあった。