今話題の日銀総裁の人事問題で
候補に挙げられた人物がテレビで
「僕は・・・」と言っているのを見て
改めて私は唸ってしまいました。
日銀総裁候補になったほどの人が
自分のことを「僕」と言うのを聞かされると
何とも奇異な感じに襲われるのです。
しかしこれは、この人のみならず
かなりの人に蔓延している症状です。
しかもどちらかと言えば、穏やかで威張らない
リベラルな人に多いように感じます。
私の感覚では、「僕」はせいぜい20代前半までの人の
自称だと思っています。
ところが、このことに異議を唱える発言を
私は殆ど聞いた事がありません。
「僕」に対して違和感を抱く人が少ないのでしょう。
男性の場合、「私」というのは
少し女性っぽく感じられて、抵抗がある人も
いるのかもしれません。
私がこの事を意識するようになったきっかけは
中学の時の国語の先生の指摘だったと記憶しています。
しかし私自身が自分の事を「私」と言うようになったのは
それからかなり経ってからの事だと思います。
その先生は今から思うと、潔癖な性格だったようで
自分の事を名前で呼ぶ(A子が、自分の事を「A子は・・・」と言う)
女生徒を嗜めていた事が思い起こされます。
候補に挙げられた人物がテレビで
「僕は・・・」と言っているのを見て
改めて私は唸ってしまいました。
日銀総裁候補になったほどの人が
自分のことを「僕」と言うのを聞かされると
何とも奇異な感じに襲われるのです。
しかしこれは、この人のみならず
かなりの人に蔓延している症状です。
しかもどちらかと言えば、穏やかで威張らない
リベラルな人に多いように感じます。
私の感覚では、「僕」はせいぜい20代前半までの人の
自称だと思っています。
ところが、このことに異議を唱える発言を
私は殆ど聞いた事がありません。
「僕」に対して違和感を抱く人が少ないのでしょう。
男性の場合、「私」というのは
少し女性っぽく感じられて、抵抗がある人も
いるのかもしれません。
私がこの事を意識するようになったきっかけは
中学の時の国語の先生の指摘だったと記憶しています。
しかし私自身が自分の事を「私」と言うようになったのは
それからかなり経ってからの事だと思います。
その先生は今から思うと、潔癖な性格だったようで
自分の事を名前で呼ぶ(A子が、自分の事を「A子は・・・」と言う)
女生徒を嗜めていた事が思い起こされます。