今回の生肉の食中毒騒ぎには正直言って驚いた。
それと言うのも、私自身かつてはよくユッケ、レバ刺しを好んで
食べていたからだ。
当時は飲んだ後はユッケ、レバ刺しは定番だったほどだ。
(私は刺身に目がなく、生ものと聞くと試したくなる癖があったのだ。)
しかし多少思い出話はある。
一つは、ある時会社の先輩・同僚と飲みに行き焼肉店に入った時のことである。
先輩が「エーイ、焼いちゃえ」と言ってレバ刺しを焼いて食べるのを見た時に
私は不思議なことをする人だなと思って見ていた。
しかし後日明らかになったことでは、その先輩はそのレバ刺しを「危ない」と
感じて、焼いて食べたというのである。
「そういうことはその場で言ってよ」と言いたくなったが後の祭りである。
だがそうは言うものの、私の体はその後も何の異変もなかった。
そして私はそれ以後「あいつは何を食べても当たらない」という
些か不名誉な評価を受けることになった。
(念の為に弁明して置くと、私は過去に生カキで2度当たったことがある)
もう一つはこれは豚のレバーの話だが、かなり前に住んでいたある町の
「焼きトン」(「焼き鳥」ならぬ豚の内臓を含む肉を串焼きにして出す店)
の店で豚のレバ刺しを食べた。
ところが翌日、過去に経験したことのない差し込むような腹痛と、
下痢に見舞われた。
幸い症状は2日後には収まったが、原因はほとんど明確だった。
最後に中には良心的な店もあることを述べたいと思う。
これも随分昔の話だが、当時週に1回は行っていた地元の焼肉屋が
あったのだが、その店で私はいつも着席すると同時に定番のように、
ビールとユッケとレバ刺しを頼んでいた。
ところがある時、いつものようにオーダーしたところ、
レバ刺しは「今日は良い物がない」と言われたことがあった。
その時点では特に何とも思わなかったのだが、今にしてみると
本当に良心的な店だったなと思う。
結局この感覚・判断が重要なのではないかと思う。
露骨に言えば、カネか安全かを選択する理性。
しかしこの「カネか安全か」という問題は、
どこかで聞いたことがある問題だ。
言うまでもなくそれは東京電力の問題である。
な~んだ、東京電力は街の良心的な焼肉屋にも劣る企業だったのか。
私が「倫理」の不在を嘆く所以である。
市場原理主義もグローバリズムも経済効率の観点から主張するのは
いいけれど、それらは倫理を忘れた地点で成立するものではないのかと
言いたい。
それと言うのも、私自身かつてはよくユッケ、レバ刺しを好んで
食べていたからだ。
当時は飲んだ後はユッケ、レバ刺しは定番だったほどだ。
(私は刺身に目がなく、生ものと聞くと試したくなる癖があったのだ。)
しかし多少思い出話はある。
一つは、ある時会社の先輩・同僚と飲みに行き焼肉店に入った時のことである。
先輩が「エーイ、焼いちゃえ」と言ってレバ刺しを焼いて食べるのを見た時に
私は不思議なことをする人だなと思って見ていた。
しかし後日明らかになったことでは、その先輩はそのレバ刺しを「危ない」と
感じて、焼いて食べたというのである。
「そういうことはその場で言ってよ」と言いたくなったが後の祭りである。
だがそうは言うものの、私の体はその後も何の異変もなかった。
そして私はそれ以後「あいつは何を食べても当たらない」という
些か不名誉な評価を受けることになった。
(念の為に弁明して置くと、私は過去に生カキで2度当たったことがある)
もう一つはこれは豚のレバーの話だが、かなり前に住んでいたある町の
「焼きトン」(「焼き鳥」ならぬ豚の内臓を含む肉を串焼きにして出す店)
の店で豚のレバ刺しを食べた。
ところが翌日、過去に経験したことのない差し込むような腹痛と、
下痢に見舞われた。
幸い症状は2日後には収まったが、原因はほとんど明確だった。
最後に中には良心的な店もあることを述べたいと思う。
これも随分昔の話だが、当時週に1回は行っていた地元の焼肉屋が
あったのだが、その店で私はいつも着席すると同時に定番のように、
ビールとユッケとレバ刺しを頼んでいた。
ところがある時、いつものようにオーダーしたところ、
レバ刺しは「今日は良い物がない」と言われたことがあった。
その時点では特に何とも思わなかったのだが、今にしてみると
本当に良心的な店だったなと思う。
結局この感覚・判断が重要なのではないかと思う。
露骨に言えば、カネか安全かを選択する理性。
しかしこの「カネか安全か」という問題は、
どこかで聞いたことがある問題だ。
言うまでもなくそれは東京電力の問題である。
な~んだ、東京電力は街の良心的な焼肉屋にも劣る企業だったのか。
私が「倫理」の不在を嘆く所以である。
市場原理主義もグローバリズムも経済効率の観点から主張するのは
いいけれど、それらは倫理を忘れた地点で成立するものではないのかと
言いたい。