パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

高校サッカー 決勝

2009年01月12日 18時54分43秒 | サッカー
広島皆実3-2鹿児島城西

振り返ってみれば順当な結果
鹿児島城西は爆発的な攻撃力ばかりが注目されていたが
準決勝を見る限り結構脆い守りをしていたので
案外こんな結果になることは予想できた

球際では広島皆実のほうが勝っていたようで
この一つ一つの蓄積が全体としてのゲーム運びにつながったようだ

それにしても決勝というのに、
まだまだおとなしいサッカーだったように思えてならない
もう少し闘志が表に出てもいいのでは!
この意味では最近のサッカーは上手くなっているかもしれないが
どこかひ弱な感じがしてならない
鹿児島城西も点はよく取っているがどこか軽い感じ
たくましい感じはしない
(国見の体力サッカーもそんなに好きではないけれど)
それに評判の大迫勇也、野村章悟の2トップが毎試合得点してると言うが
それだけ得点源が限定されている可能性もある
彼らにボールを渡さない守り方など対処方法がつくりやすかったのでは

しかし大迫勇也はさすが、ちょっと違うかな
真面目に見た訳ではないがアンリみたい
速くて、懐が深くて器用で、
左右どちらからも強いシュートがうてるのは魅力的だ

今回は2試合目でPKで負けてしまった佐賀西
自分的にはこのチームのカラーが好きかな
もっともあまり見ていなかったので大きなことは言えないけれど、、、

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フルヴェンの第9

2009年01月10日 21時10分03秒 | 音楽
大晦日に聞いたベートーヴェンの第9
フルトヴェングラーのバイロイト祝祭管弦楽団の有名な演奏
あまりにも凄すぎて、もったいなくて、
また感動の印象が薄れるのが怖くて滅多には聞けないのだけれど
何年かぶりに気合いを入れて聞いてみた
そしてその印象が今も頭に残っている

一番はやっぱりあの第4楽章
歓喜の歌の出てくるところ
第1楽章、第2楽章、第3楽章のテーマが否定されて
さてどうあるべきか?となってから
長い休止のあと、それこそ地の底から、暗闇から聞こえてくるような
新しいテーマ歓喜の歌が演奏されるが
この演奏でのここでの効果は本当に劇的で凄い

そしてもう一度いつまで続く?と感じさせるコーラスのあと
またもやピアニッシモでトルコ風の主題が流れるところ
これもまた効果的
それこそ実演で聞いたら一生忘れられない部分だろう

最後のところはもう興奮の極地
あおりに煽って演奏は揃っていけない
しかし、そんなことはたいした問題ではない
行けー!
そんな感じで聞き終わるとつい出てしまうのが
「すげーっ」

今回もやっぱり同じだった

それにしてもこの演奏、第3楽章もいい
思索的でゆっくりした歩みだけれど
なんだか演奏という行為が存在するのではなく
ただ音楽が勝手に流れている
音楽が始まったら、そこに始めから音楽があったような
夢のような瞬間が至る所にある

しかし、こうした感じの演奏はもう聞けないかな
分析的であらゆるパートの音が聞こえるような
爽快な演奏は聞けるかもしれないが
確かに何かを伝えようとするような
全人格的な演奏
これは過去の遺物なのだろうか

古いものをありがたがるのではなく
古いものにもよいものはある(新しいものにもよいものはある)
つまりは真によいもの、悪いものの判断で
いろんなものが残されていけばいいのだが
新しいものが全て!あるいはスターたちの演奏が全て!
みたいな傾向は少しばかりいただけない
と思えて仕方ないのだけれど、、、



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またまたアダム・スミス

2009年01月08日 20時12分02秒 | Weblog
今、一番気になっているというか
マイブームなのがアダム・スミス

一月ほど前の新書『アダム・スミス」に刺激され、
アマゾンで「道徳感情論」を手にしようとして
そこでついでに勧められ同時に購入したのが
「アダム・スミスの誤算」幻想のグローバル資本主義
 佐伯啓思著 PHP新書

前回の本で、おおまかな考え方などは頭に入っていたので
割合とすんなり理解できた(というか読み終えることができた)

それにしても自由主義市場経済の父、
グローバリズムの理論家と称されるアダム・スミスだが
実際には全然イメージが違う

市場に任せておけば
自分の利益を求める活動をしていれば
神の見えざる手で落ち着くところに落ち着く
このような単純なものではなかった

彼が憂い、批判したのは貨幣経済の飛躍的拡大と
それがもたらすメンタリティーの変化

全てのものに交換可能な道具として機能的な貨幣が
道具としてではなく次第次第に目的化し
それはさらに実体経済とは離れた、人々の期待によって
不安定に浮き沈みする怪しげな経済の原因になること

こんなことはまさに今のこの時代のことではないのか?
このことを憂いたアダム・スミスに洞察力があったのか
それともかれはその時代を観察しただけで
人は本質的に昔も今も変わっていないのか?

確かにアダム・スミスは妙な政府などの介入は
好ましくないとも述べていて、なるようになるのだから
ほっておいた方がいい!みたいなことは書いている

だが、そこには大いなる前提があって
そこでの舞台に立つ人たちが道徳的な人たちであること
自らを客観的に眺めることのできる人(福田さんみたいではなく)であること
善し悪しは個々で違うので、より確実性のある判断材料としての世間を解釈すること
(ここの理解の仕方は間違っているかもしれないけれど)
このようなことが要求されている

書店に行くと経済の分野の棚には
簡単に言ってしまえば 「どうすれば儲かるか?」を
解いた本が多く並んでいて、アダム・スミスのような
倫理、道徳を説いた本は隅っこに追いやられている
だがこうした傾向こそが今の混乱を生み出している
損か、得か?だけが後生大事に扱われている現代

貨幣や資本に自己増殖を求める傾向があるにしても
それを使いこなすべき人間に
あるべき姿の徹底的な自問がなされていない(と思われる)
哲学不在(教養不在)の世の中
ちょっと不安になってしまう

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万葉集

2009年01月06日 21時57分22秒 | Weblog
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

この額田王のうたが一番人気だったのは
正月のNHK BS(だったと思うけれど)での
万葉集の特集番組でのこと

民放の見るに耐えない番組にリモコンをあれこれ
かえていて何の気なしに見かけたのだが
途中からだったけれど
あっ、これ知っている!
位の興味で最後まで見てしまった

昔、「猿丸幻視考」と言うミステリーで
柿本人麻呂がらみで万葉集が出てきて
少しばかり興味を持ったことがあったが
うん十年経ってこうして万葉集を味わってみると
結構これが面白い

とにかく感情が素直でストレートで伸びやか
現代人にも通じる感情が多々あって
しかも身分の高い人物から庶民の歌まで
網羅されているらしく
同時代の世界と比べても遜色ない文化的な歌集らしい

世界が小さくなってグローバル化が進むと
反動で民族意識が高まるのかもしれないが
この万葉集はそれを差し引いても
日本の誇るべき文化の一つのような気がする

ちなみに自分が覚えていたのは
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも
の山上憶良の歌

それに大伴坂上郎女の
夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ

少しばかり女っぽいかもしれないけれどリズムが好きで
覚えやすくて気に入っていた

まだまだあったかもしれない
しばらくはこれで(万葉集で)楽しめそうかな
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困ったもんだ

2009年01月05日 22時11分48秒 | Weblog
TVタックルにせよサンデープロジェクトにせよ
政治家の人たちは自分の意見を
強く述べるのはいいにしても
相手の意見のほうが良いかもしれない!
と思ってもほとんど同意したり訂正したりすることがない

定額給付金 これだけ国民に評判が悪いのに
言葉に出してしまったからといって
他の使い道を考えようとしないのは
単に意地になっているだけのように思えてならない

こんなところで意地張っても仕方ないと言うのに、、

本当に男らしいとか格好いいのは
自分に非があったときには
さっぱりと認めて心ならずとも
相手の話に乗ることだと思うのだが
こんな軟弱な態度では議論の格闘技に負けていることに
なるのだろうか

今は多くの人が早く総選挙してほしいと思っている
そしてアメリカがブッシュはもういいや
と思ったのと同じく自民党はとりあえずもういいや
と思っているのでは

しかし、民主党にしても小沢さんの国民の
人気のなさはどうなんだろう
(支持が麻生さんを追い抜いたがほんの少しだけ)

国民のイライラは
麻生さんに代わる相手が小沢さんで
実は何もかわらないんじゃないか
と思えてしまうこと

ぶっきらぼう
口下手
政策通
しかし政治家の需要な道具、武器である言葉が(演説が)
上手くなかったり下手というのは致命傷なのでは?

人間性が顔に出る年齢はとうに過ぎている小沢さん
国民は見た目、直感でしか判断していないかもしれないが
侮れないですぞ

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サザエさん症候群

2009年01月04日 21時49分13秒 | Weblog
正月休みも今日まで
明日からは仕事

夕方くらいから明日のことを考えて
少しばかり気分が重いような、、

いわゆるサザエさん症候群

といっても明日になってしまえば
あっという間に日常に戻ってしまう

さてこの休暇中何したのか?
ひたすらのんびり!

ただ年々正月が正月らしくなくなっていくのが残念
(そう言えば京都でも着物の女性を見かけなかった)
鬼が笑うから来年のことは言わないことにして
さて今年
大変な年になりそう
世界中の人々が幸せな年であればいいのだけれど、、、
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同情、共感。そして行為

2009年01月03日 15時06分29秒 | Weblog
法人税が高いと企業はみんな海外に行ってしまう
会社を存続させるには派遣の利用も仕方ないし、そのカットも仕方ない
(日本ではないが)CEOの高給な年収は当然と考えている

あくまでも自分がその立場にないから言えることかもしれないが
これらの言葉はどこかでみんな似ている
少なくともそこには企業の責任は社会的であるとは感じられない
あるのは儲けることが全てという考え方だけ

弱い立場の人たちに同情したり共感したりすることはなく
いわゆる勝ち組の論理を弁舌たくましく唱える
それが今そこらあたりで見られる光景だ

確かにその立場にならないとわからないことがある
だがこの想像力の欠如、弱いものへの扱いはなんだろう
どうしてそうしたことが平気でできるのだろう?

経済的に成功した人物と人格者とはどうやら別のようだ
これがこれまでに自分が身につけた感覚なのだが
残念ながらアダム・スミスも言うように人は
経済的な立場の上のものをつい尊敬してしまう傾向になる

これはある面仕方ないことかもしれないので
できることなら立場の強い人たちが
想像力たくましくして弱い立場の人を救うことができればいいのだろうが!

できることなら、そうすることによって自分にどんなメリットがある?とか
細かいこと言わずに、目の前にある現実にただ単純に
人として何かできることを損得関係なしに
できるようになってくれたらいいのだけれど

これは無理かな!
と思いながら新しい年だからついつい期待してしまう
(さて自分はそれができるか?)


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京都

2009年01月02日 21時51分16秒 | Weblog
行く度に
「何が違うんだろう?」
と思わされるのが京都

建物、食べ物、色彩、庭 とにかく何かが違う
所謂、垢抜けしているとかセンスがいいとか
に通じるものがいろんな場所で見られる

毎年、年に一回は京都に行っているけれど
今日は仁和寺と青蓮院

どちらも門跡 つまり朝廷に関するところ
それがためなのかは知らないけれど
渋くて濃密な感じの禅寺風よりはおおらかでどこか品のある佇まい

始めに行った仁和寺は徒然草で有名な寺で
確か昔行ったはずなのに前々記憶に残っていない
ところが今日は感嘆することしきり
無節の木材でつくられたすっきりした建築自体が美しいし、
回廊(廊下)がとてもワクワクするような
楽しさにあふれている

こんなところを自分の家として住むのは
なんと羨ましいこと!
毎日、この美しい佇まいを見て過ごす
贅沢がなんであるかを改めて考えさせる

自分は庶民の中の庶民という立場だが
美しいものの判断力、趣味は殿上人のそれには
遠く及ばない

京都は派手っこい金閣や清水寺
深遠風な龍安寺、銀閣寺、大徳寺などが一般的(?)だが
いろんなところに公家の文化が織り込まれている
実はそれこそが自分が何か違う!
と思う理由なのではないか

気分的には階級社会は好きではないが
残されたもので判断する限り
お公家さんたちは本当によい趣味を持っていた
と言えそうだ

そして小さな京都で公家さん、大工さん、造園家たちが
それこそ競って今観光客が訪れるような場所を作ったに違いない

京都人は普段からこうした趣味のよいものに接する機会が多く
それが原風景とか判断の基準になってくるので
知らず知らずよい趣味を身につけてしまう
それはとても羨ましいことだ

それにしても、京都は凄い!

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優勝の資格(そして、びっくりしたこと)

2009年01月01日 18時42分51秒 | Weblog
天皇杯決勝ガンバ対レイソルは
延長後半幡戸のゴールでガンバの勝ち
今シーズンはリーグ戦こそ上手くいかなかったが
一年を通してガンバのシーズンだったといえる

レイソルはガンバの疲れを期待した(?)けれど
ガンバの充実度、熟成度はすばらしかった
ガンバはこれで遠藤、二川、明神、橋本らが怪我したり
疲れがたまってのパフォーマンスの低下がない限り
しばらくは良いシーズンが続きそうだ

だが世代交代を上手くやっていかないと
ジュビロみたいになってしまう

それにしても優勝の資格は
今日テレビで見る限り圧倒的にガンバにあった
試合開始直後はレイソルの縦の速さ、出足のよさに
戸惑ったけれど徐々に自分たちのペースに持ち込み
後半からはレイソルの得点の可能性は
あまり感じられなかった

それにしてもびっくりしたことが二つ
(レイソルの試合はあまり見ていないので今更だけれど)
フランサのこと
この人のキープ力というか、攻撃力というか
パスの能力は凄い

なんだかゆっくりしているようでも簡単にはボールを取られない
(油断してとられることはあったが)
ボールと相手の間に体を上手く入れているか
相手の足の届かないところにうまくボールを運んでいるのだろうか

それとキックの種類の豊富さと柔らかさ
アウトサイド、ヒールなど守る側が予想しづらい方向に
パスして、しかもそれが通っている

だがしかし、一番驚いたのは
フランサが全然守備をしないこと
チェーシングは勿論のこと、どちらか一方をきることも
ボール保持者にアタックなどは全然しない
ただただ攻撃の際に起点になったり
良いパスを試みているだけ

何が驚いたかと言えば、それで試合をしていること
仲間が守りを全然しないフランサに
カリカリもせずに、それが自分らの戦いと
割り切って(?)戦っていたこと

一般的な日本のチームだと全員が一丸となって
みんなで守って、みたいな姿勢が当たり前なのに
今日のレイソルみたいにスペシャリストとしての
役割だけを期待するのは本当に珍しい

だが本当はこれもありかな!
と思うのも事実だ

FWが献身的な守備をすれば、本来の得点する
仕事の場所から遠くなってしまったり
肝心なところでスタミナ切れしたりして
シュートを決められないなんてことはありそうだ

ポリバレントとスペシャリスト
器用貧乏よりは職人の質の高さを求めたほうが
今の日本の状態では良いような気がするけれど
どうかな

といっても職人は
中村俊と松井くらいしかいない?
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