パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

子供のサッカーは、大人とは違ってていいのでは?

2006年08月13日 19時31分19秒 | Weblog
一昨日、昨日は近場で
12チームによる少年サッカーの公式戦。

最初の日に4チームごとに分かれリーグ戦を行い
翌日は各ゾーンの順位ごとにクラス分けを行い
トーナメントで総合順位を決めた。

残念ながら我がチームは6年生が3人しかいないこともあって
なかなか勝てず、最下位グループになってしまったが
二日目は、最初4-0
次はPK戦で4-2で勝ちを拾い
総合9位という成績になった

それにしても小学生の時点では
体格差はものすごいハンディーになってしまう
背の高さだけでなく腰の辺りの太さを見ても
細い子ばかりのうちのチームは
戦う前からきついなーと思われのだった

しかし、不思議なことにその体格差を利用して
ガンガン攻めてくるチームは意外に少なかった
まるでそんなことをしては卑怯だと考えてるみたいに?

少しずつ少年サッカーも変化してきている
サッカーはチームプレイということもあって
全体のバランスを気づかっているチームが多いようだった
それは、負けないことを前提にしているチーム作りで
きれいなパスワークを求められている

だから、一人で突破などというシーンは極めて少なかった

でも、それでいいのかな?

せっかくのシュートチャンスでもパスしてしまうどこかの国の傾向は
もうこの時期から見られているようだ

なぜ撃たない?
もっと確率の高い人に撃たせるべきだから?
失敗を叱責されるのがいやだから?
それとも、そういう指導されているから?

自分は体格差が反則なくらいあったとしても
残酷なくらいそれを見せつける
サッカーをしたほうがいいと思う

そして、他人が得点するより
自分が得点したほうがずっと楽しい
子供の気持ちに正直なサッカーをさせてあげたいと思う

大人は効率的な攻撃や守備方法を知っているがゆえに
子供たちにそれを気づかせるのではなく
教えてしまう
しかし、肝心なのはオシムじゃないけれど
考えること、気づくこと!

だが、いつもここのところになると
一緒にやってる仲間とも意見が分かれてしまう

自分はあまり勝ち負けにこだわらなくて
気になることといえば
試合をしている子供たちが
それぞれの個性を出し切っているかどうか
ということ

だからフォメーションは
出てくる選手によって変わってくる
それぞれ一番生き生きとできるポジションをやらせ
我慢強い子に申し訳ないなと思いつつ
2,3の不得手なポジションをやってもらう
勿論、彼らにも機会を見つけ
好きなポジションをやらせてあげているが

子供のサッカーは大人の縮約ではない
子供には子供にしか出来ないサッカーがあっていいと思う

どうせいつかは制約の多い中でサッカーを
しなくてはならなくなるのだから
せめて、子供時代くらいはのびのびと
夢中になれるサッカーをさせてあげたいのだが
これは独りよがりかな?


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世界の共通語は何か?

2006年08月11日 21時34分12秒 | Weblog
経済、コンピュータを語るなら英語
哲学を語るならドイツ語
文学を語るならフランス語
等とよく言われているが
世界の共通語は何だろう

残念な事に、可能性が高いのは
「暴力」と「金(富)」だ
それらはどこにも存在して人間を支配する

しかし、人間を人間としてあらしめているのは
こんなものではない!

個体としてはなんら武器を持たない人間に
あたえられた最大の武器は
記憶力、言葉を駆使しての道具作りする能力ではなく
「共感する能力」ではないだろうか

他人の気持ちを想像し、ともに悲しんだり喜んだりする事
シンプルだがこれこそが世界の共通語であってほしいものだ

しかし、最近不安なのは、この「共感する能力」が
欠如しつつあるように思えてならない事だ
あらかじめ持っているように思えるこの能力が
どういうわけか隅っこに追いやられてしまっている

ヤバいなあ、なんとかしないと、
大きな間違いを起こしてしまいそうでならない
と思うのは悲観的すぎ?

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マルクス(資本論?)が気になるこの頃。

2006年08月10日 21時45分11秒 | Weblog
有名だが読まれる事の少ない本のひとつ
マルクスの「資本論」
いったいどんな事が書かれているのか
全然分らないし興味もなかった分野なのだが
最近、急に気になってきた

高校時代に倫社の時間に習った時には
「疎外」という言葉があったように記憶しているが
内容はトンと頭に入ってこなかったようだ

しかし、今こうして暮らしていて
実感として
(人間の自己疎外とは、人間が人間性を失う事である
人間の社会関係がつくり出したものが、逆に人間を支配する
人間は、自分たちのつくり出した物、例えば、
貨幣を蓄積するために、非人間的な事を、平然として行う。
金を巻き上げるために恋愛で誘惑して、結婚を迫られたために
焼き殺した男がいるという。
もっとも人間的なものが、金を得る手段になっている。
金銭の支配力が、人間の生命の尊さを忘れさせる。
また、利潤のために、生活が奪われる。、、、、、、)
「向坂 逸朗著 資本論入門から」
などという説明は、悲しいくらいによくわかる

いったい世の中の何がおかしいのだろう?
洞察力にみちたマルクスはいったい何を説明し、
何をしようとしたのだろう?
そして、小市民の自分は何が出来るのだろう?

自分は、お金は持っていないが言ってみたい
「お金なんかに支配されたくない」と
「結局はお金だよ」というのが真実だとしても
思い切り『ノー』とやせ我慢をしてみたい。

出来るだけやってみるとしますか!

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トリニダード・トバゴ戦、監督のカラーってあるものですね!

2006年08月09日 21時51分45秒 | Weblog
三都主活き活きしてましたね
無理やりのドリブル突破もなく
シンプルにはたいてナイスプレー、ナイスシュートでした

鈴木啓太、ご苦労様!
最後はバテテたみたいですがよく頑張りました

全体的には新鮮な感じで若々しい印象がありました
でも、後半は工夫が足りないのと少し雑になってきたみたい

それにしても、監督が代わるというだけで
(選手も代わっているのだけれど)
ずいぶんサッカー印象が変わるものだ

つまりは監督のカラーが反映されるのだが
練習風景が連日報道されたことでわかるように
要は練習方法、メニューが監督の仕事の大きな
割合を占めるだろう

それと人選とその人材の使い方
三都主は今日の使い方なら納得できる
人選といっていいかもしれない

三都主のこの使い方がいいのなら
トルシエの三都主のトルコ戦での使い方も
あながち間違いではないかもしれない

今日の後半がイマイチだったのは
割りに予想の範囲内だ
しばらくゲームをやってないと(選手もチームも)
最初のうちは驚くほどうまくいくことがあるが
疲れが出てくるころになると
バラバラでうまくいかなくなってしまう

それにしても、少なくともオシムはジーコと
比べて監督らしい仕事をしている
そして、今のところ平等だし公平だ

ただしマスコミにはオシムジャパンなどと
調子にのって騒いでほしくないものだ


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コラーッ!車から物を捨てるな!

2006年08月07日 20時19分50秒 | Weblog
午後4時頃、
前を走る軽四車には初心者マークと
「赤ちゃんが乗ってます」
のワッペンがあった。
のんびりした気分になれていたのに
その一瞬で一気に気分が悪くなった。

車のウィンドウがスルスルと開いたと思ったら
腕がニョキと出てパラパラと何かを捨てた

エエッ!
はじめは子供が乗っているので
そんなことはしないだろうと
勝手に思っていたのだが
そんなことお構いなしに運転のお母さんは捨てていた
しかも、悪いことに子供も同じ動作を続けていた

捨てていたものは
どうやら子供が車にこぼしてしまったお菓子のようだった

その時感じた気持ち悪さは
道が汚れるとか、公衆道徳に反するとかではなく
子供の目の前で悪いことを平気でやってしまう神経だ

そして、やがて子供も何の抵抗感もなく真似てしまう

やはり、「最近の子供たちは、、、」と言う前に
大人たちがしっかりしなくてはダメだ。
そんなに聖人君子でなくてもいいけれど
最低限の常識は持つようにならなければ!
(たとえ面倒でも)
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M.i.3.それなりに楽しめたけど!

2006年08月02日 21時10分40秒 | Weblog
映画にエンターテインメント以外の何かを
期待するのでないけれど
最近、派手なカーチェイスや火薬の爆発のシーンを
単純に楽しめなくなってしまった
(あの大スクリーンではそういうシーンが効果的だが)

その他大勢の相手役として殺されてしまった人にも
家族や事情があっただろうに!
それに、いくら正しい事をしていたとしても
破壊したり、人を傷つけた後
あんな顔して生きていけるのか!
そんな事が気になって仕方ない

フィクションだからそんな事に気をまわさなくてもいいかもしれない
しかし、やっぱり、しかしだ。

M.i.3.
シリーズ物で007並みの娯楽作品で
退屈しないでいいテンポで進んでいくが
時間の経過の長さが少しいい加減みたいだった
48時間でそんなに遠くまでは移動できないだろうに!

そんなことはどうでもいい事?

確かに女優さんはきれいな人だった。(奥さん役の人)
しかし、全然女優さんの名前を知らない
つまりは、自分は真面目な映画好きじゃないのは明らかだ。

でも、最近感心するのは、効果的な映像というよりは
大の大人が馬鹿馬鹿しい役を真剣になってやっている事に
驚きを感じてしまう

妖怪大戦争の時の豊川悦司、
仕事とはいえ、あんな役(悪者の首領)を真剣に出来てるなんて
ちょっと感動してしまった

そういえば、同じような話だが
最近は北野武が馬鹿な事をするのは
真面目ぶって何かするより感心してしまう
何故なんだろう?

ま、これもどうでもいい事かな?


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