パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

人に勧めたくなるから「日本辺境論」は良い本

2010年02月18日 20時19分58秒 | 
「日本辺境論」
これだけバッサバッサと誤解を恐れずに
書き記されるとホント痛快!

なるほど日本人だからそうなのか!
そんな風に納得するところが随所に

話は飛ぶけれど、この論からすればサッカーで
日本人のFWに決定力がないのは、日本人だから!
とも言えそう

確かに日本人は、
何かを追いかけたり、学んだりする対象がある場合は
その本質を把握していようがいまいが
要領よく追いついたり身につけたりすることはできる

しかし、追いついてしまって先頭がいなくなると
いきなり何をしていいかわからなくなってしまう

サッカーのDFを、たまにFWのポジションをやらせてみると
多くの人間がパニックに陥ってしまう
前の景色が全然違うからだ
今までは前で起きていることに対応していけばよかったのが
前目のポジションでは点を取るという目的はわかっていても
さてナニをどうしていいか分からない


またまた話は変わって
昔から疑問に思っていたことがあった
それは多くのドラマでのこと
主人公が迷っている状況の時
日本のドラマは必ずといっていいほど
その主人公を導く先生みたいな存在の人が現れる
「天地人では上杉謙信、龍馬伝では親父殿とか他の人
 ごくせんではオヤジ(?)宮本武蔵では沢庵和尚などなど」
これらは決して神とかいった絶対のモノからの啓示ではなく
単に普通の、間違いも欲も見栄もある同じ人間であるという存在なのに
何故か絶対的に正しいというような扱われ方をする

つまり日本人は何かを教えてもらわないと
あるいは
教えてくれる存在が身近にいないと
不安になったり途方にくれたりする

また、日本人の新しいもの好きは
その新しいものが生まれに至った過程を理解しないで
結果だけ取り入れるから随分と違ったもの
表層的なものになってしまう

サッカーのシステムや戦術にしてもしかり
お手本は世界にいくらでもある
しかし、学ぶのはいいけれど
真に学ぶべきものは結果としてのシステムや戦術ではなく
試行錯誤してその結果に至った思考の流れや方法論であるべきなのに

さて、良い本か?そうでないか?
の評価の基準は、人に勧めたくなるかどうか?
で決められるが、この本「日本辺境論」は
確かに誰かに勧めたくなる
ということは、
良い本!ということで間違いなし





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