パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

またまたアダム・スミス

2009年01月08日 20時12分02秒 | Weblog
今、一番気になっているというか
マイブームなのがアダム・スミス

一月ほど前の新書『アダム・スミス」に刺激され、
アマゾンで「道徳感情論」を手にしようとして
そこでついでに勧められ同時に購入したのが
「アダム・スミスの誤算」幻想のグローバル資本主義
 佐伯啓思著 PHP新書

前回の本で、おおまかな考え方などは頭に入っていたので
割合とすんなり理解できた(というか読み終えることができた)

それにしても自由主義市場経済の父、
グローバリズムの理論家と称されるアダム・スミスだが
実際には全然イメージが違う

市場に任せておけば
自分の利益を求める活動をしていれば
神の見えざる手で落ち着くところに落ち着く
このような単純なものではなかった

彼が憂い、批判したのは貨幣経済の飛躍的拡大と
それがもたらすメンタリティーの変化

全てのものに交換可能な道具として機能的な貨幣が
道具としてではなく次第次第に目的化し
それはさらに実体経済とは離れた、人々の期待によって
不安定に浮き沈みする怪しげな経済の原因になること

こんなことはまさに今のこの時代のことではないのか?
このことを憂いたアダム・スミスに洞察力があったのか
それともかれはその時代を観察しただけで
人は本質的に昔も今も変わっていないのか?

確かにアダム・スミスは妙な政府などの介入は
好ましくないとも述べていて、なるようになるのだから
ほっておいた方がいい!みたいなことは書いている

だが、そこには大いなる前提があって
そこでの舞台に立つ人たちが道徳的な人たちであること
自らを客観的に眺めることのできる人(福田さんみたいではなく)であること
善し悪しは個々で違うので、より確実性のある判断材料としての世間を解釈すること
(ここの理解の仕方は間違っているかもしれないけれど)
このようなことが要求されている

書店に行くと経済の分野の棚には
簡単に言ってしまえば 「どうすれば儲かるか?」を
解いた本が多く並んでいて、アダム・スミスのような
倫理、道徳を説いた本は隅っこに追いやられている
だがこうした傾向こそが今の混乱を生み出している
損か、得か?だけが後生大事に扱われている現代

貨幣や資本に自己増殖を求める傾向があるにしても
それを使いこなすべき人間に
あるべき姿の徹底的な自問がなされていない(と思われる)
哲学不在(教養不在)の世の中
ちょっと不安になってしまう

コメント
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