パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

フルヴェンの第9

2009年01月10日 21時10分03秒 | 音楽
大晦日に聞いたベートーヴェンの第9
フルトヴェングラーのバイロイト祝祭管弦楽団の有名な演奏
あまりにも凄すぎて、もったいなくて、
また感動の印象が薄れるのが怖くて滅多には聞けないのだけれど
何年かぶりに気合いを入れて聞いてみた
そしてその印象が今も頭に残っている

一番はやっぱりあの第4楽章
歓喜の歌の出てくるところ
第1楽章、第2楽章、第3楽章のテーマが否定されて
さてどうあるべきか?となってから
長い休止のあと、それこそ地の底から、暗闇から聞こえてくるような
新しいテーマ歓喜の歌が演奏されるが
この演奏でのここでの効果は本当に劇的で凄い

そしてもう一度いつまで続く?と感じさせるコーラスのあと
またもやピアニッシモでトルコ風の主題が流れるところ
これもまた効果的
それこそ実演で聞いたら一生忘れられない部分だろう

最後のところはもう興奮の極地
あおりに煽って演奏は揃っていけない
しかし、そんなことはたいした問題ではない
行けー!
そんな感じで聞き終わるとつい出てしまうのが
「すげーっ」

今回もやっぱり同じだった

それにしてもこの演奏、第3楽章もいい
思索的でゆっくりした歩みだけれど
なんだか演奏という行為が存在するのではなく
ただ音楽が勝手に流れている
音楽が始まったら、そこに始めから音楽があったような
夢のような瞬間が至る所にある

しかし、こうした感じの演奏はもう聞けないかな
分析的であらゆるパートの音が聞こえるような
爽快な演奏は聞けるかもしれないが
確かに何かを伝えようとするような
全人格的な演奏
これは過去の遺物なのだろうか

古いものをありがたがるのではなく
古いものにもよいものはある(新しいものにもよいものはある)
つまりは真によいもの、悪いものの判断で
いろんなものが残されていけばいいのだが
新しいものが全て!あるいはスターたちの演奏が全て!
みたいな傾向は少しばかりいただけない
と思えて仕方ないのだけれど、、、



コメント
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